平成7年(1995年)-②
この年、クランキーコンドル以外にもパチンコもパチスロも打ってたはずなのに、全く思い出せないので色々と調べてみた。
ちなみに当時から(今もだけど)パチンコよりもパチスロを打つ事が圧倒的に多かった。
理由としては良く分からない連チャン機も当時まだ多かった事、CR機時代になり早々当たらない確率の台が増えた事、釘が見れなかったので勝てると思えなかった事、そして一番の理由は全国的かも知れんが当時の神戸は43玉のラッキーナンバー制が多かった事だと思う。
当時、大好きで良く打った記憶があるフィーバークィーン。
俺は王冠デザインの方が好きだった。
ラッキーナンバー制で多かったのは
赤7ラッキー、青7交換
中段A無制限
これに朝1時間は無制限とか店が指定する時間帯のラッキータイム中に当たればラッキーとかかな?
ラッキーナンバー制っていうのは、そのルール内(ラッキー)なら持ち玉遊技が可能で、交換図柄で当たったり時間になると強制的に交換。その台を続行するならまた現金入れないといけないルール。
無制限が当たり前の今から思えば、とんでもないルールだなw
基本は当たって保留玉消化したら毎回交換してたから、換金ギャップ食らいまくり。
貯玉再プレイなんて当然無い時代。
その分回ってたはずだけど、そもそもその頃はボーダー理論なんて知らないし、データ機器も呼び出しボタンが付いてるだけで回転数どころか大当たり回数すら表示がない時代。
そもそも回転数を意識する事が無かった。
なのでスロ打ってて設定判別をする時はゲーム数は脳内カウント。リプレイ抜かなきゃいけないから、たまにあれ?ってなって次のBIGまでお預け食らったり。
んで、そういう時ほどクソハマった挙句、判別不合格w
最後に、この当時打ってたスロを列記
ダイバーズ(山佐)
右下亀です。以上ですw
ニューパル後継機のはずだけど、入れ替えも全然進まず設置もあまり無かった印象
セブンリーグ(山佐)
パーキー君だっけ?無理やりキャラ路線。
A-Cタイプだけど集中はほぼオマケでBIGが高確率だったから結構好きだった
。設置あまり無かったからか、新開地メトロで打った記憶が強く残ってる
ハットトリック(尚球社、現岡崎産業)
これとエニィセブンはテンパイ音が右を止めるまで鳴り続けるからうるさかったのだけ覚えてる。
ジャックポットでいいのに…と思いながら打ってたような。
うん、結局クランコ打ってたって事で(・д・)




