平成を振り返る②平成6年 | こっちぃブログ

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元パチスロライターこっちぃの第二の人生ブログ?

平成6年(1994年)
この年に高3になり受験生となったはずだが、逆に本格的にパチ屋に出入りするようになった。


中学では全校トップ10以内の成績で高校は進学校に進んだものの、そういう奴しか集まらない集団の中で早々に落ちこぼれた。

そうなると不思議なもので、別のクラスでも似た者同士が共通の連れを通じて集まるようになる。


3年にもなると、ある意味メンツも固定され、受験勉強もロクにせずゲーセン、パチンコ、競馬と今の俺と大して変わらんクズな受験生の出来上がりw


当時はスロは4号機時代を迎え、どこもかしこもニューパル全盛期。



勝手なイメージだけど、ニューパルの設置が無い店はサファリとかペガサスEXAとか香ばしい店ばっかりだったw


大量リーチ目にリプレイハズシ(何気にビタ押し)、設定判別法と、4号機初期とは思えないほどの完成度で、初代北斗に抜かれるまでは長らく設置台数1位に君臨した名機中の名機。


今となっては無茶苦茶とも思えるモーニング(朝イチでBIGフラグが仕込まれた状態)を始め色々と思い出は尽きないけど、その約10年後に東京で専業しててまたニューパルの判別やるとは夢にも思わなかったなぁ。

その店、2台しか設置が無い上にイベント次第ではどちらかが設定5以上。変更後の対策もしてなかったから、朝イチから手持ちの変判して1分経たずに5以上を確信した事も何度もあったほど。

4号機末期だったから、判別が出来るライバルも少なくてやりやすかったなぁ。



5以上発表(判別で5確定)されたものの、引き弱炸裂で21時過ぎても金入れてて、2ちゃんにガセイベ店と書かれたのも良き思い出です(´・ω・`)
店からしたら迷惑以外の何物でもないww



この事件(?)を前後して、ノリ打ちする時は俺が判別だけやって連れに打たせて自分は打たないという、最強の攻略法にたどり着いたのであった!w


…話を当時に戻すと、あの頃はお金が無かったので、スロよりも羽根モノを打つ事が多かった。
大体一撃狙いでタヌ吉くんから打って、V引けずにおむすびくんに移動ってのが殆どだった。
後はザ名古屋とかスーパーキャノンとかコスモクラフトとか打ってた記憶がある。




で、日曜日だけは親父に連れられて、一緒に朝イチだけ春夏秋冬を打つという生活サイクルw


資金的に普段は羽根モノしか打てなかったとはいえ、綱取同様モード移行式で朝イチがお得とくれば、打たない訳にはいかなかった。

外れる全回転も何気に好きだったしw


そしてこの翌年、忌まわしき阪神大震災を経験し、4月から大学生になって益々パチンコパチスロにのめり込むようになっていった。