今回の指令は特殊だ。
『お願いを聞き出す』
まずここをクリアしなければ、取り掛かることすらできないからだ。
しかし大野の性格的に、簡単に人を頼らない。
「何もない?大野さんの…何か…希望的な…。どこに行きたいとか、何がしたいとか…」
「何もないって(笑)」
2人は仕事終わりに待ち合わせていつもの居酒屋に飲みに来た。
食い下がる櫻井に、相変わらず変な奴だと大野は苦笑する。
「付き合ったからって急にそんなワガママになんないよ?大丈夫だよ、ちゃんと向き合ってさく…翔くん…と、付き合うって決めたんだから。」
そういう意味ではないのだが…
突然呼ばれた名前に櫻井の頬は緩む。
「いくらなんでもデレ過ぎじゃないですか?」
突然大将が背後から現れ、大野も気に入っている『小春』を静かに置く。
透き通った緑色の液体の表面がゆらりと揺れる。
「た、大将!」
「シェ!フ!!!アンタらさぁ~そろそろ覚えてくれよお願いだから!!」
大将(シェフ)が、わっとわざとらしく泣き真似をする。
──お願いだから。
大野に言ってほしい言葉は、皮肉にもいとも簡単に他人の口から出る。
「…そういや、何でシェフって呼んでほしいの?」
櫻井が首を傾げる。
ずっと疑問だったことだが、あえて聞くほど気になっていたわけでもない。
「おいらも聞きたい!大将のがかっこいーじゃん!」
大野も同じだったようだ。
「あー相葉ちゃんにしか言ってなかったっけ。俺ン家が老舗の料亭だって話、覚えてる?」
そういえばそんなことを相葉が言っていた、と櫻井も大野も思い出す。
「親父が大将って呼ばれててさ。俺親父と仲悪くて。頑固なんだよ、アイツ。一人息子の俺が『見合いで料亭なんて継ぎたくない』って突っぱねたら、『なら立派な後継ぎを作れ』って。それがうちを飛び出す時の条件だったんだ。
で、反発してこじゃれたスイーツに重点置いた居酒屋始めようと思ったら…『大将』って自然に呼ばれだして。まいったよ。逃げてきたのに、誰に何を言ったわけでもないのに、自然に。俺の喋り方とか顔の造りが『大将』なんだろうね。」
大将は不満げに口を尖らせる。
(あ、何か…)
櫻井はふと思う。
誰かに似ている、と。
(もしかして俺、大将のお父さんのこと知ってたりするのかな…?)
過去に行った料亭のことを思い出そうとするも、大野の言葉がそれを遮る。
「…でもさぁ、おいら思うんだけど
大将さ、大将って呼ばれんの嫌じゃないでしょ?」
「…大野さん、話聞いてた?俺、親父が嫌いなの。だからシェフって呼ばれたいんだけど。」
大将はふてぶてしい表情でメニュー表をとんとんと指さす。
『当店シェフオススメ…』『シェフのおまかせサラダ』などと逐一書かれている文言は確かに目につく。
「だって、毎回文句言うけど…それも何か楽しそうだし。絶対に大将って呼ばれたくないなら、料理屋さんなんてしないと思うし。結局店もイタリアンとかじゃなくて居酒屋だし。」
大将はしばらく黙り込み、何故か他人事のようになるほど、と小さく呟く。
「いつか仲良くなれるといいね。…あ、でもこのお店は潰さないでよ?だって、おいらと相葉ちゃんのお気に入りの店なんだから!」
大野はにっこり笑う。
話を聞いて今後シェフと呼ぼうかと思っていた櫻井は、大野の意見に小さく微笑んでいる。
櫻井は大野のこういうところが好きなのだ。
深層部の本質を、大野は独特の視点で見ている。
そしてそれは、図らずもその人の心をじわりと溶かす。
「…あざっす。」
大将は少し照れくさそうに頭を掻き、あっ、と何かを思い出す。
「そういやお客さんに貰ったんだけど、温泉とか興味ある?箱根の旅館のチケット。俺からの二人へのお祝いっつーことで、良かったら二人で行ってきなよ。」
「えっ…いいんですか?」
「いいよ、俺別に行く相手もいねぇし。」
櫻井が受け取ると、確かに箱根の旅館宿泊のチケットで。
詳細を見ている櫻井に聞こえないよう、大将が大野に耳打ちする。
「(これでヤることヤッてきなよ。因みにこれ、相葉ちゃんの計画ね。俺は自然にチケット渡す係。)」
「なっ…!!!」
真っ赤になって大将を見る大野に気付き、「…嫌?」と櫻井が不安そうに尋ねる。
「い、や、別に…嫌…じゃ……」
「やった!じゃぁ急だけど、今週末とかどう?俺車出すし。」
「あ…うん、いいけど…」
「じゃぁ決定!旅行のしおり作ってくるね!」
「「しおり!?!?」」
大将と大野は声をそろえた。
*
「親…か。」
櫻井がぽつりと呟く。
「どったの?」
神はキッチンで何やら作っている。
「ん…大将の話聞いてたら何か考えちゃって。俺ん家はまぁ自由っつーかほぼ無干渉だから何とでもなるんだけど、大野さんって実家でずっと暮らしてるわけで…孫はもういるって言ってたけど、本当に大丈夫なのかなって。」
櫻井がぽすっとソファーに座り込む。
いつもは神の居場所なので櫻井はあまり座ることは無い。(※櫻井さんの家です。)
「じゃもう挨拶行くしかないね。そこで相手の意思を聞く。」
神は勝手知りたる他人の家というように棚からグラスを取り出す。
「挨拶ったって…息子さんを下さいって?言えるか、普通?」
「言いなさいよ、それくらい。難攻不落の大野智攻略したんだから、出来るでしょ?」
「言えねえぇぇ…………。大野教授みたいな素晴らしい頭脳の持ち主に孫は諦めて下さいって、すげぇパワーワードだぞ…。顔見知りだけどそこまでよく知らねぇし…。」
櫻井が頭を抱える。
「じゃぁ、箱根温泉の次の日に顔出したら?温泉で一晩大野智と過ごしてみて、それでいい作戦が生まれるかもしれないじゃん。大野智からまず情報もらう。ね、簡単な気がしてきたでしょ?」
神が櫻井にスっとグラスを差し出す。
そこにはどろりと濁った緑色の液体。
「………………これ何。」
「ん?コハル。」
「…大将の?!ありえねぇ!どんだけ下手くそだよ?!」
櫻井が目を見張る。
ぼこり、ぼこりと何故か不気味な泡が湧き出てくる。
「飲んでみなさいよ、味は美味しいから。」
「の、飲めるかこんなもん!俺はまだ死にたくない!せめて箱根温泉に行くまd」
「うるっさい。」
神がぐいっと櫻井の口に押し込む。
「んー!んーーーー!!!!」
じたばたと抵抗するも、鼻をつままれムダに終わり、意志とは反して謎の液体がゆっくりと喉を通る。
ごくり、ついに喉仏が上下する。
「……………ん?あれ…コハルだ…。」
見た目はグロテクスなのに味はそのままで、櫻井は驚く。
「でしょ?なめないでもらえますか。ワタシ、神なのよ?」
ふふんとドヤ顔する神に、櫻井が冷たい視線を向ける。
「神なら見た目もちゃんと作れよ!」
尤もな意見だが、
「仕方ないじゃない。翔ちゃんの家にある材料の中で作ったんだから。」
神は当然怯まない。
「逆に何入れたらこんな魔女の釜の中身みたいなもん作れんだよ…どう見ても人が口に入れられるもんじゃねぇだろ…つーか材料ないなら何でわざわざ作るんだよ、買ってこいよ…。」
神が鼻で笑う。
「ばっかだねぇ。翔ちゃんは本質を見失ってるのよ。見た目ばっか捉えてたらダメ。表面が全てじゃないの。
いい?同じ材料を使わなくても、味は似せられるんですよ。『これがないから無理』『作れるわけがない』…。そんなのただのやりたくない人の言い訳です。
全て使うのよ。使えるものはさ。固定概念が一番厄介よ?表ばっかりに囚われず無意味にひっくり返してみることも大事。わかる?頭カッチカチやぞ!な翔ちゃん?」
正論を突き付けられ言い負かされた櫻井は、不満げにハイ、と小さく返事をし、もう一度コハルを恐る恐る口にした。
じわりと口内に甘さが広がり、見た目はともかく味は完璧だとこっそり思った。