山本七平著『「空気」の研究』によると、日本人は常に、論理的判断と空気的判断の基準、一種の二重基準のもとに生きている。通常口にするのは前者で、総合された客観情勢の下に判断し決断する。だが、本当の決断の基本となっているのは後者で、「空気が許さなかった」などと使われ、それに抵抗する者を「抗空気罪」で社会的に葬るほどの超能力の力を持つ。▼この「空気」は、われわれの日々の生き方の規範の集積、いわば無意識の規範の中にある。とするなら、その「力」はプラスにもマイナスにも作用する。幕藩体制から脱却した明治や、戦後の「奇跡の復興」はプラスに作用した。だがその「力」が逆方向に向いた時には、一挙に自壊作用となっても不思議でない。それをコントロールする方法を持たないからだ。▼数年前に流行語となった「忖度」、本来の意味は、他人の心情を推し量り、配慮することだ。だが政治問題に関連して使用されてから、否定的なニュアンスが強くなった。この「忖度」もまた、法に定められているものではない。だが「空気」と同様に、それをしなかった者を排除するのが特徴だ。立派な権力となり、しかも合理的な説明がつかず、だれもその責任を持たない。▼最近報道されている自民党の裏金問題や芸能界の性被害など、告発されるまでなぜマスコミは見過ごしてきたのだろうか。それは政治には金がかかるもの。性被害は業界の常識のようなもの。というように、その背後に、ある状態は不正や暴力を招いても当然だとする前提があるからだ。「空気」や「忖度」が何に基づくのかを求めなければならない。