入社してまもない頃と記憶しているが、箱根の「彫刻の森美術館」に、会社の同期の仲間と訪れた。今から数十年前の当時は緑豊かな庭園に、オブジェが散在している程度だったが、現在は近・現代を代表する彫刻の名作約120点が常設展示されているという。今回の再訪は、開館50周年を記念してリニュアルされたピカソ館が目的である。▼案内役の鈴木隆敏元館長から紹介された高階秀爾著「ピカソ 剽窃の論理」によると、本書に登場してくる「剽窃」という言葉は、否定的意味で用いられているのではない。それは、他人の作法を下敷きにしている点では「模倣」であり「借用」だが、借用したものに基づいて奔放自在に自己の創造力を展開して見せる点で、変奏と呼んだ方がよいかもしれないという。▼ピカソは、画面そのものの構成に関しては、先人の作品を踏襲し、その構成の中におけるそれぞれの形態表現に、あの比類ない創造能力を発揮せしめる。「剽窃」は形態の無限の変貌を自由に追求し得るための保証であり、地盤である。つまりピカソは、セザンヌが自然を見るのと同じような眼で過去の名作を眺める。ベラスケスであろうとモデル女であろうと一向構わないようだ。▼すべてを歴史の中において見る時、どんなに突飛と思われる事象も、綿密に張り巡らされた運命の網目の中に捉えられ、「歴史的必然」の中に解消させられてしまう。芸術作品といえども、むろん例外ではない。ラ・フレネーの言葉を借りるなら、独創性などというものは、まったくの「神話」にすぎないものであるのかもしれない、と高階氏は言う。