「…だーっ、やっぱわかんねぇ!!!」
櫻井はガシガシと頭を掻く。
積み上げられた論文の山には、いくつも付箋が貼られている。
あれから──
小春が消えてから、睡眠時間を削って必死に取り組んでいる。
「ねぇ翔くん…大丈夫?あんま無理すんな?」
大野が心配そうに覗き込む。
「ありがとう、でも…どうしても早く完成させたいんだ。この研究を…。」
「…地球の…ため?それとも…」
「……。」
『地球を救う』
そんな大袈裟なことではない。
今櫻井の心にあるのはただ1つ。
口と態度の悪い、怪しい青年を救うことだけだ。
小春が来なければ、大野と結ばれ研究に手をつけ成功させるまで17年。
どのタイミングで大野と恋に落ち、研究を思い立ったのかは明言されなかったため、結果研究にどれくらいの時間を費やしたのかは分からない。
とは言え熱意さえあればどうにかなるような容易なものでは無いのだから、決して短い時間で完成させたわけではないだろう。
しかし今の櫻井は違う。
スタートもさることながら、明確で強固な意思にそれを追求しているのだから、『当初の未来』よりもずっとずっと早く終わるはずだ。
それでも、足掛かりが掴めない。
希望の光が見えないことに、櫻井は焦燥感でいっぱいだった。
「…智くんは信じてくれるの?その…俺の言ったこと。」
「勿論。だって、本当なんでしょ?」
大野はさらりと笑う。
迷った挙句、研究をする理由を納得してもらうため櫻井は大野にこれまでの経緯を説明した。
自分の研究が早ければ、未来に起こる戦争を避けられるかもしれないことを。
そしてそれは、『神』と名乗る未来人から告げられたことを。
大野はあっさりと信じた。
そして自分も力になれることはないかと聞いてきたのだ。
…特になかったのだが。
「遺伝子とか全然わかんなくて…何せおいら馬鹿だから…ごめんね。」
大野は生まれて初めて勉強しなかったことを後悔し、項垂れる。
「何言ってんの!あなたがいたから…あなたがいなければ何も出来ないのは俺の方だよ。だから…ありがとう。あなたに出会えた時点で感謝しかないんだ。」
大野の頬が赤くなる。
「な、何言ってんの。ほんと翔くんて恥ずかしいこと言うよね!…でも…ほんと、難し過ぎない?これとか何?」
照れ隠しか、大野が本棚から1冊の本を手に取る。
「ああ、それは俺が遺伝子を学ぶきっかけになった本でさ。大学時代ずっと持ち歩いてたんだよ。大袈裟かもしれないけど、俺を形成する大元になった尊敬する人の本。」
「へぇ~…神…カグラさん?聞いたことないや。え~と?『と、とくしゅ解析…研究所…DNA捜査における…け、けんきょ率の…』うう、なんか、タイトルからして難しいや。おいらにはひっくり返ってもわかんない感じするもん。」
大野が本棚にその本を戻そうとすると、間に挟まっていた紙がはらりと落ちる。
「ひっくり返ってもって…(笑)」
櫻井が笑いながらそう言い、はっと思い出す。
──じゃぁ、ヒントあげましょうか。
小春の声が蘇る。
──困った時は、一番大事なモンを裏返すといいよ。思考も、一番大元のモンも。一回ひっくり返すのよ。そしたら、きっと違う目線になれるはず。
「…大元を…ひっくり…返す…。」
「へ?…これをひっくり返せばいいの?」
落ちた書類を大野がくるりと前後ひっくり返す。
表にはデータがびっしりと書き込まれていたが、裏には
『9/15 〇△ホール 14:00~』
と雑に殴り書きされている。
「…?何これ?」
「これ……」
櫻井がそれを大野の手から受け取る。
メモ書きされた裏側をじっと見つめ、「あっ!!」と声を上げた。
「これ…大野教授の講演会だ!」
「え…とーちゃん?」
「そう、確かあの日プリントに慌ててメモして…。……そうか、種の交配!大野教授に相談すれば解決の糸口が掴めるかも…!!」
「へ?とーちゃんが…関係あるの??」
「あるよ、大いにある!智くんは知らない?大野教授の種の研究は遺伝子学的にとても重要な内容だったんだ。花は雄しべと雌しべで交配する。その常識を覆す研究をしたのが教授だから!!
大野教授は絶滅危惧植物の対策として雄しべのみ、雌しべのみで花を咲かせることに成功してるんだよ!可能な植物が限られてたから実用化にまでは至らなかったけど、日本には存在しない亜熱帯の植物で受粉を成功させて…」
とうとうと語る櫻井の説明は、大野にはさっぱりわからない。
「そ…そうなの?ぜつめつきぐって動物だけじゃないんだ…?おいら息子なのに翔くんのが詳しいな…。」
「そうか…そういうことか…。ひっくり返せ、か…。…人間のことは動物の論文しか意味無いと思ってた…。」
櫻井は机に山積みにされた論文の山を見て、ぐっと手元の紙を握る。
「んふふ。よくわかんないけど、良かったね!コテイガイネンってやつ?」
「固定概念…。」
櫻井はまた小春の言葉を思い出す。
──見た目ばっか捉えてたらダメ。表面が全てじゃないの。
──全て使うのよ。使えるものはさ。固定概念が一番厄介よ?表ばっかりに囚われず無意味にひっくり返してみることも大事。
「全てを…使う…。」
小春はヒントを与えてくれていた。
恐らくこれがギリギリ許されるラインなのだろう。
本物の神に許された、『櫻井が自力で解く』というライン…。
『こう解くんだよ』と回答の道筋を渡されてそれをただ機械のようにこなすだけでは、恐らく真の成功は得られない。
小春のいる『未来』では櫻井は自力ですべてをやり遂げたはずだ。
本質を理解していなければ不測の事態に咄嗟の対応が出来ず、未来はまた変わった結果を招きかねない。
しかしただ指をくわえて研究の完成を待つだけでは『地球滅亡』に繋がってしまう。
だから小春は過去へ来た。
大野との関係を促進させることと、研究のきっかけ、ヒントを与えるために。
…櫻井はそう考えた。
「とりあえず…とーちゃんに会ってもらえるように言えばいいの?」
「あ、ありがとう!助かるよ!!…俺もちょっとアポとるために電話するよ。今日は解散にして、また連絡してもいいかな?」
「へ?解散はいいんだけど…アポ…って、とーちゃんに?」
「ううん。…この本の著者、DNA第一人者の『神楽龍平』さんに。」
使えるものは全て使わないとね、と櫻井は心の中で付け足した。
ややこしい?ごめんなさいw
でも大丈夫、こんな研究、
詳しく書き進める気も知識もないから(笑)