修行について その79 午前7時 修行僧の朝食⑧ | 修行僧の涙目な日々

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修行僧時代を振り返ってみるブログ。

応量器を洗った後、洗うのに使った水を捨てます。

これを折水(せっすい)といいます。

 

まず、折水のためのお経をお唱えします。

「我此洗鉢水(がしせんぱっすい)・・・」

お経が始まったら、浄人が折水器(せっすいき)又は折水桶(せっすいおけ)と呼ばれる桶を持ってきます。

これに水の上澄みを入れるわけですが、何も考えずに捨てると撥ねる+音もなる=古参ブチ切れ・・・。

音を鳴らさないように工夫しなければなりません。

残った水は飲み干します。(刷が汚いと恐怖の雑巾臭水と化すので注意。)

※ちなみに最初に捨てると書きましたが、上澄みは鬼神衆(きじんしゅ=簡単にいうと、お腹を空かせたものたち)に分け与えることになっています。余ったご飯などと一緒に鳥や鯉の餌にします。

 

それが終わったら応量器を布巾で拭いて仕舞います。

収鉢(しゅうはつ)といい、これも音を鳴らさないように細心の注意が必要です。

この状態に戻したところで処世界梵(しょせかいぼん)というお経を飯台維那がお唱えします。

「処世界如虚空(ししかいじきくん)・・・」

いわば、ごちそうさまのお経ですね。

 

これで朝食が終了、直後に恐怖の反省会が発生・・・。