たとえ何年経っても、自分の紡いだ言葉は
その瞬間に抱えた気持ちを
写真よりも鮮明に思い出させてくれる。
優しい程に、無慈悲に。
だから私は言葉にすることを止められない。
言葉にしなきゃいけない。
薄情で偽善ですべてが偽物である証明を
それでも私がその瞬間に抱えた本物の気持ちを。
嬉しい嬉しい報告がありまして。
また、音楽ができるのです。
高校卒業後に組んでたメンバーのひとりと
私が抜けたあともずっと仲良くしてもらっていて
またその周りで友人ができたりなんかして
音楽無しでも最高の友達なんですけど
ささやかながら、コピーでもやりましょうかと。
幸せは幸せを運ぶのでしょうか。
最近は幸せ続きで、私は死んでしまうのかもしれないと思ってます。
でもどうせ死ぬなら、1回はこのメンバーでライブをさせてほしい。
何度か、コピーバンドを組んでは
うまくいかないことばっかりで
それでも
彼らと音楽をやれていたとき
私は確実に楽しかったし
今も、やっぱり楽しい。
あのとき、私はあまりに弱くて
あんなくだらない理由であの場所から逃げ出してしまった。
強くなれたとは、言えないけれど。
それでも同じ失敗は、繰り返さないように
未来を信じてみるしかない。
私の人生に、音楽があってよかった。
「悲しみを、悲しみで、悲しめるように。」
物語の登場人物の言葉を借りていた彼が
悲しみを、ちゃんと悲しむことができて
ようやく言えた言葉に、私はいつもハッと覚まされる。
彼にとっての、大事な女の子や
彼女にとっての、木蓮の花のように
私には、許しを得られることは一生無い。
それでも、今までの悲しいことを
悲しみとして
悲しめる日が
私にも、来てくれるのかもしれないと
思ってもよいのだろうか。
私は、私を、どうすれば、許せるのかな。
結局、自分の残した言葉に
何年経っても呪われたままだ。
「のうのうと笑って生きておきながら
その笑顔の隙に
のうのうと生きていることを、許せない自分が居る。
「あの日の後悔」なんて陳腐な歌詞に載せれるものじゃない
自分が背負った罪の深さを
忘れられるわけがないし
忘れていいわけもないし
忘れたくなんかないし
でも、それじゃ生きるのには少し窮屈になってきた。
すべてを抱えて生きるのが私の目標だった
すべてを救って生きるのが私の夢だった
私以外の誰かの気持ちを
この両手に抱えられればそれで十二分に満足だった。
私の人生に、私は必要なかった。
すべては偽物だから。
誰かの言葉を借りて伝える気持ちは
私のものではない。
すでに在る言葉に、想いをあてはめたところで
それが何になろう。
その瞬間に、私のものではなくなってしまう。
今もこうやって
自分を記録しながら
自分を偽物にしていく。
だから
結局は借り物の言葉を、もてはやしている。
自分が偽物であることを
言葉のせいにできるだろ。
良い隠れ蓑、大層な御身分で。
満ち足りたような面をして
本当は空の入れ物なんだと
誰が気付いてくれよう。」
とっておきの、大好きなものは
最後まで大事にとっておく派なんです。
やっぱり言わないわけにはいかないかなぁと思いまして。
前回、大切な友人ができたとお話をしましたが
結局、友人にはなってくれず
何故だか、手を繋いで隣を生きていく間柄になりました。
何故なんだ。
でも思うのは、関係性がなんであれ
大切なものは大切にするってことだけ
それだけ守れていれば
死ぬときに、笑っていられるだろうと思うのです。
本当に私にはどう考えても、もったいないくらい良い子なんです。
25年間捻くれて、捻くれ続けて、死ぬほど面倒な私を
短期間で懐柔したくらいには凄腕の結婚詐欺師です。
頑張って騙され続けてやろうという心意気です。
君が私の希望であるように
私が君の希望であれたらいい。
