「翔……ちゃん……?」
その人は
忘れられるわけがない、初恋の相手だった。
*
幼馴染
というものが、どの位の年齢からどのような関係の構築でそう呼べるに相応しくなるのかはわからない。
智くんと俺は、小学校に入学して出会った。
殆どの友人と同じ、そのタイミングで知り合ったにも関わらず、俺は智くんを幼馴染だと認識している。
その理由は、小学2年生の時。
仲良くなって互いの家に泊まるようになってから発見した幼少期の写真だ。
「ねぇ、翔と昨日話してたんだけど…これ智くんに似てない?」
お袋が出してきたアルバムは赤と呼ぶには少々暗い、真紅色の大きな正方形のものだ。
分厚いアルバムには夥しい数の俺の写真が映っている。
俺は一人っ子だ。
お袋はことある事に俺の写真を残した。
愛されていた、と思う。
そして幸せに暮らしていた。
アイツが俺らをめちゃくちゃにするまでは。
「あれ、ほんとだ…ていうか、これおいら!え、翔ちゃんとおいらって…会ったことあるの?!」
「えっ?!嘘でしょ?!」
それは家族揃って葉山へ行った時の写真だった。
3歳頃だ。
親父は都内で町工場を経営していた。
当時は少ないスマートフォンの部品を作る会社で、結構順調で、新しく委託する工場の視察だった。
周りは大人だらけで、たまたま法事で親戚の家に来ていた智くんと海岸沿いの砂浜で出会った。
暇を持て余した同い歳の幼い子ども同士が仲良くなったのは必然だったのかもしれない。
2人は1泊2日の間、ぴったりくっついて過ごしたのだとお袋が懐かしそうに教えてくれた。
「ご両親、元気?入学式でいらっしゃった?気付かなかったわぁ。」
あー、と智くんが眉を垂らす。
「かーちゃん、入院してて来てなかったから。ガンなんだ。まだ入院してる。」
あら、と余計なことを言った自分の口を抑える我が母親の姿を横目で睨む。
「ごめんなさいね…。」
「ううん!かーちゃんが言ってた。急に事故に遭って死んじゃうよりずっと良かった、って。未来の分までいっぱい大好きって言ってくれてんの。おいらもいっぱい優しく出来るから、後悔しないように出来るの!」
「そう…素敵ね。今度おばさんもお見舞い行ってもいい?」
「俺も!俺も行く!!」
「うん!ありがとう、かーちゃんに言っとく!」
智くんは晴れ晴れしとした笑顔で笑っていた。
俺はその笑顔が、何故だか脳裏に焼き付いて離れなかった。
それから2年後、智くんのおばちゃんは亡くなった。
葬式で、来てくれてありがとうと言う智くんに対面して驚いた。
もっと落ち込んでると思ってたから。
「頑張ったね…お疲れ様。」
遺影に向かってそう呟いた横顔は、心配し切っていた周りが拍子抜けする程に穏やかだった。
凪いだ静かな海。
そよそよと揺れる葉から零れる不安定な光。
俺にとって、そんな人だった。
出会った時から、ずっと。
心の拠り所、みたいな。
落ち着ける場所、みたいな。
智くんはそんな感覚の人だった。
季節は過ぎ行き、中一の冬。
俺はパソコン部、智くんは美術部でそれぞれ活動し、いつものように智くんが父親と住むアパートに一緒に帰宅した。
智くんのお母さんが亡くなってから、ちょこちょこ夕飯を一緒に飯を食うようになっていた。
お袋が持たせたおかずを一緒に食べることで、智くんの父親的にも助かっているらしく、
また俺の親も煩いのが居ない夜は好き勝手出来るから楽でいいと、双方が喜ぶからしょっちゅうタッパーないしは家にストックしてある日用品を宿泊費代わりに泊まりに行っていた。
智くんの父親は基本夜勤のため、俺が行く時は仕事で家にいないことがほとんどで。
アパートなんだけど、楽器店が1階にあるから防音設備が結構しっかりしてて。
夜中までゲームしててもテレビ見ててもバカ笑いしてても怒られないその空間は、気の知れた親友である智くんが隣にいるということを差し引いても、俺にとっちゃ楽園だった。
だからその日も当然のように智くんの家に寄った。
だけど、タッパーは持って行かなかった。
というより、持って行くことが出来なかったのだ。
その日のことはよく覚えている。
…忘れるわけがないんだ。
俺はその日が、親友と会う最後の日になることが分かっていたのだから。
今日は手土産何も無いんだ、と言うと、全然いいよと笑いながらオムライスを作ってくれた。
智くんは母親がずっと入院していたこともあって、手際がいい。
帰宅してちゃちゃっと美味いオムライスを作り、皿洗いもあっという間に終わった。
智くんの手料理は全部美味しいけど、オムライスが一番好きだ。
グリーンピースなしの、鶏胸肉で作る、フワトロじゃない卵のいわゆる質素なオムライス。
だけど、どこで食べるものより、正直お袋のものより好きだった。
風呂を沸かしてくると言う智くんに、ちょっと待ってと声をかけ、俺の真正面、一緒に寝る布団の上に座らせた。
そろそろこの布団で2人で寝るのもキツイだろうと、中学へ上がった時に智くんの父親はもう一組布団を用意してくれた。
それでも身長も恰幅も無い俺らには、寄り添って寝るのは全く苦痛も嫌悪感もなかった。
来年にはきっとこの布団じゃキツくなる。
それに、友人と同じ布団で寝るのは気持ち悪いなどという感覚も芽生えるのかもしれない。
だけど…
もう、俺にはそんなの関係ない。
だって、もう会えないんだから。
「智くん…俺さ…。」
じっと智くんを見つめた。
「?」
智くんが俺の言葉を待つ。
その顔にきゅっと喉の奥が詰まった。
俺はもう、この顔を見ることが出来ない。
智くんの声を聞くことが出来ない──。
「えっ…?」
伝えなくてはならない言葉を、俺は紡げなかった。
感じたのは、自然、ってことだった。
海岸に波で削られた貝殻がゆっくりと押し出されるように。
木漏れ日に照らされ朝露が光る花に、ヒラヒラと蝶がとまるように。
俺は智くんの肩を掴み、自分の唇 を智くんの唇に 押し当てていた。