弓道の師範に弟子入りをしたドイツ人哲学者オイゲン・へリゲルの『弓と禅』については以前に少しだけ取り上げていましたが、今回は重要なところのまとめ。

 

 

 

弦をひくときは前身の力を使ってはならない。

両手にだけに仕事をさせるように、肩と腕の力は抜いて、あたかも何も関与していないかのように、弓を精神的に引くことを学ぶのです。

 

それからへリゲルは脱力しながら弓を弾く練習を何度も行った。

しかしどれだけ努力を重ねても脱力した状態で弓を放つことはできず、ある日その事実を打ち明ける。

あなたが弓を正しく引けないのは、正しい呼吸をしていないから。必要な分だけ息を吸って吐くのです。このような呼吸ができるようになると、造作なく弓を弾くことができるでしょう。

 

それからへリゲルは練習を何度も行い、呼吸法が効果を表すまで大変な苦労をした。技術的に正しい呼吸ができても、いざ弓を引こうとするとどうしても足の筋肉がこわばってしまう。

 

一生懸命力を抜こうと努力していると言い訳をすると、「努力している」と考えていること自体が問題だと。

 

ただ呼吸することだけをすればいい。

正しい呼吸の習得は決して簡単なことではない。感情、心配、いろいろな考えが頭の中で分け目なく混ざり合い、持続的に集中することができない。

しかし何度も練習を重ねるうちに浮かび上がる考えに慣れ、それらがどうでもよいことを学び、さらにその学びすらもどうでもよくなってきた。そうして呼吸の訓練をしていくうちに、弓道はスポーツではなく、自己と向き合う内省的な営みだと発見した。

 

なぜ先生は無駄に骨を折るのを眺めていたのか。

 

初めから正しい呼吸の仕方を教えてくれなかったのか。

 

もし先生が最初から呼吸法を教えていたとしたら、自分が経験した決定的な進歩を呼吸法によって達成したとは思わなかっただろう。

 

自ら試行錯誤してその試練を乗り越える必要があったのだ。

 

人は、早く上達したい早く結果を出したいという焦りから、つい小手先の技術に頼りたくなってしまうもの。

なんの試行錯誤も経験しないまま表面的なテクニックを身に付けると、基本がおろそかになるだけでなく、何でも技巧的に解決する癖がつき、成長が一定のレベルに止まってしまう可能性がある。

 

「トライアンドエラー」というプロセスは言わば自分との対話であり、人間の内面的な成長において欠かすことができない。まずは技術よりも自分と向き合う時間を多く設け、気づきを得ることの方が大切なのだ。

 

「あらゆる物事は言語によって論理的に理解されるもの」というヨーロッパ的な思考は、無心になるという、言葉でも技術でも到達できない行間を読むような暗示的な説明は理解できない。