Where is My Mind | 書道教室 墨屋好文堂

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その昔、ポテトチップスを買いに行くと沢山の種類の中からどれにしようか迷ってしまっていました。

今ではカルビーのうすしお味に落ち着いていますが、ここに辿り着くまでには間違った選択も当然ありました。その結果としては基本的にすべて味が濃い。

選択する時には袋にプリントされているデザインや写真から想像を膨らませそして味を想像するわけじゃないですか。一つ一つ想像していくとかなりの時間を要するわけです。なのでポテチ売り場の前で5分以上立つことも少なくなかった、が今はうすしお味だけで事足りている。進歩したな。


買い物にしてもなんでも最初の直感って大切にしたいものです。それは感情(心)から生まれるものであるけど、選択肢が複数あると、あれもいいなこれもいいなと思考(頭)が働きだし横からちょっかいを出してくる。そうすると最初の直感でこれがいい、と思ったものがわからなくなる。で、前にも言っていた”悩む”が生まれます。

結論から言うと迷った時は買わない方が良い。

グルグル回り続けるだけで到達することがない。そこで頭をいったん切り離す、すると、波紋(思考)が消えると心に残っているものは見えてきます。

また、それを観察し整理することでアイデンティティの確立へと到達することができる。


買い物でもとらえ方しだいでは人生におけるちょっとした訓練にもなりえると思います。

なんかもう今の世の中って、買ったら付いてくるポイント、ポイントってうるさすぎやしませんか。ポイント貯めて得したとしても、結局のところ人生の因果法則からみれば・・・つまりひろ~く観れば得も損もしないわけじゃないですか。

・・・ところがですねよく考えてみると、今のケイタイのポイントが7年くらい貯まってるのでかなり得したと思ってますよ。でもこれは知らず知らずのうちにそうなってしまってるパターンだからいいじゃないですか・・・そうです、知らず知らずの内にもうこのポイント社会の囚われの身となっておるわけです。

もうこうなったら、auやめてソフトバンクのアイフォンにしようかと最近になって思い始めてます。これはiTunesがあるからという理由が大きいのですが、ここでauのポイント全部捨てたら逆に気持ちいいんじゃなかろうか、とも思ってますし今後は、いろんな執着をどんどん手放していこうかとも思ってます。


話を元に戻します。

”アイデンティティの確立”です。

「自分が何者かわからない・何をしたいかわからない」といった、アイデンティティ(「これが本当の自分だ」といった実感)が確立できず悩み続けることにより、精神病や神経症といった、最近では鬱病の若年齢化が進んでいるともいわれてますが実際のところどうなんでしょうか。凶悪犯罪が増えたという人もいれば実際は減っているという人もいたり。ひきこもり、というものがあるから引きこもるわけで、鬱という言葉が頻繁に発せられるようになるとそっちの方に気が行ってしまって鬱でもないのにそんな気分になるパターンも少なくない。例えば、”たてこもり”というのがあれば人質とって立てこもる人が多発したり、”ひきがたり”ってのがあれば弾き語る人々が路上を占拠したり、”やりたがり”ってのがあれば好き勝手やる人が出現するわけです。


話を戻します。

アイデンティティは青年期・中年期・老年期と何度も再構築されるものなので、そういった時期に情報化社会、消費社会に対して受動的であるだけならば、頭で処理しようとする癖がついてしまい心を見失いがちになるのではないのかな。頭で処理しきれずパンクする、といったことにならないためにも、一度情報を分解して再構築するといった作業を身につけておくことができれば様々な情報から解放され、心のリノベーション(復活)に繋がるのではと。


「分解と再構築」を料理で表した良い例があります。

”赤いトマトで白いムースを作る。これはトマトの果汁を使うわけです。赤くないけどトマトの味がする。そして、ソースで赤を使うことで、皿の上で独創的なトマトの料理を再構築したのです。”というようなことです。


溢れる情報の中にも心に残るものがあります。それを見いだせるのは心だけです。

そして迷った時は残ったそれらを結びつける。そうすると答えが見つかる、もしくは新しいなにかが生まれる。

ということで、そろそろ頭がパンクしそうなので韻をふんでまとめると


レゾリューション(分解)→リコンストラクション(再構築)→ソリューション(束縛からの解放)→リノベーション(復活)→レゾリューション(決心)=アイデンティティの確立  (※レゾリューションには複数の意味有り)


うーむ、自分でも何を言っているのかよく分かっておりません。
言うまでもなくこれらはたんなる言葉による”こじつけ”なのでここまで言ってきたことも正しいとは言い難いです。雰囲気だけなのでこんなことはユルい感じでとらえます。

というのも、東洋思想においてアイデンティティは否定されるもの。仏教では「色即是空」と説きこれを否定します。(「色」=情報 「空」=実体はない・無我)

この世のものに実体はなく、すべては他によって存在している。我が無いからアイデンティティ(自己)も無いということです。超シンプル。

哲学は小難しいことばかり言うからややこしくなる。


お釈迦様は生きる意味を簡潔に述べてます。

「他の生命の役に立つことがこの世に生まれた意味であり、それが人間が歩む正しい道」なんだと。


さて、"Where is your Mind"