米中国交正常化の1971年、中国のGDPは米国の10%に満たなかった。だがその50年後には65% と、世界第二位に躍進した。人口比からこれを当然とするのか、それとも脅威とするのかで中国の見方が変わる。ラッシュ・ドーシ著『中国の大戦略 覇権奪取へのロング・ゲーム』は、歴史的なプロセスを辿りながら、中国共産党と中国の戦略の関係を説き明かす。▼80年代後半の東欧革命で、新たな国際秩序が出現した。これを受け、最高指導者となった鄧小平は対外的「戦略方針」を定めた。「韜光養晦」、言い換えれば中国には、能力を隠して好機を待つことが必要だという指示だ。米国の軍事、経済、政治の各方面での影響力を「阻止」し、ゴールは中国の自主性を維持できる環境を確かなものにすることだった。▼しかしながら、天安門事件、湾岸戦争、ソ連崩壊という三大イベントの後、鄧の後継者の胡錦涛は、その修正を提案した。「積極有所作為」、為すべきことを積極的になすべきだ、と。後に習近平は、この考えに「奮発有為」を加えた。これは、中国が力点をアジアでの地域秩序の「構築」に転換することを示唆する。さらに拡張戦略へと、次元を高める戦略となっていく。▼世界的な金融危機後、中国は経済面では「周辺外交」を重視し、国際金融分野での活動を拡充した。国際通貨体制の改革は、ドルの独占的な地位を排除することによってのみ可能だともいう。中国のグローバルな野心に懐疑的な人はいる。だがその彼らでも、中国共産党のナショナリズムやレーニン主義は、その可能性を完全否定することは難しいという。