皇道經濟について(十三)皇道經濟と寿命観 | 皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪のブログ

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どうも皆さん!垣内政治です。

「皇道經濟でみんなに十億円!」

今日も、ゆるゆると語らせて頂こうと思いますので、
しばらくの間、おつきあいくださいませ。

 


    天津祝詞

【皇道經濟について(十三)】

「皇道經濟と人生観」 

みなさん、こんにちわ♪
お久しぶりです。

合法非公認政党 皇道經世濟民党
初代党首 垣内政治

です♪

さて、早速ですが、本日は、

「皇道經濟と人生観」

というお題でお話をさせて頂きたいと思いますので、
前回同様、出口王仁三郎聖師の「惟神の道」より、

「靑年の意氣を持て」

を、現代的視野で見直しつつ、
私なりの近未来へのヒントを考察したいと思います。

   〇    〇    〇

出口王仁三郎著「惟神の道」より

    「靑年の意氣を持て」

 人間と云ふものは
總て天津神の(米靑)精靈を受けて
この世に生まれ出でたのでありまして、
神が幾萬劫の昔から幾萬年の後の世へかけて
不老不死にまします如く、
人間の精霊も不滅であります。

 私は本年(昭和七年)六十二歳でありますが、
六十二年前に私の精靈が
天地の間に出來上がつたのではない、
その時には肉体が誕生したばかりです。

從つて私の肉体に老いのきざしは見え初めても、
精靈は老いを知らない。

世間には肉体と一緒に
早く老いて丁(シマ)ふ人間があるが、
甚(ハナハ)だ残念なことであつて、
さう云ふ考へ方では
人間としてだけの役目をも
この世に於て果たしきれない、
ましてや神の思召(オボシメ)しによつて
この世界に生まれ出でた意義に副(ソ)ふことは
困難であります。

 大体日本人の癖として、
もう六十になつた、七十になつたと
自分の年齢を勘定して
自ら心を弱くするやうであるが、
これも非常によくないと思ひます。

私が蒙古に赴(オモム)いた時、
あちらの人に年齢を訊ねたところ、
蒙古人には過ぎ去つた自分の年を数へるやうな
馬鹿はありませぬと答へられ、
これでなくては本當の仕事はやつて行けないと
感心しました。

人間にとつて
明日はすでに精算済みのものである。

神様にこの世に生んでいたゞいて、
それに應(コタ)へるだけの仕事をして行くには、
明日を生きた、
有意義な明日にしてゆくだけでよい。

さう考へて、私自身、六十二歳にて
なほ靑年の感情と靑年の意気を
失つてゐないのであります。

 そこで靑年であるが、
云つてみれば若いうちは肉体が全盛期にある。

この事は、家なら建てゝ間のないうちで、
柱も傾かねば壁も落ちてはゐない。

さういふ時に、
出来るだけの仕事をしておくといふのは
当然の任務であります。

が、肉体が老いたからと云って、
精靈までが衰へたと思ふのは間違ひで
大隈侯などは百二十五歳説を持し、
四十五十は少年であるとなしたが、
私も人間七十八十を働き盛りだと考へ、
いよいよの仕事はこれからだと思ってゐます。

 精靈は滅びないものである。

人間は不老不死のものであると云ふことを
證據立てる例として、
臨終の際まで魂がしっかりしてをることを
云はねばならない。

手も足も動かぬやうになり、
耳も聞こえなくなっても、氣力は確かで、
頭腦は冴えて来る。

これは人の精靈が
何處までも生き通してをる證據で、
現代の唯物論者が云ふやうな
健全な肉体に健全な精神が宿るのではなくて、
健全な精神の所有者こそは
健全な肉体を所有し得るものであります。

 これで、肉体といふものが魂を入れる器であり、
神の生宮であると云ふことが
ハッキリして來るのであります。

で、總ての人は、自分は斷じて死にはしない、
老いゆきもしないと云ふ信念を持ち、
世界のために、いつも申す人群萬類のために、
常に靑年の意氣を持って働き、
私の提唱する御神業に参加して欲しいと
思ふのであります。

特に今や東西の形勢は
頗(スコブ)る急なものがあります時に當って、
日本人は格別な使命をもってゐるのであります。

昭和といふのは、
其(ソノ)文字(モンジ)に注意して貰へば判りますが、
昭の字は日に召さると書いてあります。

卽ち日の大神のお召しに應じて和す所の
大任を有(モ)つてゐるのでありますから、
此點をよく悟って、
昭和の天命に應ふるだけの信念が
なければならぬと信ずるのであります。

   〇    〇    〇

   【皇道經濟と人生観】

今回は、何故か、
いつものペースでこの作業に入る気になれず、
いつもならば週の木曜日にはさっさと原稿朗読との
同録撮影を終えて、今頃は、
編集した動画のエンコードが遅いとぼやいているか、
順調ならば動画の公開を終えて、
【大雑派】の動画を編集しているところなのですが、
どうしても顕幽一致の気が整わず、
土曜日の昼直前になって、
ようやく「靑年の意氣を持て」の朗読撮影を始めました。

ところが、それまでは何ともなかったのですが、
朗読中に突然、腹が「クゥ~、クゥ~」と鳴り出して、
その音がどんどんと大きくなりましたので、
撮影を一時中止して、ソバをチンしている間に、
この一文を前文に書き加える事にしました。

王仁三郎聖師が「靑年の意氣を持て」で仰る人間とは、
ズバリ「精霊」のことでありまして、
肉体の事ではありません。

私から言わせますと、肉体は、

「口と肛門の赤蛇を内臓した活宮」

であります。

神学的に申しますと、
精霊は男性格であり、肉体は女性格に当たりますので、
つまり肉体こそが、赤蛇と女の子孫であります。

それでキリスト教徒達は、
靈なるキリストを花婿とし、信徒は男女の区別なく、
キリストの花嫁に例えられる場合があります。

ですが、神界にも彦姫の性別があり、
肉体にも男女の性別があります。

そして、この赤蛇は、
ミミズに例える方が分かり易いかと思われ、
性別は無いのであります。

性別はミミズの外の肉体に現れます。

赤蛇のミミズは、老若男女の区別なく空腹すると、
精霊に食を求めて騒ぎ出すのであります。

それで、空腹を覚えると「クゥ~、クゥ~、」と
うるさく鳴くので、釈迦も、イエスも、
活動を始める前に断食をして、
悪魔の誘惑と戦い、勝利してから、
道を説き始めたのであります。

実際、娑婆で道を説く時に一番の問題なのが、
この赤蛇を黙らせることであります。

この地上の生き物は全て龍であり、蛇であります。

人間も、四つ足も、手足を持つ龍であり、蛇であります。

鳥は羽根持つ龍であり、魚は泳ぐ龍であります。

蛇は翼と手足をもがれた龍であります。

つまり、この地上全体が龍宮なのであります。

口と肛門を食道でつないでいる生き物は、
全て龍であります。

釈迦は、道を説いて食を得ており、
弟子達にも、乞食(コツジキ)をさせておりましたが、
イエスは逆に、一切れのパンや籠の魚を、
余るほどコピーして、聴衆の腹を満たしてから、
神の道を説いたのであります。

モーセの時でも、荒野をさまよう間、
イスラエルの民が、喉の渇きや、空腹で騒いだので、
流石のモーセも怒り心頭し、思わず岩から水を出す時に、
岩を二度叩いてしまったのが、神への不義となり、
イスラエルの民と共に約束の地に入ることが
許されなかったと伝えられております。

それくらい、この空腹と、喉の渇きは、
肉体を導き、制御するためには、
最も難しい問題なのであります。

ちなみにモーセの時には神が空中からマナを降らせて
イスラエルの民の食料にしました。

これは綿菓子とかウェハースの様に
甘露な食べ物だったそうです。

ルドルフ・シュタイナーが明らかにしたのですが、
イエスの断食の時の悪魔の誘惑でも、
イエス自身は誘惑に勝ちましたが、
結局、弟子達やイスラエルの民は、これに弱いと
悪魔が察し、再会を約して、
一旦誘惑を中断したのであります。

この時の悪魔は二ついたとシュタイナーは説きました。

まずはじめにルシファーが来て、知識的誘惑をしますが、
イエスはこれを難なく喝破します。

「崖から飛び降りろ」という誘惑です。

それで次にアーリマンという、
ゾロアスター時代からの悪魔が救援に来て、
ルシファーと組んで誘惑しますが、
イエスはこの誘惑も退けます。

「世界の全てを与え王にする」

という誘惑です。

最後に、ルシファーが退散して、アーリマンが、

「この岩をパンに変えよ」

と誘惑しますが、イエスは、

「人はパンのみにて生くるにあらず、
 神の道(コトバ)によりて活くるものなり」

と答えてアーリマンを絶句させますが、
それでもアーリマンは、イエスはこの誘惑に勝てても、
その他大勢はこれに弱いと考えて、
十字架での最後の誘惑に備えて一旦退いたそうです。

実際、イエスを十字架に導いた裏切り者のユダも、
つまりは食うことを心配して銀三十枚でイエスを裏切り、
イエス自身は、どれほど拷問を受けても、
十字架に架けられても息絶える直前まで、
神を称え続け、復活した後、やっと弟子達もイエスに従い
殉教するだけの覚悟が出来たのでありますが、
やはり、「喰う」問題は残されたのであります。

道を広げる僧侶も、キリスト教の伝道師も、
霊界物語の三五教の宣伝使達も、皆、家を持たず、
流浪の活動をしたのでありますが、
現代は悪魔アーリマンの計略なのか、
ジプシー生活は国際的に難しくなっており、
「衣食住」の誘惑どころか、
ボロをまとい、定職に就かない住所不定者は、
社会的に抹殺される様になっておりますので、
やはり、正面切って、
「衣食住」を神様の方に取り戻す戦いが、
必要なのであります。

ですが、勢いで「戦い」などと口走れば、
今度はテロリスト扱いされることになるので、
神様も、土蜘蛛族の力を借りて、
在宅のままで、神の道を広めることが出来る様に
悪魔の手を使って、悪魔が自らの墓堀をする様に、
時を待って好きなようにさせて来たのであります。

この辺の処が、出口王仁三郎聖師も予言した通り、

「次は経済で立替える」

に繋がって来るわけであります。

出口王仁三郎聖師は、

「霊界物語を拝読しておれば御三度の飯には困らん」

と確言しておられたそうですが、
私も、作業に熱中して食事を忘れた時以外は、
粗食ではありますが、
御三度の飯に困ったことはありません。

出エジプトの時には、イスラエルの民は、
荒野を80年さすらって信仰を試され、
ふるいにかけられましたが、
現代の真のイスラエルの民である日本人は、
四方海に囲まれておりますので、そうはいかず、
経済による締め付けによって、
経済力を持った者だけが、船や飛行機で、
日本を脱出することが出来る様になっており、
神への信仰を最後まで貫いた金の誘惑の勝利者だけが、
皇国日本を受け継ぐことが出来る様になっております。

「皇道經濟」は、
人類万軍を正神界の順列に加えるための神策であります。

これは太古からの
聖賢達のユートピア構想の悲願を実現する
根本的な解決策であります。

が、人生の目的は、各自にバラバラでありますので、
「皇道經濟」の必要性に気づかない、
いわゆる、われよし、つよいものがちの強者や勝ち組には、
目の上のたん瘤のようなものであろうかとも思われます。

現在は、獸の世、悪魔の世でありますから、
そんな世の中で生まれ育ち、われよし、つよいものがちの
悪のルールに慣れている勝ち組・負け組にとっては、
なかなか受け入れがたい四文字熟語であろうと、
私も日々、この獣の世、悪魔の世を見ていて実感します。

われよし・つよいものがちの強者や勝ち組は、
宮本武蔵のように、

「神仏は敬うべし、頼るなかれ」

と、かっこつけて言いたがるものかと思いますが、
その宮本武蔵でも、実際は戦に参加した時に落石に当たり、
骨折してからは山籠もりして「五輪書」を残したそうなので、
言ってみれば、その落石こそが神仏の罰とも賜物とも
言えるものでありますが、やはり、武蔵は最後まで、
神仏を敬いながらも、頼らなかったのかもしれません。

しかし、現役時代の宮本武蔵がどれほど強かったとしても、
結局、仕官する、しないを決めるのは藩主であり、
旗本剣術の柳生に行っても、その地位の格差には敵わず、
外様に落ち延びた格好になり、天草四郎がらみで怪我をして、
前線から退いて一書を残したので、かろうじて世に名を残し、
今、一定の尊敬を得る様になったのであります。

この点につきましては、我が、

合法非公認政党 皇道經世濟民党

が唱える

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

も、客観的には、同様の位置にありまして、

「如何に艮(トドメ)の神策ここにあり!」

と、今の私の様な地位にある者が、どれだけ叫んでも、
よそ目には「絵に描いた餅」にしか見えないのが現実でしょう。

しかし、世の中には「想像妊娠」というものもあり、
実際、空腹や不幸感を長期間忘れさせ得る理想も夢もあります。

それを己の義と感じて、奮い立つ事が出来る者には、
これが一切れのパン以上の効力を発揮する場合もあり、
また命を奉げて行動する原動力にもなり得るのであります。

現にこの私がいい例であります。呵々

「人はパンのみにて生くるにあらず
 神の道(コトバ)によりて生くるものなり」

さて、今回の「惟神の道/靑年の意氣を持て」で問われる
寿命観でありますが、私も【大雑派】というタイトルで
毎週、公開している音楽動画に添える投稿で、
138歳までハードロッカーをやると毎回宣言しております。

が、そこでハードロッカーをやめるとは宣言しておりません。

私は令和二年十一月十七日に無事、還暦を迎えましたが、
まだ宣言年齢の半分にも達しておらず、しかも、
138歳までハードロッカーをやると毎回宣言しておりますが、
そこで死ぬとも、一度も予告してはおりません。

一方、みろくの世になると、人は120歳が最低になり、
五百歳でも生きるそうですし、
旧約聖書創世記の頃は、神様から、

「善悪を知る木実を食べたら死ぬ」

と云われたアダムでも、千歳近くまで生きましたので、
【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】を実行して、
エデンの苑が地上に復活したら、還暦くらいでは、
まだまだ十分の一にも達していないのであります。

尤も、私の肉体は、
糖尿病の初期段階を疑われた頃から、
必然的に白髪が増え、
映像に映ると総白髪になった様に見えますが、
実際はまだまだ黒髪がたっぷり残っておりまして、
映像には白髪の反射の方が強く映るから、
そう見えるだけであります。

アニメ銀魂に入れ込んでた頃は、

「銀さん、銀さん言って毎日騒いでるから銀髪になった」

と、おどけておりましたが、還暦になった途端に、
御縁を得て、またバンドっぽいことを
やらして頂ける様になりましたので、染めた方がいいかな…
とか、腹筋ベルト使おうかな…とか、
見栄えが気になるようになって来ております。呵々

今の私は、働き盛りの頃から比べたら、
四分の一程度の食事しかしないのでありますが、
それでも、救世の大光明霊団が私の体に入って来ますので、
霊が太く膨れておりますから、
ちょっとの食事でもなかなか痩せないのであります。

入ってくる霊団がタヌキやキツネの類ではない証拠に、
小食でも全然痩せません。

勿論、長時間食事しなかったり、
バンドをやった後は、労力に見合った空腹を覚えますが、
既に胃袋も小さくなっておりますので、
ちょっと食べ過ぎると膨満感で苦しくてたまりません。

故養父もよく言っておりましたが、

「仕事が飯を食う」

というわけですが、
そういう場合は食ってもあまり太りません。

キツネやタヌキに憑かれていると、
いくら食ってもキツネやタヌキの腹に入るので、
肉体は逆に痩せていくようでありますが、
私の場合は、太い魂を持った英雄霊団が寄って来るので、

「武士は食わねど高楊枝」

で、食わなくとも太るばかりであります。呵々

残念なのは、この度の免許証更新時に、
要メガネになった事ですが、
実を言いますと、眼が良かった頃より、
美女のストライクゾーンが広がり、
面白おかしく過ごさせて頂いております。

流石に息子の方は、ちょっと大人しくなりましたが、
その気になれば、意志のままに立ち上がらせられます。

その分、若干噴火的な快感は減りましたが…呵々

まあ、若い頃の様にいくら喰ってもなかなか太らず、
ちょっと女の子のことを考えただけで、
前屈みになるようなことはなくなりましたので、
その分、食も減り、余計な気遣いも減り、
堂々としていられるようになりました。呵々

どちらが得なのかは、よくわかりませんが、
思う女との恋が敵わず悶絶する機会も減り、
こういう怪しみ疑う獸の世で、神様事を継続するには、
ちょうどよい情態かもしれません。呵々

私は、高校の修学旅行から帰郷して以来、
おみやげに書いてあった

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
 急ぐべからず。
 不自由を常と思えば不足なし。
 こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
 堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
 勝つ事ばかり知りて、
 負くること知らざれば害その身にいたる。
 おのれを責めて人をせむるな。
 及ばざるは過ぎたるよりまされり。」

という徳川家康のことばが好きでして、
それから故ブルース・リー御自慢の「ワンインチパンチ」
というのが好きで、小さな力で大きく働くことを
いつも念頭に置きながら生き延びて来ましたので、
現代の在宅でインターネットを活用出来る境遇に
とても助けられております。

これがなかった頃は、
本を出版したり、それを売り歩いたり、借金に追われたり、
講演活動をしたり、著名人や実力者に、
おどおどびくびくしながら御挨拶に行ったり、
論敵からの刺客に備えてボディーガードを持ったりと、
手間がかかること甚だしくて、
そうそう簡単には動けませんでしたが、
現状、苦労するのは、この原稿づくりと、
その後の動画作りの時だけで、
動画として、一本デジタル化してしまえば、
動画サイトに公開して放置しておけば、
時の経過と共に少しずつ効いて来るので、
労働力としては最小限の疲労で済むわけです。

ちょうど防虫剤一つ置いておくだけで
害虫駆除が進むのと
効果的には似ているかもしれません…呵々

肉体疲労が減れば、当然ですが、
寿命も延びる道理です。

人間は苦しむ時間が少ないと、
自動的に老いからも解放されます。

尤も、生まれながらのとっつぁんぼうやは、
この限りではありません。

年を重ねると、
若さを意識したりするものですが、
若い頃は逆に、
貫禄と凄みのある渋い大人に憧れます。

そう思うと、あまり若さを気にし過ぎるのも、
不自然な感じがしますが、
年長者になっても、
いつまでも学ぶ姿勢を忘れずに
謙虚さを保ち続けるのは、
ほとんどの場合、良い事だと思います。

ただ、ある程度年長なのに、
若輩に年長の威厳を期待されているにも関わらず、
雷親父の一撃的な一吠えが出来ないと云うのも、
これはやはり頼りない事なので、
そこはあまり偏らず、
時処位と程をわきまえた行動を
とるべきではないかとも思います。

私の場合は、元々が子供みたいな性格なので、
白髪が増えても肉体に老いが現れて来ても、
所作に子供っぽいいたずらっぽさが
すぐに出て来ますので、
あまり緊張感を保つのは苦手ですが、
ブルース・リーや
クリント・イーストウッドに憧れた十代や、
緊張感のあるハードロッカーに憧れた二十代は、
やはり、それなりに
「寄らば斬る」という殺気に満ちて、
故養母からも「痩せぎす」と
揶揄された頃もありました。

今思うと、あの頃は、
若干、邪悪寄りだったかもしれません。

志こそ「みんなしあわせになれ」でしたが、
今に比べたら我が強かったかもしれません。

すると体調も優れず、腫物がよく出来たり、
鼻炎アレルギーに悩まされたり、
満足に働けず、で、
若くて体力があったから生き延びられましたが、
おそらく、かなり不健康な毎日だったと思います。

お月様と一緒で、
三日月は剣の形でありますから、
痩せていると、邪悪で獰猛になりがちだなと、
還暦になった今振り返ると、そう感じます。

やはり、神様は満月の様に円満なので、
若い頃、本気のつもりでやっていた
殺気に満ちた諸々も、
今は笑いながらお遊びでやっていたりします。

まわりがよく見えないと警戒心が強まりますので、
つまりまだまだ未熟なので、
余計な殺気が出ます。

勿論、演技として緊張感に満ちた殺気を演じる事も
出来る様になるとは思います。

お月様も、年中満月ではありませんし、
太陽は四六時中円満ですが、光が強過ぎて、
簡単には近づけません。

神様は永遠の存在ですから、
常に新鮮でありながら、尤も古い存在でもあります。

一方、皇道經濟が必要なのは、
限られた人生を、この地上で与えられている、
吾々人類万類のみであります。

野生の動植物達は自然の摂理に従って、
日々循環しているのでありますから、
自然の動植物に皇道經濟は必要ありません。

しかし、肉体を持った人類が
地上でうまくやるためには、
この皇道經濟がなければ
世は乱れ滅ぶ方向に向かうのです。

それにしても、出口王仁三郎聖師も、
ちょうど私が還暦を迎えるタイミングで、
私が、こういうことを始める事を、
100年以上も前に、つぶさに霊眼で見ていたかのように、
こんな内容の記事を出しておられるのが、
私には、なんとも不思議であります。

まったく神様の御縁には、
距離も、時間も、過去も、未来もないということを、
実感せずにはおられない私であります。

以上。合唱。

   【皇道經濟と靑年の意氣】

ちなみに私は、この半生で皇道經濟に出会うまでは、
どんな仕事が最も自分に合った、神人合一の仕事かと、
よく考えたものであります。

少年時代は、陽気にさわやかに働く皆さんが大好きでしたが、
一方で、生活の為に、やむなく好きでもない仕事に縛られる
屈折した大人の顔を見るのが非常に嫌いでありました。

そんな私が、生まれて初めて賃金の為に働いたのは、
高校時代に一緒にバンドを始めようと誘ったドラマーが、
駅地下の中国料理店でのウェイターをやめるために、
私を後釜にするつもりで、そこに紹介した時でした。

夕勤アルバイト初日に、最初に命じられたのは、
日中に出た生ゴミを所定の場所に捨てに行くことでした。

寸胴に三つくらいに貯まった生ゴミを台車に乗せて、
従業員用のエレベーターまで運び、
生ゴミ回収用のバスケットに生ゴミを捨てるために、
重たい寸胴を持ち上げなければならないのですが、
臭いですし、眺めのいいものでもないですし、
私の幼馴染などは、せっかく私がバイトに紹介したのに、
それが嫌だったらしく、その場で辞めたようです。

私はその頃から、どうせ働くなら、
世の為人の為だと思って、さわやかに働かないと、
その職場の皆さんにも失礼だと思ったので、
嫌な顔一つせずに、これも自己流拳法の修行だと思い、
逆に毎日楽しみにするようにしてやっておりましたら、
二月ほどでレジ番に交替させられました。

安いバイト代は、ほとんどバンドに投資しておりました。

お金の為に働くというのが、分らない頃だったのです。

基本的に二十代の頃は、ずっとそうでありましたが、
アレルギー性鼻炎が凄まじかったので、
養父が日当で紹介してくれる防塵マスク無しの仕事は、
一日で逃げ出すことが多かったです。

ただ当時は、ただの風邪だと思っていたので、
花粉症という言葉が出てくるまでは、
自分はなんと不甲斐ない男かと…
自己嫌悪してもおりましたし、
故養父からも馬鹿にされておりました。

意外に花粉症と云う病名は新しいものです。

同時に神様の独学を続けておりましたので、
何か、神様と一体になれて、世の為に人の為になり、
自分にぴったりの仕事はないものかと、
日々、ないものねだりをして過ごしておりました。

月給三十万円以上という売り文句に釣られて
完全歩合の営業をやったりもして
ビギナーズラックで一度は売れて期待されても、
やはり激しい花粉症で身がもたなくなり、
中途退社して、
次は固定給の福祉営業という売り文句に釣られ、
リース営業車を乗り回せることにも魅力を感じ、
自治会への書籍の回覧営業を始めましたが、
これは比較的に順調で、二年くらい続いたと思います。

始めはわけもわからず不調でしたが、
行く先々で、神社に挨拶してから、
ポストに趣意書を入れておくだけで、
神の補けか、先方から電話があり、
順調に営業成績が上がり、
わけあって辞める頃には、
営業所でトップになっていました。

その頃は金まわりもよくなり、
バンド仲間も増え、いい感じだったのですが、
事務所の事務員が年上の美人で、人妻で、
その方があまりにも誘惑的に声をかけて来るので、
まだまだ若かった自分には抗する事難く、
思わず一発やりそうになった時に、
事務所の中まで響き渡る様な雷鳴が轟きわたり、
バケツをひっくり返した様な大雨が降りだしたので、

「こりゃ、神様が御立腹だ」

と、色魔をイヤイヤ退け、
その魅惑的な人妻から離れる為に退社して、
派遣会社を介して、
近所の自動車設備工場に入りました。

この頃は、神様の御加護厚く、
私も仕事熱心だったので、
ある意味モテ期で調子に乗ってましたが、
一緒に神様の道を探求できるような、
上等な美女には巡り合えなかったので、
私も調子に乗って、いい気になって悩んでましたから、
二十歳の時にバイト先で出会った、

「まなみちゃん」

を御守りの様にして、
美女に結界を張る様にしてましたが、
それくらいでは、恋の病と色魔は退散しません。呵々

いろいろ経験して、自家用車を持つようになり、
近所の自動車設備工場に派遣で勤めるようになりましたが、
始めの頃は機械油で鼻が腫れて、出勤するのが辛くて、
よく休んだものです。

そんな時に、昭和天皇が崩御されたり、
霊界物語が八幡書店から一般向けに出版されたので、
これを拝読する様に、本当の神徳を頂き始め、
少しずつ、恋の病と色魔に強くなったのであります。

煙草も徐々に必要なくなり、酒に触れることも減りました。

自動車設備工場では、おばさんしかいなかったので、
色魔も恋の病も無縁でしたが、事務員の中には、
多少気になる美人もチラホラとは見かけました。

そのうち、南米から日系三世の男女が補充されたのですが、
白人と混血した日系三世には美女が多く、
あちらはメイクラブに積極的なので、色目は浴びましたが、
何せ言葉が違うので、密な関係にはなかなかなれず、
そういうことも靈界物語を拝読していると、
言霊の違いによるアレコレが見えて来て修行になりました。

ところが、御年輩の日系三世は喜んで残業をして、
毎月三十万円以上稼いでいるのを知り、
私も見習うようになり積極的に残業する様になりました。

霊界物語も、取りつかれたかのように、
毎日欠かさず二時間以上も拝読したので、
私の霊格も一気に上がりましたが、
一人の日系三世の美女をドライブに誘った翌日の
休み時間にかけたポルトガル語の一言が、
神様のいたずらなのか、御加護なのか、

「嘘つき」

を意味する「メンティローソ」という言葉になってしまい、
その美女が大変怒ってしまったのです。

私は、休憩を意味する「ディスカンソ」と
云ったつもりでしたが、口が勝手に「メンティローソ」と
言ってしまっていたのです。

すぐにそれに気づけばフォローできたのですが、
どうも、その美女には故郷に婚約者か、旦那がいたようで、
他の日系人達は、私が「メンティローソ」と云ったのを、
そのことを隠して私とドライブデートした彼女を
非難したのだと早合点して、それで彼女は傷つき、
他は私に好意的になり、で、
私のスケベ心で起こす筈だった過ちを、
神様が未然に防いだようです。

当時の私は、その美女とうまく行っちゃうなら、
「まなみちゃん」も卒業かな…
くらいに考え始めてましたが、その後、
日系美女による離婚詐欺も世間では起きていたので、
それを思うと、先の先まで見えている神様に脱帽です。

今の世の中では「成田離婚」などもありまして、
慰謝料目あての離婚詐欺も少なくないそうなので、
皇道經濟が行われないこの世の経済は、
全く地獄の沙汰だと痛感させられるのであります。

先の福祉営業会社での年上美女人妻とも、
もし一発やってたら、旦那との間で、
どんな裁判沙汰になったかもわからないわけで、
龍神様もいい所で、雷鳴轟かせて、大雨を降らせて、
私の目を覚ましてくれたものだと、
今思うと、感謝するしかないのであります。呵々

まったくもって「純真な靑年」とは、
血気盛んで、後先考えずに暴走しがちなものですから、
私の様に、三十歳になってから、
活きた神様に巡り合えたのも、
なかなか珍しい幸運だったのではないかと思います。

はたして、三十歳を、青年というべきか、
中年と云うべきかは、
多少、議論の必要があるかもしれませんが…

呵々

兎角、青年というものは、

「色男、金と力はなかりけり…」

で、あると思いますので、せっかく神様の御用に勇んでも、
あれこれ悩みの多いものだと思いますし、
二度と立ち直れないほどの信仰堕落に陥る危険もあり…

当時、既に統一協会の統一原理を学んであったので、
もし、出口王仁三郎聖師の靈界物語がなかったら、
今の様に、堂々と神様と皇道經濟を語ることは出来なかったと
強く、強く、思うのであります。

私も、こんな青年時代を生き残った卑しき者の一人であります。

そして、そんな経験者でなければ「卑弥呼」による救いの道も
皇道經濟も【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】も、
理解することは出来なかったものだと思います。

私は、分からなかった頃は、この「卑弥呼」の文字が、
漢学者による倭人蔑視の嫌がらせだと感じ反感を覚え、
「みんなしあわせになれプロジェクト日記」でも、

「卑弥呼は高姫だ」

と、決めつけていたものでありましたが、
それがイエス様の説くように、

「いと弱く小さき者を救う」

という意味だと理解できた途端に、180度転回して、
賛美するようになる様な、お調子者の卑しき者であります。

「卑しきものを弥広くから呼び集め救う」

まったくもって、然り、然り、であります。

それはつまり「少名彦命」という意味にもなるのであります。

少名彦命はナザレのイエスの前世であると、
霊界物語にも記されてあるのであります。

そしてそれはなんとなく「靑年」ということになるように
私には思えてくるのでありまして、
霊界物語にも「靑垣山内」という章もあるくらいですから、
靑年の失敗を恐れず進む意氣とは、
悔やまれながらも愛おしいものではないかと思うのであります。


   【誠(ホツマ)の言霊と七十五声】

「ホ」から始まって「マ」で終わる五十連の言霊を、
「ホツマ」と申し上げるのであります。

「ホンマの言霊」でありますから、
「誠の言霊」ということになります。

重音、濁音、破裂音、を加えると七十五声の言霊となり、
天国至微天宮に於いては重音、破裂音を加えた

 アオウエイ A O U E I  
 カコクケキ KaKoKuKeKi
 サソスセシ SaSoSuSeSi
 タトツテチ TaToTuTeTi
 ナノヌ子ニ NaNoNuNeNi
 ヤヨユヤエヤイ YaYoYuYeYi
 ラロルレリ RaRoRuReRi
 ワヲワウヱヰ WaWoWuWeWi
 ガゴグゲギ GaGoGuGeGi
 ザゾズゼジ ZaZoZuZeZi
 ダドヅデヂ DaDoDuDeDi
 バボブベビ BaBoBuBaBi
 パポプペピ PaPoPuPePi

が、現世に現れる前に生まれているのであります。

「ア行」の言霊は、
本来全て一画を空けて書く必要がありますが、
PC上の辞書には、そのようなフォントがありませんので、
現行やむなく、現状のフォントのア行を用いました。

正しくは「エ・イ」は「ヤ行」
「ウ」は「ワ行」に用います。

現代は、第二次大戦以降、
大自在天神大国彦の英米西大國(エベスダイコク)が、
盤古大神塩長彦の文字圏を支配しておりますので、
日本語も、アメリカ合衆国日本国州の文字を
標準としておりますから、
筆記や日本語ワープロでは、
これらを外字として表記することが出来ますが、
PCでこれを訂正徹底する時期には至っておりません。

世界に皇道教育が徹底する時に、
皇国の文字として訂正するべき事項であります。

艮の金神国常立命の時代に於いても、
既に以心伝心能力が劣る神々もあったので、
神代文字は存在しましたが、
世界各地で覇王の政権交代時に焚書が行われ、
言論統制の変更も行われたので、
正式な記録から削除された文字もたくさんあります。

また、神界に於いては、
一つ上の階級のことは全く分からないので、
同じ波長の神々同志は、以心伝心でやり取り出来ますが、
下の神々は上の神々から、文書や言葉を頂かねば、
上からの勅命は一切判らぬようになっております。

動物の言霊は語頭や語尾に「ん」がついたり、
語尾に小文字のヤ行や「つ」がついて出来ております。

畜生の言霊にも訛りがあり、
日本の猫は「にゃぁ、Nya」と啼き、
霊格が上がると「ナオとかナン」と啼くようになり、
家猫になると飼い主の語調を真似るようになります。

海外の猫は「Miyo,Mya」と啼くようです。
海外の猫は「魔王」と云われ魔を制するようです。

犬も日本の犬は、
「わん、Wan」「ぎゃん、Cyan」と啼き、
霊格が上がると「オン、恩」と啼きますが、
海外では「Vaw」と啼くようです。

家犬になると、やはり、
飼い主の語調を真似るようになります。

輪廻転生を信ずるも信じぬも各自の霊格によるので、
誰にも強要は出来ませんが、
家畜は人間に生まれることに憧れを持つようになるので、
食物連鎖に従って強い畜生と合体しながら霊を育て、
龍神になるのが畜生道最後の修行になっております。

本来の仏教も、キリスト教も、輪廻転生を説いていないと
主張する人もありますが、それは既に他が説いているので
重複していないだけのことであります。

例えば、ナザレのイエスが、悪霊に頼まれて、
病人から豚に乗り移らさせて、
その豚が自殺して罪滅ぼししますが、
これは新約聖書に記された輪廻転生の一例であります。

悪霊は他の生き物に乗り移って罪滅ぼししますが、
イエスの弟子達は、イエス復活後に各地に散って、
人間のままで殉教して罪滅ぼししました。

それで聖人の列に加えて頂く資格を得たのでありまして、
これも輪廻転生とは言っておりませんが、
やはり、輪廻転生の一種であります。

生き物が輪廻転生する時は、定命を全う出来ずに、
殺されたり、事故死した時で、その時は恨みに応じて、
蛆の群れや蟻の群れに生まれ変わって、
思いを遂げようとします。

人間も、きちんと埋葬されずに野ざらしで死ねば、
やはり、そのようになりますが、
精霊は、重構造なので、
その御用に応じて各種事情があります。

つまり、輪廻転生は畜生界の摂理でありまして、
龍神以下の人間及び各種生物が経験することであります。

仏陀やキリスト、霊止は、輪廻転生の外にありますが、
仏陀は輪廻転生を経験した末に解脱した覚者なので、
母の脇の下から生まれてすぐに両手で天地を指さして

「天上天下唯我独尊」

と宣言したなどという
霊的な伝説も残っているのでありますが、
おそらく現実はもっと平凡だったと思われます。

キリストも、降誕、復活、降臨、再臨と、
似て非なる段階があり、
キリストは元はヤハウェなので、そのまま現れると、
善も悪も関係なく、全てを消滅させてしまうので、
一度、人間に降誕して、人生を経験して、
肉体を十字架で殺して復活し、その後は降臨したり、
再臨したりするのでありますが、
二度と再び降誕することはないと云われております。

降臨する時は、個人的な救い主として臨みますが、
再臨主としては皆にハッキリと姿を現して、
選ばれたイスラエルの民を招集して、
千年王国を支配するそうです。

千年王国から除外される異邦人達には、
また別の生き場所が用意されているといいます。

我が、合法非公認政党 皇道經世濟民党 の

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

は、この「みろくの世」で使うことになると思います。

キリストが再臨主として神と共にある真エルサレムは、
そもそも經濟が不要な世界であります。

「聾(ツンボ)」の文字は「龍の耳」と書きますが、
「龍」には誠の言霊しか聞こえないので、
いたずらに勝手な言霊を発しても龍には聞こえません。

漫画でドラゴンボールを全部集めても、
シェンロンを呼び出すためには特別な呪文が必要なのも、
それを漫画的に例えているのだと思います。

人間も、男だとか女だとかいって、
上位を争っている間は畜生の類でありますから、
これがどんなに勝手な言霊を発しても、
それ相応の神界にしか届かないので、
効力もまた、それ相応ということになります。

   〇    〇    〇

   【数霊別の法】

※【皇道經濟について(九)】から校正

自己を中心に広がる天地東西南北の六方位の
大靈界がこの「六」になるのですが、
神御産巣日神以前の未発の宇宙は、
天中地の三段全てが泥水で、
時間も順序も秩序もない混沌だったのであります。

これを「六六六大神」と申し上げます。

この「六六六大神」は、
鱗一つない青白い鰻の様な存在で、
暗く冷たい混沌の泥海の中で、
漫々としていたのでありますが、
次第に「スー、スー、スー」と澄み極らいつつ、
泥海の泥が沈み始め蟒蛇(ウワバミ)が生じ、
骨が塊り始めたある日、自我が目覚め、
「ア」っと叫びつつ、発根(ホッコン)として、
立ち上がったのであります。

⨀(ス)の言霊が「ホオヲヘエヱフウウ」と考え始め、
「ヒ」らめき生まれて「ミ」を振り返り、
「イヰ」と陰陽の区別が生まれ始めて、
「ハア」と「ワ」に目覚めたのであります。

これが後に「倭」の言霊となり、神武の因となり、
「ヤイユエヨ」と勇み始め、
「ノ子ヌ二ナ」と泥が底に沈んで地が生まれ、
「ラリルレロ」と気流が発生し、
「コソケセクス」と火水を生じ、
火は「キカ」と天に上がり、水は「シサ」と地に降り、
金の御柱となり「タチツテト」と、
常立になられ、「モメムマ」と火水陰陽を結びて
万物を産み給うたのであります。

初期の我が地球上に於いては、未だ善悪の区別なく、
人の姿も各自の思いにより自由自在に容姿を変え、
その優劣を争う事が激しくなり、これを憂いた神々は、
地上の立直しを決定し、大洪水を興して立替え、
地上は泥海に沈んだのであります。

そうして、立直しの命を受けたイザナキ・イザナミが、
再びこの五十連の言霊を用いて、
島生み・神生みを行われたのであります。

    【大本言霊学】

   「五十連十行の發(オコリ)」

 天地の初発に伊邪那岐伊耶那美の二柱
阿那邇夜志愛袁登古袁(アナニヤシエオトコヲ)と詔意て
御合ましし時に

[一]ヽ(ホチ)と㋭の靈現
其身魂⨀(ヽは男神の火・〇は女神の水)
如是此靈の現るを、
淡路穂狭別島(アワジノホノサワケジマ)を生といふ

[二]其ホの靈右に割別れて气起り㋔の靈をなし
[三]左に割別れて㋾の靈をなし

[四]次に气脹(イキフクルル)の㋬の靈起りて
[五]右に割別れて天地の胞衣の㋓の靈をなし
[六]左に割別れて胞衣搦(カラ)むの㋽の靈をなし

[七]其胞衣の中より
   水火二つに別れんとして㋫の靈起て吹き
[八]右に浮曻の(ア行)㋒の靈起り
[九]左に渦巻き降り(ワ行)㋒の靈起て

[十]竟に㋪の靈起て火となる
[十一]次に㋯の靈現れて水となり
[十二]亦水は火の為に右に割別れて
    昇る水火の(火水と現る也)㋑の靈をなし
[十三]火の靈は右に割別れて
    引水火の㋼の靈をなし水火(シホ)と現る也

[十四]次に水火(イキ)放(ハナルル)の㋩の靈起て
[十五]水の气は月となりて
    右に割別れて㋐の靈を現して天をなし
[十六]火の气は日と現れて左に割別れて
    ㋻の靈を現して地をなし

水の靈の月に 𪱨 (朧オボロ)にして形を茲に見せす
火の靈の日は形を茲に現す
故にア行は天を宰(ツカサドル)
ワ行は地を宰(ツカサド)り
ハ行は地の(は)方を宰(ツカサド)る
(此アワの二行はホの一言より割別をもて
 アワ道のホの狭別と云ふなり)

[十七]次にアの靈の水は
    ワの靈の火とを文(アヤ)にして㋳の靈起り
[十八]次にア行のイとワ行のヰと文にして
    入息の(ヤ行)㋑の靈起り
[十九]次にア行のウの水と
    ワ行のウの火と文にして㋴の靈起り
[二十]次にア行のエとワ行のヱと文にして
    意夜の胞衣の(ヤ行)㋓の靈をなし
[廿一]次にア行のオとワ行のヲと文にして
    水火を興(クム)の㋵の靈起りて
    引水火(ヒクイキ)定まり發して出
[廿二]水火の正中(マナカ)に㋨
[廿三]㋧(子)
[廿四]㋦
[廿五]㊁
[廿六]㋤と起て総て水火(イキ)の中に位す

是を伊豫の二名島と云ふ
(伊豫とは息興(イヨ)なり二名(フタナ)とは
 出入息の二つの中と云ふことなり
 島は行(シマ)なり)

次に
[廿七]㋶
[廿八]㋷
[廿九]㋸
[三十]㋹
[世一]㋺
と起りて引息を搦て降る
(ナニヌネノは淸き水にて曻
 ラリルレロは濁水にて降る)
是を筑紫島と云ふ

[世二]此濁水降り従て引息の火の靈
    弓甬(彌)凝て㋙の靈起り
[世三]ロの濁水と興(クミ)て水火(シホ)揭(カタマル)の
    ㋞の靈起りて地の初めをなす
[世四]其の動をなすに従て差別分の㋘の靈起り
[世五]其の差別分に従て水火興の㋝の靈起り瀬となり
[世六]其瀬をなすに従て㋗の靈起て土をなす
[世七]其土をなすに従て㋜の靈起て洲となり
[世八]其洲現るに従て火の气(イキ)の㋖の靈起て
[世九]雲霧霞も晴て㋕の靈起て日と暉て影をな志
[四十]其暉に従て洲の上に㋛の靈の水起て
    (此れの水を淸水と云う清は借字也)
[四一]次に㋚の靈起て上に割別れて曻り

カ行は伊邪那岐神サ行は伊耶那美神
此二行の水火(イキ)誘双(サソイナラブ)を二柱の御名とす

カ行を伊岐島と云ふ(伊岐は息なり)
サ行を津島と云ふ(つは水にして津なり)

この二行起に従てラ行の濁水彌収(イヨイヨオサマ)るなり

生れて両眼を閉(トヅル)
総て口中の水を宰(ツカサドル)

小児の涎或は成長して言語の別ち悪しきも
皆此ラ行の濁水収らさる故なり

呼吸に在て離(ハナレ)す閉るはラ行の濁水にして
開くはカ行サ行の活用なり

故に此二行起てより澄(スメル)ものは曻りて天となり
人の言語の別をなす

然(心=火)して二柱の水火(イキ)に和して
伊邪那岐の气(イキ)は水中の火となりて降る
是をタ行といふ

萬物の種を宰て一より百千の數をなす

[四二]其種を宰の㋟の靈現る
   種は一粒にして百千の數をなし
[四三]次に㋠の靈現て千は一より始て百千の數をなし
[四四]次に㋡の靈現れツは續連(ツナガル)義にして
   一より二に續連(ツナガ)りて百千の數に及び
[四五]次に㋢の靈現れ手の名は一にして
   左右あり合て百千の数をなし
[四六]次に㋣の靈現れトは人の靈なり
   人の名は一にして女男あり
   女男興(トモナ)いて百千の数に及ぶ

此行総て萬物の旲根(タネ)のヽ(ホチ)を宰る

是を佐渡の島といふ
(サは細なりトは火也
 細なる火を宰る行といふことなり)

次に伊耶那美の气(イキ)の火中の水となりてマ行現る

此行(シマ)は潤水にしてタ行の火は興舫(クミモヤウ)
(此マ行の水を眞水といふ眞は借字なり)

[四七]故に㋲の靈起て
[四八]タ行と舫い㋱の靈起て
[四九]陰陽回り㋰の靈起て
[五十]陰陽(イキ)澄曻るに従て始て光を現して照暉き
   ㋮の靈起て圓(マドカ)をなし

然(心=火)して亦月の靈のミはムと睦み
メと回りモと日月(イキ)舫(モヤ)は
陰陽(イキ)舫いて萬物を生じ
人及び鳥獣草木悉く現れて一世界満足(ミチタラウ)なり

則ちタ行水中のヽ(火)と
マ行火中の〇(水)と興舫いて御霊⨀かくの如し

〇(マルキ)は萬物の子宮にして
ヽ(ホチ)は萬物一滴の種なり

是を大倭豊秋津島といふ也

  五十連十行の假名はかくの如し
  この十行の水火(イキ)を興(クミ)開きて言(モノイフ)ふなり
  其水火(イキ)を興(クミ)開き解(トキ)て
  詞(コトバ)の本(モト)を知るの法則は
  悉く次章に詳(アキラカ)にせむとす

※(出口王仁三郎聖師の難解な直筆を垣内政治が活字化)
       令和二(2020)年十一月十九乃至二十日

かくて六六六大神の泥海時代が終わり、
地上に五大陸現れ、
その中心に一滴の一つ旲根たる
五六七代の皇国と定められたる日本列島が
配置されたのであります。

即ち我が皇国日本列島が「ヽ(ホチ)」でありますので、
豊葦原千五百秋瑞穂国(トヨアシハラノチイホアキノミズホノクニ)と
申し上げ奉るのであります。

この五六七の代の皇国たる我が日本列島を
「千五百秋」と申し上げますのは、
新約聖書ヨハネの黙示録に記される

「天に召される十四万四千人のイスラエルの初穂の民」

の謎かけであります。

再臨のイエス様と共に天に復活する十四万四千人と、
モーセなどの地上への復活を望む異邦人達との二つが
ありまして、我が日ノ本は神武皇紀でありますから、
地上に復活する御先祖様方の為の地上天国の
中心として定められてあるのであります。

丁度、ノアの洪水の前にエノクが都ごと天に上げられ、
ノアが地上に残って、
洪水後の子種となった様な具合であります。

このエノクの都が天空に去ったと伝えられる
アトランティスかもしれません。

これも地上に復活する御先祖様として、
五六七の代には天から地上に帰って来るそうです。

それらの事の為に皇道經濟が地上に示され、

【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】

を、私、垣内政治が預かり、
世界にお伝えすることになったのであります。

六六六の天中地三段の泥海の順序が定まり、
天子様が地上に御降りになられ地の主宰と定められ、
それまで天中地を棲処としていた龍は、
龍神として昇天して中を棲処と定められるのであります。

この時、気候は穏やかとなり、規則正しく風雨を興し、
地上天国の農耕を助ける様になるのであります。

天の泥海も天子が地上に降りたことにより
水気の割合が一つ不足して光の国となるのであります。

要するに天子たる火はまた水気でありますので、
また瑞穂とも申し上げるのであります。

これを火中水靈と申し上げ奉ります。

この瑞穂の力徳で、地上大地の水は氷山となり安定し、
陸地が更に広がるのであります。

※天の火は「火中水靈」にして、
 その体は火にして靈は水気である。

 従って天火の一点が地に降るとは、
 天の水気の一点が地に降ることと同意義となる。

 これによって天火の暉きは益々厳出る光輝となり、
 皇紀昭らかとなるのである。

 地の水は「水中火靈」にして、
 天より「火中水靈」の火体水気降るにより、
 海水中の水気増し、体の水は天に上がり雲となり、
 また南極に集まり氷山となり地上の海底が陸となり、
 人口増加に間に合うようになるから、
 これまでイルミナティーが考えていた人工削減も、
 不要の愚策と化す。

 これによって地上の海水量と空中の風雲のバランスが
 地上天国に最適化され、
 暦通りの規則正しい気候となるのである。

従ってミロクの世になると、今の日本海の水が引いて
陸になるので、そこに人民が住む様になるのであります。

同様に太平洋の水も引きますから沈んでいたムーなどが
姿を現してくることになります。

日本の富士山は、
今の四倍から七倍ほどの高さになるでしょう。

その時は、音もなく、水が引きますので、
静かに陸が上がった様に感じられるのであります。

潮水が氷山化して海底が陸になった時に、
どれだけミネラル豊富な農地が増えるのか、
塩害などは大丈夫なのか、気になるところですが、
ミネラル豊富な本物の塩は、
市販されている塩化ナトリウム食塩とは違いますので、
豊かな海に海藻が豊富なことを考えれば、
その様な作物に代わるのかもしれません。

例えば、日本人が海外と比較して、
新型コロナに耐性が強いのも、
子供の頃からワカメやノリなどを常食していたから、
という説もあるようですので、
そこに鍵があるかもしれません。

海外の皆さんは肉食系で腸も短く、
消化不良を起こすせいなのか海藻食の習慣がなく、
海藻にのみ含まれるある成分が体内に無いために、
ウィルスをブロックして胃に運んで消化、
もしくは排泄することが出来ないのが弱点らしいです。

それともう一つ、日本人はトイレと下水道を
世界一清潔にする民族性ということなので、
そういうことも要因して、
日本人はウィルスに強いそうです。

更には、日本には、蘇民将来や、
アマビエ・アマビコなどの預言もあり、
疫病に対する準備が民間信仰的に広がっているのも、
幸いしているのかもしれません。

これがもし、頑固な聖書國であったなら、
アマビエ・アマビコなどの妖怪に
疫病除けを縋ることも出来なかった筈ですので…

世の中、何が幸いして、
悪魔の魔手から逃れられるか、
判らないものであります。

現代日本は、アメリカ合衆国日本国州ですから、
西洋にかぶれた明治大日本帝国に加えて、
アメリカ医療にとって代わられ、
経済復興後は偽ユダヤ資金の差し金で、
無神論的医学が充満しておりますから、
なかなか困った時の神頼みというのも難しい現状です。

特に、核家族化で子育てに過敏になっている
耳歳増的な潔癖ママ達は、
この様な無神論的最先端医学に対しては早耳ですが、
有神論的神秘医療に対しては懐疑心が強いため、
大切な子供や家族の命がかかった場面で、
これを伝えるのはかえって藪蛇ともなります。

こうした民間信仰的な情報に即応できるのは、
やはり、日頃からの信仰心の賜物としか、
言う事が出来ないのであります。

例えば、体内で最も頼りになるのが、
唾液の殺菌力なのですが、
今回の悪魔が仕組んだ偽造パンデミックのウィルスも
口内から侵入するものは、唾液や鼻水が捕らえて、
排便したり、鼻くそにしたりして封じるのでありますが、
現代の美容健康ダイエットの影響で、
唾液を不潔がったり、鼻毛を毛根から抜き取ったりで、
そこから既にウィルスに対して無防備にさせています。

また感染源を咳・くしゃみなどの
唾の飛沫感染のせいにしていますが、
実際は、手が触れたものから口や目などから
侵入する場合が多いようです。

しかし、新型コロナといわれるものも、
またその他のウィルスも肺に入らなければ、
重度の症状になることがないそうです。

海外などでは、先進国のアメリカでも、
トイレットペーパーを便器に流さず、
ゴミ箱に捨てる様になっているそうなので、
実はそれが感染源である可能性が指摘されています。

悪魔側の配下にある各国政府や知事などは、
免疫力を低下させるために、
大声で話し合ったり、歌ったり、
会食することを禁じて、それでストレスを溜めさせて、
気の弱い皆さんが、感染を恐れて診察したり入院して、
とにかく人類の霊性を塞ぐためのワクチン投与を
種痘の様に義務付けるために懸命なのであります。

また、気の弱い人は、自分の判断で、
少しでも症状がよくなると、
(…実は罠を仕掛ける側におだてられて
 元々ない症状が回復するだけなのですが…)
自分の選択を周囲に声高に薦めるようになりますので、
二次、三次と同胞を悪魔の側に集めるようになります。

何でも型にハマらないと気が済ないタイプの皆さんが、
この罠にまんままとハマる様です。

勿論、私がこれを言ったところで、
既に無神論に感化されている皆さんは、
まんまとこの罠にハマるようになっていますから、
各自が、自分の判断で、次の言動を選択して、
悪魔の魔手から逃れて、神様の懐に飛び込む以外に、
残された道はないように思われます。

この魔手が迫っていても、
そこから強制的に救い出される人は、
余程、日頃から神様から見守られているのです。

「災い転じて福となす」

こういう人は、いわゆる悪運が強いのです。

悪魔に狙われている人は、
逃れよう、逃れようと焦れば焦るほど、
手も足も出なくなりますが、
どうなろうと無抵抗主義を貫徹していると、

「人を呪わば穴二つ」

で、仕掛けた側に災いが跳ね返り、
一方、仕掛けられた方は、それを幸いに、
自分自身を拡大させていたりもするのです。

さて、私も、何のめぐり合わせか、
この還暦を境に、急激に面談や外出が増えましたので、
一連の動画を更新するペースに影響が出ております。

これを機会に、しばらくは週一ということに拘らず、
内容の不備を防ぐためにも、少々スパンを広げて、
更新を続けて行こうと思いますので、
どうぞ視聴者の皆様、愛読者の皆様には、
今後ともよろしくお願いいたします。

以上。合唱。


   〇    〇    〇


以下、出口王仁三郎聖師の如是我聞
『新月の光』より抜粋しましたので、今後の、

合法非公認政党 皇道經世濟民党

の活動の参考にして頂けましたら幸いです。

〇五男神は五大洲の先祖

アジアは葦原から転訛したのである。
正勝吾勝とえばアジアという事になる。
  
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)は
アジアにおられたのであり、(日出別神として活躍)

天之菩卑命(アメノホヒノミコト)は
 出雲から南洋(黄泉島)オーストラリヤを支配され、
天津日子根命(アマツヒコネノミコト)は
 欧羅巴(ヨーロッパ)、
活津日子根命(イクツヒコネノミコト)は
 アフリカ、(高国別のちに高山彦となのりアフリカの主宰となる)   
熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)は
 アメリカ、(八島主命ととなえる)

を支配しておられたのである。
  
五男神は五大洲の人類の祖先である。

この事をいわないと世界は統一出来ぬのである。

〇アジアと世界

本アジアが現在のアジア
東アジア…アメリカ
西アジア…ヨーロッパ
南アジア…豪洲
西南アジア…アフリカ

で、太古は世界をアジアといったのである。

アジアは葦原より変わったのである。
アジアもアメリカもアフリカもエウロッパもオーストラリヤも
アに反る(言霊反し)のである。

大八洲とは世界の事である。

日本人が判らぬので判るように日本の島々に名をつけて
神様が教えられたのである。

               (昭和十七年十月十二日)

(参照)『靈界物語』第三十九巻「総説」
(葦原は亜細亜の意味であり、
 葦原はアッシリヤとなりアジアとなったのである。
 太古の亜細亜は現今の小亜細亜であったが、
 時世の変遷と共に、広大な亜細亜となったのである。)

〇アーメニヤ

アメは天でアーメニヤ。天照大神はここにおられた。

        (昭和十七年十一月十六日 桜井重雄氏拝聴)

〇天菩卑命(アメノホヒノミコト)

天菩卑命は印度と豪洲を治めていられた。

        (昭和十七年十一月十六日 桜井重雄氏拝聴)

〇国常立尊と二二岐尊

国常立尊はアーメニヤ方面から、日本(現在の)へおいでになった。
年代はほとんど同じくらいである。
二二岐尊の降臨の高千穂の峰は富士山である。

        (昭和十七年十一月十八日 波多野義之氏拝聴)  

〇経済で世界を立替

今度は世界を経済で立替える。

                 (昭和十七年)

〇経と緯の万世一系

「天皇は天御中主神の顕現であって、名前が万世一系だ。
 今までは経(タテ)ばかりの万世一系であったが、
 これから緯(ヨコ)の万世一系を拵えて
 朝鮮、支那というふうにして世界十字に踏みならすのだ。
 お筆先のことを開祖と自分(王仁)のことのみに
 とっているのは小さい事で、実はこの事である。
 火は経であって日本は今まで経で来たのである。
 火だけではいかぬから緯をつくるのだ。
 言うてはいかぬし、言わな判らぬし、それで困るのだ。
 この事は今まで書いてない。」

                 (昭和十八年)

〇十六神将と十六魔王

世界に十六魔王があり、スターリンや蒋介石や汪清衛もそれだ。
十六神将もあるのやが、まだ一つも現れてはいない。
十六神将があらわれて、みろくの世をつくるのである。

                 (昭和十九年四月十日)

〇艮の金神とユダヤ

「ユダヤは神の選民で、艮の金神が使っていられる。
 ユダヤは悪に見せて善をやるのや。
 ユダヤは九つのしるしのあるものを探しているのだ。
 ユダヤは十八階級のうち一階級三人。二階級十八人。三階級三十六人。
 日本人でもユダヤに這入っているが、十二階級以下である。
 一階級上のことは全然判らぬから、最高幹部の考えていることは判らぬ。
 ユダヤの仕組で十六魔王を戦争で戦いぬかして倒してしまう。
 東条も十六魔王のうち。
 王仁が白紙委任を頂くようになってから、
 天国の姿の通り移して制度を日本に立てるのだ。
 ユダヤの最高幹部やこちらは判っているから出来上がったら、
 この仕事は艮の金神様の仕事やと王仁は証明するだけや。
 艮の金神様が天の大神様から勝手にやれとまかされたのやと思うのや。
 わしらは今から思うと笑いがとまらぬ。
 水も漏らさぬ仕組とはよく言ったものだ。
 イスラエル民族の十二の階級のうち十一は外国にある。
 日本にも一つの流れがあるが変質しているから本当のは少ない。」

                 (昭和十九年四月十日)

〇天孫民族とユダヤ

「ユダヤということは、神命奉仕者ということで、
 神様から選ばれたのだから選民なのだ。
 イスラエルというのはユダヤと同じ事。
 天孫民族とは全然違う。
 日本は天孫民族だから選民とは違うんや。直系や。
 ユダヤ人の三分の一は良いので三分の二は悪いので、
 これがフリーメーソンをやっているのである。
 今の戦はこれがやっている。
 イスラエルの十二の支族は選ばれたのや。
 一番いいのが日本へ来ているので日本民族だ。」

                 (昭和十九年六月九日)

〇素盞嗚尊と叢雲の剣

オロチはオロチョン族の事で、
出雲に割拠していたのを平定して、
その頭が持っていた叢雲の剣(日本列島)を
素盞嗚尊が得られたのである。

                 (昭和十九年十二月五日)

(参照)『靈界物語』第十五巻第十二章「大蛇退治の段」
    『靈界物語』第一巻「序文」

〇一厘の仕組

(『大本神諭』に啓示された三千世界の大神業・天地の祖神の大経綸)

二代様 「一厘のお仕組は開祖様でも御存じなかった。」
聖 師 「王仁は知っていた。」

(大正時代に聖師は『古事記』の
 大后息長帯日売命(オホキサキオキナガタラシヒメノミコト)の帰神のところに
 一厘の仕組が示されてあると教えられた)

(参照)『靈界物語』第一巻第三十五章「一厘の秘密」。
    第三十六章「一厘の仕組」

〇聖師の出現

王仁は〇〇(皇后)の腹に宿って生まれてくる。

                 (昭和二十年 田中ふみ子氏拝聴)

〇みろくの世界の寿命

人の寿命はみろくの世になれば、
五百歳。四百歳。三百歳。二百歳。百二十歳が最低となる。

         (昭和二十一年八月十一日 旧七月十五日)

以上。

さて、本日も、長くなりましたが、
最後までおつきあいくださいまして、
どうもありがとうございます。

最後までお付き合い頂ける皆さまには、
まったくかたじけなく思う次第であります。

一度にあまりにたくさん情報を詰め込んでも、
霊魂が食あたりを起こしかねないので、
続きは、次回にということにさせて頂き、
本日は、ここで一旦
一休みさせて頂きたく思います。

世界人類みんなで力を合わせて、
陛下に通貨発行権をお返しし、
天皇陛下を世界の中心に頂き、
陛下の御稜威で
無限に通貨を発行して頂く御恩に預かり、
納税制度を廃止し、
衣食住の心配をせずに、人生を謳歌出来る
仁徳天皇もびっくりの
大家族社会地上天国を建設いたしましょう。

以上、ではまた♪ ジャカジャン♪ 

令和恩赦、経済奉還、大政奉還、
廃國置ブロック、皇神帰一
【皇道經濟でみんなに十億円!^0^♪ 】
みんなしあわせになれ
嗚呼、惟神霊幸倍坐世
合法非公認政党 皇道經世濟民党
初代党首 垣内政治