「だから、ちげーって!ここは暗転まで3秒、曲足んねぇよ!」
「すみません、修正します!」
「あと衣装の案は?上がったろ、もう。」
「えーー…っと…あ!」
マネージャーの手からバサバサと落ちる書類の枚数は、30は優に超えている。
「ったく何やってんだよ!」
「す、すみません!!」
「チッ…!」
床に散らばった書類を大野がそっと拾い上げる。
まとめた分をマネージャーに渡し、松本に微笑みかける。
「こいつもう限界だよ。足フラフラしてるし目も赤いもん。松潤も1回休憩しよ。取材までもうちょっとだし。ね?」
大野の言葉に、松本は小さく息をつく。
「……わかった。」
「ほら、車で寝とけ。取材の時くらい休みな?」
「す、すみません…ありがとうございます…!」
松本に頭を下げた後、大野にも大きく頭を下げて涙目のマネージャーが出ていく。
ドアが閉まりしんと静まり返る楽屋。
2人での取材で、室内に他のメンバーはいない。
「大変っすね、総監督は。」
大野が苦笑する。
「…悪かったね。嫌な空気にさせて。」
「ううん、俺は別に。ほんと、すげぇなぁ~って思うよ。松潤あってのコンサートだからすげぇ感謝してる。俺は何もしてないし…」
「リーダーはいいんだよ。居てくれるだけで。ダンスとかまた頼むかもしれないけど。」
「げっ。…早めによろしく…。」
「セトリや構成決まんねーと頼めねんだもん。ま、善処しますよ(笑)」
「はぁ~い。。」
大野の子どものような物言いに、松本が思わずふっと笑う。
「松本さん!」
慌ただしく入ってきた別のスタッフが松本にiPadを渡す。
「例の委託してた映像上がりました、確認お願いします!」
「分かった、今確認するわ。」
少し見て、松本の顔が歪む。
「言ってたのと全然ちげぇじゃん!もっと明るくて鮮やかな、細かい画ってオーダーだろ!曲も!OPは大事だっつってんのに、指摘箇所あんま変わってねぇし!!」
「そう伝えたんですけど、設備の解像度の問題で…モニターの規格が大きすぎるとのことで、過去に例がないからと…曲の方もプロデューサーはOK出てたみたいで、さほど直さなくてもいいと思われたのかも…」
「ふざっけんなよ!」
ドン!
テーブルを拳で殴ると、じんじんと痛み出す小指。
──ダメだ、ダメだ、ダメだ…!!
こんなんじゃダメだ。
完璧にしなきゃいけない。
過去に例のあるものじゃいけない。
俺が任されてるコンサートだ。
妥協は許されない。
新しくて、斬新で、スタイリッシュで…
誰にも、何にも文句言われないステージ。
俺にしか出来ない演出。
とにかく、完璧なコンサートを。
作らなくちゃいけない。
去年のよりもいいものを。
過去の何よりも最高なものを。
それが俺の仕事だ。
それが俺の役目だ。
俺がいる意味。
俺のやるべきこと。
こんなことも出来ないのかと
だからジャニーズは、と笑われる。
くだらないコンサートだったと、嵐は落ち目だとネットに書かれる。
俺の責任なのに、4人の評価に関わる。
絶対にさせない。
嵐のコンサートは最高だって、何度見ても更新されるって、そう思わせないと……!
「くそっ…!」
松本が歯を食いしばるのを見て、大野が心配そうに見つめる。
そしてゆっくりと立ち上がり、楽屋をそっと出て行く。
松本はそれを見て、自己嫌悪に苛まれる。
周囲の人間を嫌な気持ちにさせていることは重々承知。
それでも心のトゲトゲは消えない。
周りを攻撃するトゲが、少しずつ、少しずつ大きくなるのを、誰より自分で感じている。
それがまた息苦しい、と松本は思う。
重たい鎖は腹の奥まで繋がっている。
身体全体を鉛のようにさせるそれ。
たまに息をするのも苦しくなる。
自分が何処にいるのか、分かってるのに、分からなくなる。
──俺は今、どこにいる?
──俺の足は今、どこに着いてるんだ?
真っ暗闇に感じる時、深い海の底にいるんじゃないかと不安になる。
もがいてももがいても、身体は浮かばない。
当然、息はできない。
誰か、助けてくれ。
誰か………。
「はい。」
頬に当たる冷たさに驚いて顔を上げる。
「え…?」
「ココア買ってきた。良かったら飲んで?」
スタッフはいつ出ていったのか、もういない。
「……アリガト。」
「甘いもんって美味しいよね。何か、ほわってなる。松潤みたい。」
「…は?何よそれ。」
突然そんなこと言われて意味がわからないし、笑いながらココアに視線を向ける。
ほわっとさせんのはリーダーのことでしょ、って思ったけど、何となく照れくさくて言い出せない。
「んふふ、松潤可愛いから。見ててほわってなんの。」
「…何だそれ?世間的には大野さんのが可愛いでしょ。」
「世間的とかは知らない。俺は俺が思うことを言ってるだけ。松潤見てたら、ほわってなるよ。」
ふにゃんと笑う大野に、何故だか涙が出そうになる松本だった。
張り詰めた空気や気持ちを緩めてくれるのはいつも大野だ。
メンバーもその一端を担っていることは間違いないが、松本にとっての最終地点は必ず大野。
それは大野への気持ちに関係している。
頑固で協力的ではなく、会議中も聞いているのか分かったもんじゃない。
リハでしっかり踊った姿を確認したくても、それを簡単に「やりたくない」と拒否する。
収録中はろくに喋らないし、音声のみの収録でさえ放っておくと口を開かない。
櫻井が気を利かせて大野に振らなければ、最初と最後の挨拶だけで終わることになるだろう。
それは松本の思う『プロ意識』から1番遠いところにあるように感じた時もあった。
しかしそれすらも『らしさ』にしてしまい、場を和ませてしまうのだから、敵わないと松本は思う。
正直、今でも腹の立つ時はある。
こんな男に何故惹かれるのだろうと自分でも甚だ疑問だった。
それでも、大野の『変わらない』というところは、自分の心の拠り所でもある。
こんな世界にいると、いつも追われていて、答えもゴールもなくて…
地に足をついているのか、不安になることが多々ある。
その不安からトゲトゲした気持ちが生まれて、放っておくとどんどん大きくなり、やがて周りの人間を傷付け始める。
最近自分でも口調が荒く態度が大きくなってしまったと感じるようになった。
特にマネージャーに対してはきつく当たってしまう。
感謝してないはずがないのに、ストレスの捌け口がないこの世界で1番矛先が向きやすいポジションがマネージャーやスタッフだ。
それを大野は柔らかく間に立って仲裁する。
松本の心に感じるトゲトゲを、包み込んで溶かすように。
その余裕さにどうしようもない器の大きさの差を感じて自己嫌悪になるが、大野はそれすらも掬いあげる。
「松潤は悪くないよ。」
「大丈夫だよ。」
恐らく何気なく口にしているであろう大野の言葉に、松本の心はいつもほわっと軽くなる。
不思議な男だ、と、長く連れ添えば連れ添うほど思う。
だからなのかもしれない。
人は知りたいという好奇心、探究心を止められない。
もっと喋りたい、もっと触れたい…という欲求は少しずつエスカレートしていった。
芽生えた尊敬の念は、いつしか恋愛の好意に変わっていた。