例えば 「水が飲みたくて 道路の向こうのコンビニに行く。」とする。
車の往来が激しくて どうやって道を渡ろうか?・・と悩んでいるところに友達が声をかけてきた。
友達 「やぁ♪。そこで 美味しい水を買ったんだ♪。」
自分 「ちょうど良かった♪。君さ この道路を渡る方法を知らない?。」
目的は 道を渡ること? それとも 水が飲みたいってこと?・・・(^o^; 。
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「手段と目的は違うんだよ」・・って人にはいつも言う。
なのに 先の小噺みたいな馬鹿なことに自分が陥っていたので
自虐ネタで書きました。<<☆Σ(゚Д゚ ヲィ!
(笑
私の目的は 幸せになること。
なにが幸せと感じるかは・・・。
木工の材料がたくさんある 森や川や海がある自然に囲まれたところに
工房と住処をかまえて そこで木工作品を作ること。
そして 私の木工作品のスピリットに共感してくれる人とモノ作りがしたい。
そこで ちょっとした自給自足的な生活をして
仕事が終わったら 美味しいもの食べて音楽なんか奏でながら過ごしたい。
そんな生活に共感する母親も呼んで共にそこで暮らしたい。
ついでに 広い土地が手に入って そんな生活に共感する人達が集まって共にそこで暮らしたい。
長老みたいな 「君臨すれども統治せず」的な存在になって
統治責任者に怒られながら みんなと楽しいことをするんだ・・(笑
そんな生活の中でいつの間にか亡くなるんだよ。
そこに住む人はみんな いつか長老になってそんな死に方が出来るんだよ。
それが目的だったのにさぁ~。
そういう暮らしをするためには 好きな木工の仕事を充実させないといけない。
その為には 家のローンを返済するためにやってる今の仕事を辞めなきゃいけない。
仕事辞めたら 家のローンが返せないので家を売らなきゃいけない。
けど 家がなかなか売れない。
・・ってことで 家を売ることやローンを無くす事が目的になっちゃってた。
あ~ 違うんだよ。
それは 目的じゃなくて手段なんだよ。
・・・・・って いつもそれを言ってあげてた友達に反対に言われました・・・(爆 (_ _;。゚
いい友達です・・♪。
知ってても、気づいてても、解ってても それでも なぜか迷ってしまったり、忘れてしまったりする。
お互いに 軌道修正し合える存在が居るって これも幸せだなぁ~♪。
ここに書いた 木工やら 森や川や海がある自然に囲まれた場所やらも
実は 幸せになるための手段であって目的ではない。
そうなると 現実の行動のほとんどが手段ってことになる。
手段(道)は沢山在るものだから その道しかないなんてことは無いんだろうな。