「ええ、本当に?!」
イベント当日。
タクシーで会場へ向かう途中、櫻井が目を丸くする。
会場が大野の両親の結婚式をした場所だと教えられたのだ。
「うん、だからかーちゃんが喜んでたよ。写真撮ってこいってさ。」
「そうだね、撮ろうよ!俺デジカメ持ってきたんだよ!そっか~…ふふ、やっぱり縁がある感じしない?やっぱ運命だわ…絶対そうだ…。」
心底嬉しそうな櫻井に、大野はふっと笑う。
「んなん、偶然だろ。」
「運命って、偶然が積み重なって感じるものなんじゃない?」
…確かに。と思った大野は口をつぐむ。
櫻井は口がうまい。
頭の回転も速い。
つい言いくるめられてしまうのはそのせいだ、と自分に言い聞かせる。
「大野さんて…拗ねると口尖るよね?(笑)」
「え、うそ?…別に拗ねてねぇもん。」
「くははっ、嘘つくと鼻ぴくぴくするし!」
「え、わ、うそ、まじ?うー…恥ずかしい…こっち見んなっ」
「嫌だね、見るよ。だって好きなんだもん。」
さらっと気持ちを告げる櫻井に、恥ずかしさのあまり大野の内臓がカッと熱くなる。
前に座るタクシーの運転手にどう思われているか気が気ではない。
「~~~~~ほんと恥ずかしい奴だよね櫻井さんって!」
「そう?ふふ、大野さんは本当に可愛い人だよね。会う度脳内で『Love so Sweet』かかるもん。」
「ば、ばっかじゃねーの!!おいら男だっつの!」
「はい。存じております。」
「う~…櫻井さんって結構いじわるだよねっ」
「はい、それも存じております。」
クスクス笑う櫻井と真っ赤になる大野を乗せて、タクシーは会場のホテルへと到着した。
『マグロの解体ショー』というものがどういうもので、どのようなことをするのか。
それはほとんどの人が知っているだろう。
しかし実際目の当たりにしたことがある人間は多くはない。
櫻井も例に漏れずその一人だ。
「すっっっっげぇ…かっっっっっっけぇ……。」
思わずつぶやく一言にこっそり隣を見上げた大野はクスリと笑う。
恐らくこのようなイベントにあまり興味がなかったはずの櫻井は、真剣な目をして見入っている。
(…一生懸命な人なんだろうな。)
大野はマグロに視線を戻しながら微笑む。
不器用な程色んな事に全力投球する男だ、と思えば、不気味に「運命」を連呼する櫻井の言動にも多少は納得がいく。
が。
(地球がどうとか神様がどうとかは…意味わかんねぇ。父ちゃんの研究のこと知ってるってことは頭いいくせに、野球へったくそだし、自分の傘は買い忘れるし…
やっぱこの人、なーんか抜けてるよなぁ。こんなにイケメンなのに。)
ふにゃりと笑う大野を今度は櫻井がたまたま見てしまったため、眉間に力を入れて顔が緩まないように下唇を噛んで堪えた。
ドキドキ跳ねる心臓に、もうマグロどころではなかった。
「さぁ、次は釣りのプロと対戦できる貴重な体験コーナー!勇気ある挑s「ハイ!!!!」
マグロの一本釣り体験ゲーム。
…を、大の大人が食い気味で鼻息荒く楽しみにしている図というのは、一般的に『普通の光景』ではない。
「ちょっ…何でそんなやる気満々なんだよ!?」
ピンと右手を上げる櫻井に小声で尋ねる。
「大野さんにちょっとはいいとこ見せたくて…この為に今日まで鍛えてたんだよ!」
「えええー…」
大野に櫻井の思考は全く理解できない。
勿論それは神の操るところなのだが、そんな背景など知る由もない。
引いている大野を尻目に、司会者に導かれるまま櫻井がステージに上がる。
横尾は「あ、あの時の…」と持ち味であるぎこちない笑顔を向ける。
「こんにちは。とても楽しませて頂きました。でも…負けませんから。」
「僕手加減とかしませんよ?いちおー、プロなんで。」
活舌が悪い横尾の言葉に櫻井は自信満々で
「当然。真剣勝負でお願いします。」
と余裕の笑みを浮かべて返す。
「では、両者構えてください!」
司会者の言葉に、櫻井と横尾は機械のリールを握る。
その手にぎゅっと力を込めた櫻井の目には、かつてない程の自信が漲っていた。
「よーい…スタート!」
*
「…はぁ~~~…。」
長い溜息をつくのは、大野の少し前を歩く櫻井だ。
イベントは恙無く終了し、散歩がてら歩いてホテルを後にしている。
「そんな気ィ落とさなくても。相手プロだぞ?結構頑張ってたじゃん。」
「わかってるけど~…あんだけ努力したし、いい線いってると思ってたのになぁ。」
落胆する櫻井の肩はただでさえ傾斜があるのに、今は腕が落ちてしまいそうだ。
大野がついそんな心配をしてしまう程、櫻井は肩を落としている。
「…人生はそんなに甘くない、か。」
「…何でそんな一生懸命なの?」
大野は呆れ気味に声をかける。
たかだかイベントの中のゲームだ。
大騒ぎするようなものではないし、相手はプロなのだからそこまで落ち込む意味が分からない。
「変われるかなって思ってたの。」
櫻井が眉を下げながら振り返る。
「…変わる?」
「そう。俺、大野さんに胸張れることないからさ。ポイント稼ぎって言うと言葉悪い感じするけど、少しでもあなたに『やるじゃん』って思ってもらいたかったんだよ。
そしたら、自分の中の小さな自信になるかなって…って、ごめんね、本人にこんなこと言うのも変か。」
苦笑して前を向き直る櫻井に、大野はかける言葉が見つからない。
ここまで悩ませているのはこの曖昧な状況のせいだ。
やはり『嫌いじゃないから傍に置いてみる』だなんて、相手に失礼ではないだろうか。
自分の気持ちが分からないのに距離を置けない、なんて。
(いい歳した男なのに…情けない……。)
その時、ちゃぽんと水音がして辺りを見渡す。
「…あ。」
大野が立ち止まる。
「どうしたの?」
橋、だ。
恋人たちに有名な言い伝えのある橋を渡っているのだと気付く。
コンクリート続きの大きめな橋で、道路との明確な境界線がなく川を渡っていることにすら気付かなかった。
──この橋でキスをしたカップルは結ばれる。
ここで大野の両親は、キスをした。
…なんて、自分を想ってる人間に言うのはおかしいため、「…何でもない。」と誤魔化す。
「…?そう?」
カランカラン。
背後からの音に2人は振り返る。
橋の向こう、通り過ぎたホテルのエントランス前で、白いオープンカーが空き缶をつけて人に囲まれている。
最近はあまり見かけないが、結婚式のイベントの一貫だ。
ゆっくりと進む車に乗る花嫁と花婿がギャラリーに手を振り、「おめでとう!」と祝福の言葉を受けている。
その姿は遠目に見ても幸せに溢れている。
大野は目を細めている。
「…大野さんって、次付き合う人と結婚するつもりだったんでしょ?」
櫻井の言葉に、視線を戻す。
「ああ…潤くんに聞いたの?うん、まぁ。」
「…どうして?子ども…的な?」
「いや、別にそういうのはないけど。子どもとか好きじゃないし、姉ちゃん結婚してるから親も煩くないし。
でも…この人と一生一緒にいる、って覚悟出来る位の恋愛じゃないと付き合わないぞっていう決意みたいなもんかな。とにかくもう傷つきたくないんだよ。」
「そ…っか。」
櫻井は内心安堵の息をつく。
子どもが欲しいということであれば間違いなく自分は対象外だからだ。
「…俺は裏切らないよ。」
「……んなん、わかんねーじゃん。」
「俺、本当にあなたのこと…っ」
カランカラン。
走ってきたオープンカーが自分たちの横を通り抜ける。
カランッ!
缶の一つを繋げていた紐がぷつりと切れ、橋上のコンクリートへと投げ出される。
「あ…」
「危ない!」
すぐ近くに落ちた缶を拾おうと大野が手を伸ばすと、トラックが来ていたところで、櫻井が慌てて手首を掴んで引き寄せる。
──幸せを掴んで、引き寄せる!
櫻井の頭の中で松本の声が響く。
歩道に大野を戻し安心したのも束の間、ちょうどそこにベビーカーを押した女性が通りかかっていた。
「あっ、大野さん!」
「わっ…!」
ベビーカーに当たらないように櫻井が大野を自分のもとへ引き寄せる。
──その手は絶対、離さない!
明るい声がまた響く。
(…おめーに言われなくても、離さねぇよ!!)
ふと気付けば。
「………」
「………」
櫻井は、大野を腕の中へ閉じ込め、
唇を当てていた。