「…大野さん?」
櫻井に覗きこまれ、ハッと我に返る大野。
「…っ、とにかく、その日にね。落ち込んでたら、このTシャツ着た人が…突然声掛けてきたの。『大丈夫ですよ!今回は負けちゃいましたけど!次は絶対勝てます!!』って。」
胸が高鳴っていることを悟られないように話を戻す。
「なんかね、おいらのことサッカー負けて落ち込んで泣いてるファンだと思ったみたいで。そう言って去ってったの。顔上げたらもう後ろ姿だったから、顔は見えなかったけど。」
「うっ…ごめん、覚えてない…でもよく俺だってわかったね?」
「そりゃ…このTシャツ。後ろに英語書いてあるでしょ?」
大野が指さした背中の部分には、『When it rains, it pour.』と書かれている。
「意味が分かんなくて、なんか気になって…写メ撮って後から調べたの。そしたら、『降れば土砂降り』…『泣きっ面に蜂』って意味なんでしょ?
大失恋した夜に知らない人に絡まれて適当なこと言われるし、結局そのあと大雨になってTシャツが予言みたいだったし…もう、サイアク!って。…思わず笑っちゃったんだよ。びしょ濡れになりながら。」
大野が思い出し、んふふ、と笑う。
「…すみません…」
櫻井が俯くも、大野は首を横に振る。
「いいの。…励ましてくれてありがと。」
いつの間にか空は暗雲が立ち込めている。
ぽたり、窓の外を雨が叩く。
「………おいら、『次』は…勝てるかな?」
大野がぽつりと呟く。
「……勝てます。」
ぽつ、ぽつ。
雨の水滴が少しずつ増えていく。
「…本当に?」
「勿論。」
櫻井が力強く、ゆっくりと頷く。
「……信じても…いいのかな…。」
大野が不安げに櫻井を見上げる。
「…信じて…?」
「………。」
櫻井の言葉に、大野が拳をぎゅっと握る。
「……好きです。」
櫻井が意を決して、その言葉を口にする。
ドクン、ドクン。
櫻井が生唾を飲み込む。
思えば最初から運命だ初恋だと騒ぎ立てていたが、正式に告白が済んでいなかったとようやく思い出した。
大野に待つと言った。
嫌いでないものを隣に置く状態でいい、とも。
それでも櫻井はどうしても口にしたかった。
今しかないと、本能が告げた。
「………おいらも………。」
大野が雨の音に消え入りそうな声で呟く。
えっ、と息を呑む櫻井。
「…じゃぁ、俺と…」
「…返事遅くなってごめんね。
…よろしくお願いします。」
ふわり、大野が微笑む。
「…っ!!!
よっしゃーーーーーー!!!!!!!!」
櫻井が大きくガッツポーズをし、叫ぶ。
大野は驚くも、大袈裟な表現に思わず頬が緩む。
その時、壁に立てかかっていた米袋がガサッと倒れた。
母親から送られたそれは、昨日生田と堂本が中身を確認したため紐が緩く、米がざーっと流れ出す。
「…ライスシャワーじゃね?!これ!!ライスシャワー!!祝福してくれてる!すげぇ!!!」
「んふふ…アホでしょ、櫻井さんって!(笑)」
大野が笑い、櫻井も笑う。
2人は一緒に床に散らばった米を拾う。
「ごめんね、手伝わせて…」
「ううん。…ふふ、これは初めての共同作業とかって騒がないの?」
「! ほんとだ!!写真!記念写真撮ろうよ!」
慌ててカメラを手に取る櫻井に大野が噴き出す。
「あはははっ!ほんと…何なのマジで(笑)ウケる!(笑)」
櫻井は本当に写真を撮って、満足げに画面を確認してから拾い始める。
ぴたり。
櫻井の手が大野のそれに触れる。
「あ…の…。
……キス…しても、いい……?」
一瞬の沈黙。
大野が小さく頷く。
耳は真っ赤に染まっている。
櫻井の手が大野の顎を持ち上げる。
至近距離で目が合ってから、大野がきゅっと目を閉じる。
ごくり、どちらかの喉仏が上下する。
「………。」
橋の上のそれとは違う。
柔らかく、優しく。
ゆっくりと、唇が重なった。
きゅうっと下半身の奥が締め付けられるような感覚…が、お互いあることを互いに知らない。
ふ、と漏れるどちらともない吐息に、ぞくりと背中を駆け抜ける期待。
…しかし。
数秒し、櫻井がそっと離れる。
「…て、照れる…ね。」
「………うん………。」
どくんどくんと煩い心臓とちぎれそうな理性の糸を、震える深呼吸で整えるよう試みる。
このまま流れに身を任せるのは良くない、と櫻井は判断した。
何せお互い初めての男同士。
方法も準備もさっぱりわからない。
調べる時間は腐らせる程あったのに、神からの試練でそれどころではなかったのだ。
(体格的に多分大野さんに負担かけちゃうと思うし…がっついて嫌われたくないから、後で調べよ!
えーと大野さん風呂行ってる間にコンビニ行ってゴムやら滑りのいいもん買って、携帯で調べて…うわマジでやべぇ、緊張してきたっ…)
櫻井の脳は基本忙しい。
思考ですらテンパって早口である。(?)
一方、大野は。
(やっぱ…流石に付き合った初日に変なこと考えるわけないよね。うぅ、ぞくぞくってしちゃった自分が恥ずかしい…!)
全く見当違いなことを考えていた。
全ての米粒を拾い終わる頃、雨粒の音は多くなっていた。
「…じゃぁ、おいら帰るね?雨が酷くなる前に。」
「え、…泊まっ……いや、そうだね、また今度。」
櫻井ががっくりと項垂れるのを、大野が不思議そうに見る。
「? …じゃぁ。」
大野が名残惜しさを押し込めて家を出ると、ちょうどタクシーがマンション前で人を下ろしているところで。
そのまま乗り込み、雨があまり入らない程度に窓を開ける。
櫻井は傘をさしてタクシーの真横に立っている。
「今日はありがとう。」
「こちらこそ!気を付けてね!」
「連絡…するね。」
「! うん!待ってる!!」
窓を閉めて手を振り、運転手に自宅の場所を告げる。
エンジン音が響き、櫻井の家が遠ざかる。
まだ手を振ってる、とクスクス大野は笑う。
結局タクシーが曲がって見えなくなるまで、櫻井はぶんぶんと手を振っていた。
「あの、お客さん、ラジオかけてもいいですか?サッカーの勝敗が気になって。」
「あ…どうぞ。」
タクシーの運転手が嬉しそうにお辞儀をし、白い手袋でボタンを押す。
(そういや…今日は代表戦かぁ。)
実況者が興奮気味に残り時間を伝えている。
1-1の同点。
試合終了まで、あと数秒らしい。
と、その時。
『…ゴーーーーーーーール!ニッポン、やりました!2-1~!!!アディショナルタイムに決めたーーー!
…おっと、ここで試合終了のホイッスルー!!!ニッポン、大逆転勝利ッッ!!因縁の対韓国戦、違う舞台ではありますが、昨年の雪辱を晴らしましたーーー!!』
やった!と運転手が小さく漏らす。
わあああ…と音が割れそうな拍手の音と、窓の外のテンポの速い雨音がはかったように混ざる。
世界が、祝福に包まれる。
「…本当に、勝っちゃった。」
大野は流れる窓の外の景色を見ながら、ふっと笑った。