できないことを、日常生活が困らない範囲で

克服するのはいいと思う。


過剰に出来ないことを埋めようとすると

その人の良さが死ぬ。没個性になる。


バランスが大事と思う。




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ハンコをなくして💢💢されること何度か。

郵便屋さんきたときにすぐ押せるように、

インターホンのところにハンコ置いてあるんだけど、こーたんの放課後デイのワタワタでハンコをそのままポッケに入れたり、こーたんのリュックに入れたりしてるうち、どこ行ったか分かんなくなる。で、使うときになくて怒られる。


友人からのアドバイス。

わたしが、そこに触らないように目隠ししたり

パパ専用の棚をつくる

or

私用のハンコを玄関におくor紐で外にくくりつけといて、そこまで放課後デイの人に押しに来てもらう(私がハンコの場所移動させなくてよい)。


出来そうと思った後者に決定。



我が家の💢💢しない工夫のもう一つは、

①わたし食べないマーガリンを女優が食べるから置いてあることと、わたし食べないポテチを女優食べるから置いてあること。


②とりあえず重要書類、手紙類は、

人ごとに管理できるように、手紙ポケット分けてあること



たぶん、自分のパーソナルスペース分けるのが

我が家の平和の近道である。


あとは💢💢されるポイントを、そこだけは

言われないようにしとくことかね。


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むかし、実家にいたときは

母のメイク道具とかドライヤーとか服借りて、

そのまま違うこと思いついて始めて、

そのまま元の置き場に戻さなかったこと。


小学校高学年のときのクリスマスプレゼントは、

本人の希望関係なく、狭い部屋にドレッサーとドライヤーがプレゼントされた。


後々色々話してる中で聞いた話では、

弟は、あの子は1人でできるからと。

自分で管理できるから、と。

そういう理由で、部屋にテレビがあり、

ゲームがあった。


わたしは、自己管理できないひと。

でも何でそうなのか、分かんなかった。


今になって分かるのは、

使いやすい仕組みがあれば、困ること少なかったのかもしれないね。


だらしない、がさつ


これをプラスに言い換えると、何になるのかな。


親の教育のせいじゃないんだよ。


育て方間違ったかな、って親が言ったのを

子どもが聞くと


わたしは欠陥人間なんだ

人間として欠落してるんだ


って変換される。


いまはそんなこと無いって思えるけど、


だから、


周りの人間は間違っても

「親の育て方がわるい」って

言っちゃいけないとおもった。


そういう圧力も、親子を苦しめるだけだ。


どうせ、そうやって言う人なんか、

ろくに子育てしてない人が言うんだから

子育て知らない人か、よその人の手をいっぱい借りてるのに気付かないで感謝出来てない人か


そういう人なんだから。


自己責任論なんて大っ嫌い。


ビジネスで使えばいいんだろうけど、

自己責任論を家庭や育児や人の育ちに当てはめるなら、そういう人間はAIに食われればいいと思う。


人間は人間らしく生きたい。