「…どうだった?」
櫻井はスマホを肩で挟みながら、チョコレートを手に取る。
個包されているアルファベットチョコだ。
手を使わず、歯でそれを器用に口に入れる。
『無事に入れましたが…四面楚歌です。分かってたことですけど。』
電話口の大野が苦笑する様子が手に取るようにわかる櫻井は、ソファから身を起こす。
「智。…敵の懐に入ったからには、しくじるなよ。果報は寝て待て、だから。チャンスは必ずやってくる。」
『はい。必ず…論文を完成させて、あなたの役に立ってみせます。』
「いい子だね。上手く出来たら、ちゃんとご褒美あげるから…1人で弄 るなよ?」
げほっ、と咳込む大野に、櫻井がにっと笑う。
「智が好きなあの薬も、あのオモチャも…ぜーんぶ用意してあるから。その為には、松本を…潰してこい。」
『は、い……分かりました。』
恐らく真っ赤になっているであろう大野を想像し、櫻井はふっと笑いながら電話を切る。
ブラックコーヒーを一口啜り、ふぅと一息つく。
「……本当は行かせたくなんてなかったけど……」
暗くなったスマホの画面をじっと見つめる。
大野の提案だった。
論文を完成させるためには、東城大での治験をすべきだと。
自分に出来ることは、何でもしたいのだと。
他に手立てはあると言っても何度も食い下がった大野に、とうとう折れたのだ。
それに、理事長になれば、このしがらみから抜けられる。
今抱える問題全てに終止符を打て、大野を一生自分のモノに出来る…。
『やっ…!何を…っ、』
『時期教授のポストを用意してやる…だから、お前は俺のモノになれ…!』
『やめてくださっ…あぁっ…!』
権力で無理矢理大野の身体を拓 き、縛り付けた櫻井。
教授という立場に抗えぬ大野への罪悪感は多少なりともあったが、それでも手に入れたかった。
いつしか大野は…櫻井のことを慕うようになった。
いや、本当は大野も、最初から…。
しかし櫻井はその大野の気持ちを、本気だとは思っていない。
縛り付けたが故、洗脳されてしまっているだけだと思っている。
大野が櫻井を必死で理事長にしようとしているのも、自分との縁を切らせたいからではないのか、と疑っている位だ。
櫻井はその主従関係を終わらせたいのだ。
そして新たに始めたいと思っている。
櫻井が理事長になれば、自分たちの間のしがらみは、消えはしなくても変わる。
そうすればきっと、大野の本当の気持ちが見えてくる。
例え拒絶されても、諦めることはしない。
身体だけではなく、心まで必ず手に入れてみせる。
そう、櫻井にとって理事長選は
ひとえに大野との未来のため──。
「松本が気に入らないといいけど…」
松本は手が早いことで有名だ。
泣かされた女は数知れず、との噂も櫻井は耳にした。
大野が男とは言え、大野の魅力は性別を超える。
自分がそれに溺れたように。
「ま、女好きのアイツのことだし、流石にない…か?」
櫻井は女遊びをしていた自分の過去を棚に上げ、笑いながらもう1つチョコレートを手に取った。
松本が今抱える『ペット』が、まさに男だということも知らずに。