こっちぃブログ

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元パチスロライターこっちぃの第二の人生ブログ?

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テーマ:
平成10年(1998年)
この年に大学4回生に進級、それと同時に留年が決定w

普通、大学って卒業までに100〜150単位ぐらい必要だから年間40〜50単位取っていれば3回生終わった時点でほぼ卒業確定。
あとはゼミだけ行って就職活動ってスケジュール。

…なんだけど、俺は3回終了時点で残り単位が80ぐらいだったw


留年の5年目以降の学費(年間約100万)は自分で出せと親から言われたので、さすがに6年はマズイと思い学費をスロで稼ぎながらもちょいちょい学校には行くようにした(手遅れ


さて、そんな1998年は5号機でも人気の機種がデビュー!


バーサス


花火


どちらも人気はあったけど、正直あまり打たなかったなぁ。


俺はサクセション大好きだったので、思い入れは断然こっちかな?


バーサスに関しては歴代4号機の中でもBGMはトップクラスにカッコ良かっただけに、5号機で聴いた時は感動したけど。


更に、この年には大量獲得機や7ライン機、CT機などの新機種が相次いで登場。
4号機を振り返る上で、時代が変わった年でもありましたね。


B-MAX
出玉、目押し難度、ゲーム性の全てが完成されたこの台が、大量獲得機の初期に出たというのが今考えたら凄いなと改めて思った。


でも打ち込んだのはワニマルの方かも。
流星出てのワニ上段狙って7バナナワニが止まれば熱かったんだっけ?打ち込んだ割には忘れたw


ラインズセブン


ドクターA7

入賞ラインを従来の5ラインから増やす事でボーナス確率を上げるという斬新な発想の機種。大量獲得機やCT機に埋もれた感はあるけれど、これがあったからストック機が出たとも言える。

ちなみにドクターA7は後にタイムクロスに繋がっていくんだけど、とにかくパンクばっかりでイライラした記憶しかないわw


そしてCT機といえばマンクラことウルトラマン倶楽部!

この機種が出て万枚が意識されるようになったほどの偉大な機種。
6投入イベントやってた当時の神戸駅前のプレミオに知り合いと朝5時から並んでシマ占拠したのは良い?思い出。

ゲーム性は文句ないけど、あのボタンの硬さだけはどうにかならなかったのか?(・д・)


それ以外のCT機もかなり打ち込みました。


ダブルウルフCT
クロスCTに続くネット渾身のCT機


エスプ
オマエダ星人w
6判別が出来たから相当打った!



フルーツトリオ
電撃あらっ太郎ばりの電撃告知w


アバロンD
80%をやたら外した思い出の機種(・д・)


当時から打ってる人でも、知らない人が多数かも知れないラインナップだなww




そして、この年に人生初の大攻略法と出会う事になりました…

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平成9年(1997年)

この年、5号機でも大人気のジャグラーがデビューした。


いきなりこれが出たのではなく、クリエイター7やサーカスを経てのデビューなので別にジャグラーが元祖という訳でもないが、だからこそ4号機の後半や今の時代にここまでジャグラーが増殖するとは当時夢にも思わなかったなぁ。



あと、当時は完全告知ブームでも何でもなくリーチ目主体のゲーム性が人気だったのと、あとはまだモーニングもあったので告知ランプを切られている店も多かった。


今のハッピーやゴージャグみたいな豆球だったから、モーニング消化してから店員呼んで付くようにしてもらったのを鮮明に覚えてるw


あとは、サンダーVやクランキーコンテスト、レッツがデビューしたのもこの年。
当時、ユニバ系は本当に強かった!




個人的に一番打ったのはレッツ。
サンダーは出た時から大人気だったけど、天邪鬼な性格とその頃はマイナー機種などの人気機種以外で勝つ事をテーマにしてたから、あんまり打った記憶はない。


そして、自身の判別の概念を変えたのがコンテスト。

それまでは、

判別落ちればいいな〜

とか、

ダメ元でも一応やっとくか〜

って意識だったけど、

入ってる事を前提とした確認作業

と思わせる程、当時は店と台を選べば設定5以上が入ってた。

ま、目押し難易度高い割に機械割低かったからなぁ。


コンテストの扱いにもよるけど、6枚交換以下で入ってない店には暫く行かないようにしたりと、店判別の考え方もこの頃には身についてた。

更に、店に対する考え方を加速させてくれたのが、マイナー2機種。


ブンブンブン(パイオニア)

左上段ハエ狙いも楽しいけど、ハサミ打ちを混ぜるとチェリーの払い出しを調整しやすく、判別がやりやすい機種だった。
ハズシ効果も簡単なのに高かったけど、メーカーなのか見た目なのかあまり人気が無かった


祭(サミー)

俺は逆押し派!
大量リーチ目主体の順押しに対して、逆押しはスベったらアツいというコントロール方式で、7を右上段にビタ押しして右に祭リプ7が止まれば1リールボーナス確定!って分かる人いるの?w


どちらも判別効く、ハズシ効く、ライバル皆無と勝つ条件が揃ってた上に、

設定変更時はベットボタン全消灯

という分かりやすさにも関わらず、俺が行ってた店は対策されてなかったからイベント時なんて座る前から確定してたw


一応バレないように、カドならそのまま座るけど、ライバル居なかったから一旦カドに座って、ちょっと回すのを繰り返して辿り着いた風に見せたりとかもやってたなww

この当時から既に姑息な立ち回りをやってたなぁ、と我ながら感心するわ(・д・)


そしてこの翌年、スロは大きな転換点を迎えます。

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平成9年(1997年)
大学3回生

3回生に進級した時点で早くも留年が見えてきたダメ大学生は、バイトするよりもスロ打つ方が金になると考え、バイトを辞めた。

バイトしてた方が出会いとか色々と人間的にも為になる事もあったのに…と今なら思えるけど、当時はスロで稼ぐ!って思考しか無かった。


その割には夜な夜な麻雀やったり峠に走りに行ったりと、朝から打つというスタンスからかけ離れた生活を送っていた頃でもある。


さて前記事にも書いたけど、この頃から気付けば4号機も裏モノ全盛期を迎える。


雑誌に裏モノの記事が掲載される時は、決まって

※メーカーとは関係ありません

って注釈があったけれど、メーカーによっては出る機種出る機種全部裏だし、結局はメーカーの関与が発覚したりw

まぁでも、設置されてる機種全部が裏モノという訳では無くて、実際俺は4号機に関しては裏モノはそれまで打った事が無かった。

一言で裏モノといっても、それこそメーカーや機種によって全然仕様も違うかったし、ただのマイナー機が全部裏モノ化した訳でも無かった。


じゃあどうやって見分けるのか?
と言っても、実に簡単だった。


・有り得ない連チャンやハマリ
・考えられないほどの出玉
・打ってる奴が香ばしい(笑)
・機種の見た目が既に悪そう(爆笑)


この時代、地域差もあったと思うけど、パル工業、大東音響、マツヤが中心だった。


ビガー(パル工業)
他にもキングアローやV10、パワーボムなど



キングガルフ
リズムボーイズ(大東音響)


ピンクホエール(マツヤ)

マツヤは広島だっけ?その割には神戸での設置は少なかった印象。パル工業と大東音響(どちらも大阪)が強かったもんなぁ。


これ以外で覚えてるのは、レッツスパンキーとかスパンキーウェーブ、007とかワンワンハウスとかもあったなぁ。


ちなみに地域性の違いもかなりあったようで、Aちゃんに聞いたら九州と長野でもラインナップは全然違うかったらしい。


個人的にはこの後もニューパルやジャグラー、キンパルの裏なんかも打ってて、正にやりたい放題の時代だったw


でも、この時代の熱さを分かってる人間がストック連チャン機や5号機沖ドキを開発したんだろうと思うと、悪は悪だったけれど時代の流れで必要な事だったのかな、と個人的には思ってる。


ひたすら小役カットで何も揃わない通常プレイでリプレイやチェリーが連続で揃い出したら…

当時はまだ液晶搭載機もなく、前兆演出なんてものは存在しなかったけれど、もうこれだけで充分だった。脳内で勝手に前兆演出始まってるw


あと、裏モノでクソ負けるとは言っても、後のミリオンゴッド等に比べたらまだ可愛い方だったし(・_・)


この年からバイト辞めてたので、手堅く勝ちを求める立ち回りになって次第に裏モノは避けるようになったけど、その話は次回に。

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