前回の続き

 

 

 

あなたはなぜ自然に生じる「離れ」を待つことができないのか。

なぜ矢を放つ前に息が切れてしまうのか。

 

それはあなたが自分自身から離れていないから。

だから正しく弓が引けない。

 

正しい道とは、目的がなく意図がないもの。

 

あなたは、的を確実に当てようとしている。

矢を放つタイミングを習おうとしている。

 

そういった意欲を捨てなさい。そうでなければ、的は益々あなたから遠ざかっていくでしょう。

 

あなたの心には、あまりに強い意志が存在している。意思がなければ何も生じないと思い込んでいる。

 

それが邪魔をしている。

 

丁度良いタイミングを感じ考え、矢を素早く放とうと意欲され、意図的に右手を開いている。

つまりそのことを意識している。

 

無心であることを学ばなければならない。

考えるのでもなく、感じるのでもなく、意欲するのでもない、

完全に無我になることができればうまくいく。

 

たとえば、ある幼児が人生の目的や意義、あるいは人生を豊かに生きるための知恵を求めてきたらどう答えるか。

まずは学校や会社に行き、多様な経験を積んでもらわないと、答えを聞いたとしても納得できるはずがない。

へリゲルが示した態度は、こういった大人びた幼児に似ている。つまり経験しなければわからないものを、自分の思考によって先取りしようとしていた。そのため師は、目的や意図を手放して、焦らず練習を重ね、自然な成熟を待つべきだと助言した。

 

稽古がある日は、周りのあらゆる雑音を無視し、この世界で重要なことは弓を射ることだけであるかのような精神状態で道場に来ることを求めました。つまり道場に来てから気持ちを切り替えるのではなく、道場に向かう前から心を集中させ無心になるための下地を作っておく必要がある。

達人と呼ばれる人たちが無心で物事を取り組む際に、どれほど事前準備を大切にしているか。師匠と呼ばれる達人は、ゆるぎない徹底さをもって事前準備を行う。墨絵の達人は弟子たちの前で筆を吟味し、慎重にそれを準備した後、念入りに墨をする。

また、生け花の達人は教授の初めに花の枝を束ねている麻紐を慎重に解き、これを丁寧に巻いて傍らに置く。

 

なぜ師匠たちはこういった単純な作業を弟子たちに任せないのか。それは彼らが準備という行為が、芸術的創造にとって必要不可欠な要素であることを知っているから。瞑想的な静けさの中で準備を行い、すべてのエネルギーの調和を整え集中状態に入る。それなくしてまっとうな作品は作れないということを知っているからこそ、徹底的に準備を行うという習慣に強いこだわりを持っている。

 

見方によっては非効率な完璧主義と思えるが、念入りに行われる単純作業は、作品を作るうえで最高の精神状態を作るための予備動作であると同時に、その行為自体もすべて作品の一部になっている。

 

合理性を追求すると、なんでも切り捨てたくなるものだが、それによって真に価値ある創造が為されるとは限らず、やみくもに無駄を省くのではなく、引くべきところとそうでないところの見極めがいかに重要か。

 

日本の師弟関係は、古くから生活と結びついており、ただ技術を教えることにとどまらない。弟子は師匠がやって見せたことを誠実に真似し、一方、師匠は長々しい教えを語らず、理由づけもせずただ簡単な指示を行うだけ。

弟子たちの自立心も創意工夫も求めない。

彼らを追い立てることもなく、ただその試行錯誤をじっと眺めている。

優れた師匠は、弟子たちが自らの力で目覚め、熟するのを待つ忍耐力をもっている。だから弟子たちは慌てて何かをできるようになろうと思わない。何年も愚直なまでに稽古をすることによって、型を覚えて完全に使いこなせるようになる。

 

型は自分を縛るものではなく、むしろ自由にするものだと決定的な経験をする。

 

 

「守破離」・・・師匠から教わったことを正確に表現できることを目指す→自分に合ったやり方を模索し様々な方法を試すことで既存の型を破る段階に進んでいく→これまでの経験を基に新たな芸風や流派を確立し、型から離れて自由になる

 

 

日本の芸能や芸術は守破離によって発展した。

 

すべての弟子が最終段階まで進めるわけではない。多くは表面的な技巧で満足し成長が停滞する

師は弟子たちが賞賛され達成感に浸ることによって、すでにひとかどの人間になったかのように振る舞う危険性を理解している。

弟子たちの心に用心深く繊細にアプローチし、自分自身から離れることを求める。

直接的にではなく、あらゆる成功は無我の状態で以外ありえないと、本人の経験に結び付けながら暗示的に示す。

弟子が内的な変化を経験するまで注意深く見守る。

その自然な流れに影響を及ぼさないよう余計に何かを教えようともしない。

自分が思うようになし得る、もっとも秘めた内的な方法によって弟子を助ける。

快と不快の間を何度も往復する状況から離れる。

ゆったりとした平静さを保ち、まるであなたではなく、他人が矢を放ったかのように超然とする。

的に命中させることの執着心、賞賛されたいという欲求、叱られたくないという恐怖心から解放させる。

 

疑念や思考を捨て去り、ひたすら稽古をする