こうの日記

こうの日記

旅行の話、本のレビューなど、自分の備忘録も兼ねて
気ままに書いてます。

Amebaでブログを始めよう!
仕事でも使っているfacebookからこのブログへのリンクを
張っていることもあり、書く内容については悩んでいますが、
怒られるまで書くことにしました。

※恐らく、次の記事で下ネタになると思うので
ご注意下さい。

※これまでの、流れ上、【旅行日記】タグがある記事は
丁寧語を省略して書いています。

今回は、トルコのカッパドキアという観光地のお話です。


こうの日記

カッパドキアには洪水と風化によって、岩が浸食し、そこに人間が穴を掘り
写真のような風景つくりあげられている。
この風景見たさに、イスタンブールから夜行バスで10時間かけ
遥々カッパドキアに行くことにした。

カッパドキアは観光スポットが点在している為、現地のホテルにて
現地のツアーに申し込むのが一般的なのだが、
観光ブックの注意事項をよく読まなかったアホな
俺はイスタンブールの旅行代理店でツアーに申し込んでしまっていた。
※イスタンブールの旅行代理店は大体ぼったくりだと書いてある。


そして、観光ブックに書いてあった通りの、以下のような仕打ちを受けることになる。

●(仕打ちその1)ホテルの送迎

<旅行代理店のおっさんの話>
バス停には、ホテルの人が迎えに来ている。

<実際>
バス停には、ホテルの人なんかおらず、
「イングリッシュ、プリーズ!!」と叫びながら
トルコ語しか通じないおっさん達をかき分け
歩き続け、ようやく観光案内所を発見し
そこから電話をかけ、40分以上待たされた上に
徒歩5分のホテルに連れて行かれる。
全然歩いて行けた!



●(仕打ちその2)洞窟ホテル

カッパドキアはキノコ岩をそのまま部屋にした洞窟部屋をもつホテルが
多数存在する。
洞窟といっても、綺麗にライトアップがされており、幻想的な
雰囲気なのだ。

↓イメージ

こうの日記




旅行者は記念にこのホテルに泊まりたがる。
俺も、せっかくだしと思い、旅行代理店でオプション料金を払い洞窟部屋を
頼んだのだが、実際の部屋はなんともお粗末なものだった。

なんというか、”洞窟ホテル”ではなく ”洞窟”なのだ。
ライトアップもなければ、窓もない。
薄暗い蛍光灯1つが光る、ここは監獄か?と疑いたくなる代物だった。
(写真を撮らなかったのが心残り)

従業員に他に部屋はないか?と聞くと普通の部屋なら空いているという。
見せてもらうと、豪華という感じではないが、小奇麗にまとまっている
お洒落な部屋だった。

俺「ここに変えてくれないか?」
従業員「いいのか?オプション料金は戻らないぞ」
俺「いいよ。というか、あの部屋はこの部屋より高いのか?」
従業員「もちろんだ。洞窟部屋はこのホテルに3部屋しかないんだ」
俺「そうか・・3つしかないのか。でもこの普通の部屋がいい」

社会心理学的に希少性の価値というものは知っていたが
それは、それなりのもの についてだけだと思った。

結局、監獄部屋のおかげで通常よりも高いお金を払うことになってしまった。

●(仕打ちその3)日本語ツアー

監獄部屋の件で、旅行代理店を疑い初めていた俺は
従業員にカッパドキアのツアーが本当に日本語ツアー
かどうか確かめたいと言った。

従業員「日本語ツアー?英語のツアーだと聞いているよ」
俺「いや、代理店の人は確かに日本語ツアーだと言ったんだよ」
従業員「そもそも、うちのホテルは英語ツアーしか取り扱っていないですよ。」
俺「・・。は。」
従業員「あなたの英語はノープロブレムね。OK、OK、ノープロブレム ははは・・
では楽しんで下さい・・」

この1月程前に、ロサンゼルスでビバリーヒルズの有名人の豪邸巡りツアーに参加し
2時間のツアーの中で”キアヌ・リーブスの家がどうやらここらしい・・”
という情報と”トイレに行きたい人はいますか?”という情報位しか聞き取れなかった
俺は、今回もトイレの場所位しか聞き取れないかなーと思い、絶望した。

ただ、結果的にはこのツアーが英語ツアーだったことで

・インド人エリートのニーナさんの専属カメラマンを務めたり
・トルコ人観光ガイドさんのアップルさん(俺が命名)から
 同情されたり
・韓国人のスジョンさんから心配されたり・・

と、カッパドキア観光がとても思い出深いものになった。
やはり、旅は予測不可能である。だから旅が好きだったりもする。


続きは、第2部で書きます。(下ネタは次回になるかと思います)
やはり、時差ぼけが直らないらしい。

なので、もう1本。


これは、エジプトのカイロのヒルトンホテルでカジノをしていた時の
お話し。

ダハブで毎日、スキューバダイビングとシュノケーリングに
明け暮れていた俺は、カイロへ戻った時に、もはや
炎天下の中観光をする気にはなれなかった。

ということで、先日のラスベガスでのリベンジを果たすべく
カジノへ入り浸ることになる。

カジノでは石油王(俺が勝手にそう思っていた)が
1回100万円もの大金をルーレットに掛ける横で
2000円程をチマチマとかけて遊んでいた。

カジノのゲーム中の話もいろいろあるのだが、
今回はカジノルームの前にあるトイレに行った時の話。



ギリギリまで我慢していた俺はついに限界が来て
トイレに向かった。

すると、丁度清掃の時間に入ろうとしていた、35歳位の
清掃員の男性がもの凄い笑顔で後ろから付いて来た。

彼がもの凄い笑顔な理由は今までの経験ですぐ分かった。

エジプトにはバクシーシ(チップのようなもの)というものがあり、
ホテルなどで、清掃員に会った時はいくらかのお金を渡す
ことが常識とされているのだ。

しかも、ここはなんといってもカジノの前のトイレ。
恐らく普段、石油王達は結構な額のバクシーシを
渡したりしているのだろう。


そして、トイレに入ると後ろから来た清掃員が
もの凄いスピードで手拭き紙を取ると、2枚ほどを
俺に渡してくる。(もの凄い笑顔で)


言っておくが、まだ用を足す前だ。
何にこの紙を使うのか?
あれに添えるのか?

結局、その紙をそっとポケットに突っ込み
用を足し始める。

そして、用を足し終わり、手洗い場の方に行くと
もの凄い量の紙を両手で抱えた彼が笑顔で立っている。


彼は渡す紙の量とバクシーシの量が比例すると思っているのでは
ないかと思ってしまう。

結局、そんな大量の紙を使いきれない俺は、半分程
頂き、手を拭く。


そして、その時が来る。



手を拭き終わり、いくらのバクシーシをあげようかなと考えながら
ポケットに手を突っ込むと、1ポンド(15円)しかない。

普通であれば、たとえヒルトンであっても1ポンド程度で十分
なのだが、ここはカジノの前だ。そして、彼のまぶしいばかりの笑顔。


ただ、ないものはない。まさか20ポンド(300円)札を渡すわけには
いかないので、




I'm sorry といいながら1ポンドコインを彼の手に渡す。。。。





すると、先ほどの笑顔から一転、

人間はこんなにも”残念”という顔ができるのかと思ってしまう程の残念!
という顔をしているではないか。
しかも、彼の視線は手の中にあるコインに釘付けになっている。


申し訳ないような気持ちと、少しばかりの憤りの気持ちを
持ったまま、俺はトイレを後にした。

お金で心は買えないというが、少なくとも笑顔は買えると思った。
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トルコのパムッカレという都市で、石灰棚を見てきました。
以前、ABROADの日替わり壁紙で風景を見て以来、一度は
行ってみたいと思っていた場所。

結構、批判的な事前情報も多かったけど、個人的には満足!
ホント行ってよかったです。

観光中も
石灰棚で超巨漢の欧米人の老婆が水路にはまってしまい
周りの若者と一緒に救出した事件など
小ネタはあるのだけれども、
今回は宿での出来事を書きます。


--(お話)


前日に石灰棚の観光を終えていた為、
イスタンブールまでの夜行バスの発車時間である
夜の8時まで時間を潰す必要があった俺は
宿のレストランでトルコ人にゲームを
教えてもらい、一緒に遊んでいた。

ゲームもかなりの回数を積み重ね、一旦休憩しようか
ということで、くつろいでいると、横にいた韓国人の若者
2人組が話しかけてきた。

「どこを旅しているんだ?」といった、基本的な
質問をいくつか交わした後で、1人(キム君)が突然
妙なことを言い始めた。

「お前、”しおうぎ”って知っているか?」
「なんだそれ。それ、日本語か?」
「そうだ。知らないのか?」
「それホントに”しおうぎ”か? それはどんなものだ?」

と、俺が質問をすると、2人は急に照れ始めながら
ジェスチャーをし始める。

あまり、的確なジェスチャーとはいえなかったが、彼らの
照れる様子と効果音によって”しおうぎ”の正体が分かった。

「ははーん。それ、”しお○○”だろ!?」
と俺が言うと。

「そうだ!それだ。」と2人とも大はしゃぎ。

すると、今度は「○○の意味はわかるが、なんで”しお”
なんだ?しおはソルトだろ?ソルトなのか?」と
言い始める。


そんなこと、今まで考えたこともなかったが、彼らの輝く瞳を
見ると、絶対に答えなければと妙な使命感を感じた。

少し、考えて、
「ソルトも”しお”だが、日本語では海水のことも”しお”
というんだ。それで、お前くじらって知っているだろ?
あれが、海水を○○上げることを日本では”しお○○”
といい、それと似ているから同じ”しお○○”なんだ」


我ながら、的確な回答をした気がした。
彼らも満足したらしく、嬉しそうな顔をしている。

そんなもんだから、俺も
「お前らどうせ、ビデオでも見たんだろ?
でもあんなに凄いのにはトリックがあって、
実は撮影前に水を2リットル程飲んだりしているんだ」

と、以前無駄にググった情報を話したりした。

同じ日本人でもみんなが”しおうぎ”について、
詳しい情報を持ち合わせているわけではない。
「いい日本人を捕まえたな」と心の中でつぶやいた。

その後、国籍は違えども、男という共通点でつながった
我々は、引き続き下ネタを話し、そして話を変え、
中国人のマナーの悪さ、韓国のガリ勉っぷり など
いろいろな話をした。


話が最高潮に盛り上がっている時、一人の年配の男性が
宿に到着する。

「ここの宿、いいですか??」と急に話し始める。

「いいですよ。」と俺が答えると、

「あーあんた日本人なのね?、あんたらも?
あーあんたらは韓国人なのね。韓国人も日本人も
最近じゃー見分けが全然つかないからねー。
まあ、それにしても最近は韓国人の旅行者は増えたね。
僕が若かった頃は日本人が多かったけど、今は韓国も
経済発展したし、あれだね。余裕ができたんだろうね。」

と、韓国人の2人ががいるにも関わらず、なぜか日本語で
喋りまくる。。

2人も気まずくなったのか。2人で韓国語でしゃべり始めて
しまう。

その後、俺はそのおっさんのマシンガントークを浴び続けることに
なる。


「私、ガイドブックは持たないのね。何故なら必要のない情報も
載っているから。情報は事前にノートに書き写すのね。
ほら。地図もこうやってちゃんと写してきてるんだから、立派なもんでしょ。
インターネット?あんなの使わないよー。だって必要ないもん。
必要のないものは、いくらみんな便利ったって使わないんだから。」

と、まあ こんな感じ。

ちなみに、このおっさん、ここパムッカレには来る予定がなかったらしく
ノートに情報を書き写していなかったらしい。
内心、「事前に計画を立て切ることが難しいから
ガイドブックが必要なんだよ」と思いながらも、バスの情報などを
教えてあげる。


そして、彼の今までの旅行暦を延々と聞かされ、
さっきまであんなに元気だった俺は、急に睡魔と闘い始める。

ただ、さすがに寝ることは失礼だと思い、なんとか
あいづち、や質問をしてみたりする。

そんな中、おっさんが中国の西安に行ったという話を聞いて
「中国の内陸の都市なんかは英語が全く通じないって聞きますけど、
大丈夫だったんですか?」 と質問すると


「英語が通じないなんて、全然問題にならないよ。
ジェスチャーでなんだって通じるからね。旅で不便したことなんて
全然ないんだから。しかも、別に英語だって、私全然しゃべれない
んだから。言葉なんて関係ないの。ハートね。ハート」

なるほど。一理はあるかもしれないなあ。と思った。
ただ、話の中合間合間で(バリバリの日本語で)、たまに横にいる
キム君とパク君に話しかけるのは勘弁して欲しいと思った。

そして、さすがに疲れ果てた俺は、行きたくもないパムッカレ村散策に
出かけた。めちゃくちゃ小さな村なので、10分もかければ1周できるのだが
宿に戻れない事情があった為、無駄に池のまわりのカモを追い掛け回したり
して時間を潰した。

そして、ある程度時間がたった後、宿に戻るとおっさんはいなくなっていた。
パク君とキム君と暫く話していると、バスの時間が来てしまう。
あー楽しいと時間が経つのが早いんだなあと心から思う。

宿の前に止めてあるバスに乗り込むと、さっきのおっさんが見送りに来てくれた。
まあ、いろいろあったけど(俺の中で)、有難いものだと最後の挨拶を
して車の中に入ると、そのおっさんとバスの運転手が何か話している。
ただ、なんとなく上手くいっていない感じがしたので外に出てみると

運転手:「明日の朝も、同じバスだからな。覚えておいて下さいね」
おっさん:「だからー。俺は今日じゃなくて、明日の朝出るバスなんだって!!もう」(←日本語)

やはりハートだけでは伝えきれないものがあるらしい。と思った。


































この事件があって依頼、早くブログに書いてしまいたいなあと思っていたので
エジプトを通り越して、トルコのエピソードから書きます。

まあ、表題の通りなんですが、
旅人の初歩的なミスをやってしまいました。


トルコのイスタンブール滞在中、
「モスク見飽きたしー(正直どれも同じ感じに思えた・・)
鯖サンドも食べたしー、なんか面白いことないかなあと
フラフラしていると、スルタンモハメッド駅前のレストランの
店員(以下A氏)(自称22歳,推定30歳)に声をかけられる。

「どっから来たの?どこ行くの?あそこいった?・・」的な
世間話をつたない英語でしたあと、以下のようなやり取り

A氏:「ディスコ行かない?」

俺:「ディスコって踊るんでしょ?踊り好きじゃないし」

A氏:「いやいや、踊らなくても、音楽がいいし、イスタンブールの若者は
みんな行くようなポピュラーな場所なんだよ」

俺:「んー・・」

向こうから話しかけて来た点から考えると
怪しいし、普通だったら行かないと思うのだが、
その時の俺はあまりにも暇を持て余していた・・。

それに、今までの東南アジアでの旅行で、
現地の人に付いていって
とても楽しい時間が過ごせたことも多かったのも事実で、
自分の中でリスクをどこまで許容するかの問題だとも
考えた。


結局、「まあ、入り口の雰囲気を見て考えるか・・」
と彼についていった。


タクシーで10分程走っただろうか、
薄暗い道でタクシーを降りると
明るくネオンの輝くお店があった。

俺は入り口から様子を伺いたかったのだが、
どうにも中が見えずらい。

そうしている内にA氏はどんどん中に入ってゆく、
呼び止めようとしたが、聞こえないらしい

「もういいや、その時はその時だ」と腹を決めて
俺も後を付いていった。

そして、中に入った瞬間に「ヤバイ」と思った。
そこはディスコではなく、いわゆるキャバクラ。
パツキンの姉さん達が10人程待機している。。

「あー、これでボッタクリ店確率70%位だなあ」
と思った。

俺:「なんか、思っていたのと違う、出たいな」

A氏:「なにを言っているだマイフレンド、折角来たんだし
楽しもうぜ!」

先ほどは暗がりでよく見えなかったが
よく見ると40前後の結構、人生経験豊富な感じな女性ばかり
なのに気づく。申し訳ないが、楽しめないと思った。

ただ、A氏は半ば強引に俺とA氏、そしてレディー達への
飲み物を注文してしまう。

もう、こうなったらいいや、どうせボッタクリ店だったら
何杯飲んでもふっかけられ、値段もそうかわんないんだろ
と思い、ビールをもう1杯注文したりしてみる。

レディー達は意外にも愛想がよく、いろいろと
トルコの話などをしてくれた。
ボッタクリのことも、アルコールも手伝ってか
段々忘れ、少し楽しくなっていた。。


ただ、「その時」が来た。


バーン!! 机を大きくたたく音、そして
「JUST ONE BEER !!!」「WHY!!!」

横にいた30歳半ばの欧米人が怒鳴り出したのだ。
その欧米人はプロレスラーであろうかという巨漢であった為
スタッフを突き飛ばしていた。

これで、この店が100%ボッタクリ店だということが
わかった。どうしよう。。

ただ、その欧米人がとても健闘してくれていた為、
このタイミングだったら混乱に乗じて逃げれるのでは?
と考えた。

俺はA氏に、帰りたいと伝えた。

A氏は「心配するな。あの欧米人は酔っ払っているさ。
クレイジーだな。はは」と笑っている。

クレイジーなのはお前だ。と言いたかったが、
フレンドリーな関係をここで壊すのは得策でないと考えた俺は
「ただ、もう眠いから帰りたい」と伝え、
彼もどうにか応じてくれた。

そして、会計の紙をもったイカツイ男がテーブルに来た。


「1075リラ」


ざっと6万円オーバーだ。


さて、どうしようかと欧米人の方を見ると、
彼は後から入ってきた、もっと強そうな男たちに
よって完全に制圧されていた。
(頭を壁に押し付けられ、その後地下の別室に
連れて行かれた)


これで"混乱に乗じて逃げ出そう作戦”は失敗した。


数人の男が俺を取り囲み、「飲んだよな?」と脅す。
メニューを見せてくれというと、
ビールが1杯6000円~10000円
若干の計算が合わなかったが、まあ入場料だサービス料だ
言われるのが関の山だとおもったので、敢えて突っ込まなかった。


どう対処すべきか。。


実はお金の大部分は靴に仕込んでおいていた。
なので、財布には2000円程しかなかった。

俺:「お金はこれしかない」

男:「ならおろしてこい。ただ、荷物は置いていけ」

まあ、そうなっちゃいますよね。という感じで
敢え無く”お金これしかない作戦”も失敗する


最後の望みとばかりに
A氏(俺もバーに連れてきた野郎)に駄目もとで、

「お金を貸して欲しい。バーを出たらATMでおろして
すぐ返すから」と頼んでみる。

すると、A氏は少し悩んだあげく、入り口のカウンターの所に行き
暫くすると戻ってきた。

「OK マイフレンド。俺が出しておいた」


実を言うと、このバーに来るタクシーの中で
いかにトルコと日本が友好関係にあるのかという
ことを熱く語ったおいたのだ。

”トイレを綺麗にご利用頂き、有難うございます”作戦だ。
人間、先にこれだと言われてしまうと、そのように振舞ってしまう。

俺は「日本人は全員トルコ人が好きだ。学校でそう習った」
と先ほどちょっとばかし、ガイドブックで勉強した情報を
かなり盛り気味に話していた。
そして、彼も「そうなのか?」とかなり食いついていた。


恐らくこの作戦は効いていた。なぜなら
A氏と一緒にバーから出ると、更に
「飲み代は折半する約束だったよな。
だからホントは3万だけど、お前はマイフレンドだし
お金もないだろうから2万でいいよ」
と切り出してきた。

あくまでもA氏は”俺も被害者”残念だったけど
払ってくれよ。という形でいきたいらしい。

その形は当初、俺も狙っていたものだったので
都合がよかった。

ただ、彼がぼったりの一味であることは
明白だったし、そんな奴には1円たりとも払いたく
なかった。

(2万というと、払ってしまいそうになるが、トルコの
10日分の稼ぎになる。そもそも彼が6万円という大金を
キャッシュで払うこと到底できるはずがない)


ただ、表向きはあくまでも”マイフレンドだ”
「ホントにそんなに安くしてくれるのか?
マジ有難う!」とオーバーリアクションをすると
A氏は安心したのか、前を向きタバコに火をつけ
歩き出した。(恐らくATMに向かっているのだろう)

”どこかで逃げなければ!”という言葉が脳裏に浮かぶ。

こういう状況になると、今まであまり気に留めなかった
ことが、急に気になる。

A氏の腕っ節と胸肉はすこぶる立派なのだ。
これはケンカになったらまず、勝てそうもない。

ただ、一方で足は妙に短いように見える。
走るのは遅そうだ。これは逃げ切れる。

そんなことを考えていると、彼が左の小道に
入って行った。
俺は彼のすぐ1メートル程斜め後ろを
ちょこちょこ付いて行ってたのだが、
これはチャンスだと思い、かばんをチェックする振りをして、
立ち止まってみた。

すると、彼は俺が止まっていることに気づかずに
1歩、2歩と歩いてゆくではないか。

3歩・・


4歩・・




5歩・・・・・・






今だ!!

俺は全力で来た道を逆走した。
間違いなく、ここ数年の中で一番一生懸命走った。
夜中の2時だった。
ただごとではない様子に歩行人がみんな俺の方を
向いているがわかった。
頼むから、俺を制止にかかる輩は現れないでくれ。
そんなことを考えていた。

大通りから、小道に入り、また小道に入り・・と
300メートル程走っただろうか、
後ろから足音がしないことに気づいた。

「逃げ切れただろうか・・」

ただ、そんな安堵感はすぐに不安へと変わる。
自分が何処にいるのかわからないのだ。

無我夢中で走ったこともあり、方向感覚も失っていた。

ただ、今来た道を戻ることは危険すぎる。
ということは、もうこの道を進むしかないのだ。

その小道が再び大通りに戻ることがないことを
祈りながら、その細い道を右へ左へと曲がりながら
進んだ。







「助かった・・。」

そこは、次の大通りで、更にタクシーが何台も並んでいた。

普段であれば、「メーターはちゃんと回してよね?」などと
窓の外から確認してから乗り込むのだが、
この時ばかりはそんな余裕などなかった。

後部座席のドアをあけ、倒れ込むと、「スルタンモハメッド!」
と叫んだ。

座ると、A氏に見つかるという恐怖感もあったが
そもそも走り疲れて、倒れ込まざる得ない感じでもあった。


(もうちょっと続きがあるのだけど、眠いので
寝ます。完全に時差ぼけだ。)


こうの日記-ピラミッドと夕日

こうの日記-エジプトの子供たち
どーも、おはようございます。
こうです。

昨日、1か月のエジプト、トルコ旅行から帰還しました☆
(ご存知の方も多いと思いますが9月末で会社を退職しています。。)

有給休暇消化期間中に、カンボジア旅行、ラスベガス、ロサンゼルス旅行と
行っていたのですが
最後にもう1本ということで、エジプトとトルコに行ってました。

実は当初、「この機会だし世界一周をしてしまおうかなあ。。」
と思っていたのですが
計画を立てる為に、世界一周旅行のブログを大量に読み、
都市をピックアップしていたところ
もう世界を5,6周はしてしまい(妄想の中で・・)

疲れ果てた僕は、「世界一周はもういいや」と妙な疲労感と達成感に包まれ
断念していました。(なんとも俺らしい)

ただ、どうしてもエジプトのダハブという都市には行っておきたいなあと思い
それなら、行ってしまおうということで、今回の旅行をしてきました。
(トルコは近かったのでオマケで行きました)

目的だったダハブで充実した毎日を送り(ダイビングのライセンスも取れたし)
現地の人や他の旅行者とも交流できたので、
「行ってよかったなあ」というのが感想です。

今後のブログですが、旅でのエピソードを、時系列完全無視で、
思い出した順に、書きたくなったら書こうと思います。

なので読みにくいです。
でも、たまに面白いと思います。きっと。