年の暮れに震えている | ひかり。それはあなた。

ひかり。それはあなた。

「成功しましょう」「先物取引」「ダイエット情報」的なお誘いは、わたしには必要ありません。
コメントも承認しませんのでご了承ください。
一斉送信と思われるコメントも承認いたしません。

わたしの日常と
裏側のキモチをつづってます。

会いたくて、でも
寒くて、でもなく

怖い夢で震えているので

ここで出します。

休みの日とはいえ 疲労感と猛烈な眠気に襲われています。
それに任せてウトウトしていたら 夢ばかり見ました。


強い葛藤や暴力的、倫理的に偏ったことや DV的な表現が出てきます。
それらに弱い方はどうか読まないでください
違和感を感じた方も、途中でも読むのをやめてください。
ひとには読むのをやめる自由と権利があり
私には ただ綴る自由がある。
必ずしもそれらが響き合うとは限らないから。







①美人のシングルマザーとその子どもしか治療を受けられない歯医者

娘を連れて歯医者に行ったら。
診察台に乗ると、男性医師がやたら話しかけてくる。
馴れ馴れしくて気持ち悪くて、もう帰ろうかなと思ったら
「歯の洗浄をします」と言われた。
お水がジェット噴射する機材を ものすごく雑に充てがわれる。
よそ見をしながら片手間で私の口に入れるので、私は自分で場所などを調節した。
少しだけやって腹が立って、
もう帰ります、と席を立つ。
お会計に行くと美人の受け付けのお姉さんが
「美人でもシングルマザーでもないので、3500円です」と言う。
その理由はおかしいでしょ!と怒るが、目も合わせずに無言でキャッシュトレー(カルトン)をパンパン、と受付台に叩きつける。

怒りと戸惑いで震えていると

ピンポ〜ン♫
Amazonさんが来た滝汗

起こしてくれてありがとう。




←まだ寝るんかい!
 元連れ合いに連れ戻される

一部の方はご存知な、逮捕直前の清原和博さんに似た 私の元連れ合い(Y、としましょう)。

目が覚めたら私はパンイチで、となりにYがいた。
ものすごく驚くも、それを表には出さないように努めた。
少なくとも『何も』無かったはずだ。
私は たまに夜中にパンイチになる癖があったから、それだけなはずだ。
Yが「なんだよ、楽しい夢でも見たのかよ」と言い、私の肩に触れた。
侮蔑を秘めた、探るような、淡々とした声で。
あの人の喋り方で。
私は
今の、この生活の『夢』を見ていたのか?
暖かくて楽しくてしあわせな夫婦生活は、夢だったのかと……… 
まどろむふりをして突っ伏して、声を殺して泣いた。
(続きます)


私のブログをずっと読んでくださっていたかたはお察しかもしれませんが
Yとの同棲と 伴侶氏との出逢いから恋までは 時期が重なります。
伴侶氏に出逢ってから2,3ヶ月は 淡い恋心が芽生えても否定し、圧し殺していました。

Yには 離婚の際、とてもお世話になりました。
好きだったし 愛してもいました。
この人を支えよう、全身全霊を捧げてこの人のために生きていこう、と 義理も情もありました。
伴侶氏も 私に連れがいることを知って 私を諦めようとしていしました。
私がどれほど義理人情を重く感じるか わかっていたからです。
2017年夏から秋。
Yからの暴言や小さな暴力が続きました。
もともと高圧的なひとで
私は知らず知らずのうちにオドオドビクビクしていたようです。
軽く小突く程度のものがエスカレートし始め、
拳で叩くようになり
頬を強くつねったり
腕を後ろ手に固めたり
転がされてひっくり返って海老のように丸まった私をそのまま壁に押し付けたり(背骨が折れるかと思った)
Yからの悪ふざけが過ぎて抵抗したら蹴られたこともありました。
それでも黙っていました。
震えて耐えました。
彼の中の強い暴力性は知っていたし
身体能力の高さもわかっていました。
逃げたところで 逃げられない。
そして 頻度が増す暴言。
夕食のお皿をひっくり返したり
箸を投げたり
大きな声で怒鳴る。(私は大きな声が大の苦手)
「どれだけ我慢してやってると思ってるんだ。
もういい加減、出てくぞ」が決まり文句でした。
それでも好きでした。
一緒に居たいと思っていました。
私がもっとうまくやればいいのだと。
けれど、だんだんと 心の底で疑い始めました。
これで良いのか?これは幸せと言えるのか?と。
伴侶氏は 自分とのLINEがいつか私を危険に晒すのではないか、と案じていました。
でもこれは 恋愛ではないから。
魂の片割れを見つけただけだから………と お互いに言い聞かせていました。
12月11日に出かける約束をしました。
アニヲタふたり、鋼の錬金術師の実写版を見たかったのです。
それを私は 女の子と出かける、と言っていたのですが。
伴侶氏とのやりとりを、Yが見ました。
ロックはもちろん解除して
じゃれ合っているLINEなので
付き合いはじめのふたりのような内容でした。
朝食を作っていた私の元へ 鬼の形相でYが駆け寄ってきました。
「何が女の子とのデートだよ。オトコじゃねえか。ナメられたもんだな俺も」
と嘲笑いました。
弁解のしようもなく、私は顔を覆いました。
スマホを見るようなことをされたこと。
あのやり取りでは完全に浮気だと思われること。
「どこの誰だよ。職場のやつだよな」と言われ 震えました。
彼に危害が及んではいけない。
私のことで危険な目に遭わせてはいけない…………。
ゆっくりと言葉を選んで、
好きとかではない。浮気とか二股では、決してない、と説明しました。
伴侶氏が現れ 知り合った頃から、私はどこか楽しそうで 夜中もずっとLINEをしていて(実際はYouTubeを観たりもしていた)、
Yが放ったらかしにしても寂しそうにせず、
少し痩せて アクセサリーの好みも変わっていたそうです。
………………ちゃんと、私のことを見ていたのでした。
そしてお決まりのセリフ。
「出ていけよ」。
…………もう 泣いてすがる気力はありませんでした。
バチン、と頭の何処かのスイッチが切れました。
行き場はない。お金もない。
むしろYとの暮らしで 私は負債を抱えていました(お恥ずかし話です)
それでもいい、ここにはいられない。 
私が慌てもせず泣きもせず無表情になったところで Yは話をやめました。
いつもと違う、と思ったのでしょう。
決断した私の行動がいかに早いか、この人はよく知っています。
「出て行くなら今週中、お前の私物は全部持って行くか処分しておけ」と難題を重ねました。
それは現実的ではなさすぎる、と反論すると 驚いていました。
「追い出すな、ここに置いてくれとは言わないのか」と…………。
「都合が悪くなったら新しい男を作って逃げる、とんでもない女だなお前は!」と
このビッ●!叫ばれました。
思い出すと 今でも恐怖で震えます。
夢にも見たばかりだし。

それからの幾週間…
ちょうど一年前………… 
生きた心地がしませんでした。
伴侶氏には LINEを見られたことと、出て行けと言われたことも話しました。
たかが知り合って数カ月、
長年 悠々自適な独身生活をしてきて
いくら ふたりの繋がりに非現実的な強さを感じていたとしても 
私のような厄介な身の上の女を受け止めてくれ、とは言えません。
泣きつくことはできませんでした。
けれど、「俺、引っ越します。俺と暮らしましょう」と彼は言いました。(惚れるわ ばかもの滝汗
私には 財産もお金もない。負債しかない。
引っ越し費用もどうしようもない。
全部出してもらわなければならない………
ぶっちゃけ、そう言うと
「お金なら心配しないで。
貯金があります」
マジか!ゲロー

それから
Yは私との関係を修復すべく デートに誘ってくれたり
かと思えばまた怒鳴り、責め立て
夜になると震えながらしがみついてきて
昼間は 私が読めるわけのない時間に長々とLINEを送ってきては「既読にならない💢」と言ったり。
…………もはやDV男の典型的なヤツ………ガーン
でも当時はわからないので
必死で合わせていました。
肉体関係に持ち込もうとしなかったことだけは助かってました。
そこだけは それだけは たとえ4階から飛び降りることになろうとも、逃げるつもりでいました。 
長くなってきたので省きますが
Yの家を出てからもしばらくは
恨みつらみのLINEが来ました。
どれも「金よこせ」。
元ツレも同じでした。最後はお金。
金はやらん、むしろどれだけお前に掛けたと思ってるんだ、……………と
男はどいつもこいつも…チーン


で。
夢に戻ります。

Yと住む部屋の窓からは なぜか宇宙が見えていた。
見知らぬ天井。(←それな)
生活感の匂い。
あぁ、これは、どうやら私が生きる場所らしい。
黙って起き上がり服を着ようとした私に Yが触れる。
肩を抱き寄せ、唇が触れた。
鳥肌が立ったけど 拒絶しては怪しまれる。
万が一逃げるにしても半裸はまずい。
恥ずかしがるふりをして押しのけ、
パーカーを羽織りズボンを履いた。
Yのスマホが鳴り、Yが電話に出る。
中国語っぽい言葉でわめき、
「このあと 王(ワン)が来るってよ」と言う。
たまにする、苛ついた意地の悪い表情だった。
なんのことかわからないのと 家の外に出てみたくて適当なことを言って玄関のドアノブに手をかけると
荒々しくドアが開き、脂ぎったアジア系のオジサンが入ってきた。
わかりやすくいやらしい顔つきをしていた。
一定の距離を保ちつつ後ずさる。
Yが「王、そいつ。打ってもいいからおとなしくさせて」と言う。
王は私をジロジロ見ながらYに怒鳴り散らす(あの、中国語独特の大声)。
Yが「はぁ? ○▲*&№+¡·>✗$#」と怒鳴り返してふたりが言い合い、そのすきに
靴下だけを掴んでベランダから飛び降りた。
(枕元には靴下を置いて寝なさい、とは 亡き曾祖母の教えでした。
最近 平和すぎて置いてなかったよ。
ひいばあちゃん、ありがと)
飛び降りて、「あ、2階なんだ、ここ」と、ホッとする。
しかもジャッキー・チェンの映画に出てきそうな 屋根が続いた街。
私は靴下を履いて走って逃げた。
足は遅いけど隠れんぼは得意だった。
けれど相手はYと、王。おそらくは手下もいて 街には精通してる。
対する私は、この街に関しては素人だ。
できるだけすばやく逃げなければならない。
人の良さそうな、質素な多民族居留区へ迷い込み。
悪漢に追われているので自転車を貸してほしい、と頼み込んだ。 
(自転車があれば無敵だと思っている)
この人たちにも必需品なのはわかったし
いつ返せるのかわからない。
英語と日本語混じりで話しても、言葉が通じてるのかもわからない。
アフリカ系のおじさんが、古い赤い自転車を渡してくれた。
「連れて行くといい、きっと役に立つ」と、コロコロふかふかのワンコもくれた。
ワンコを前カゴに入れ、サドルとハンドルが高すぎたけど なんとか漕ぐ。
途中、すれ違ったガラの悪い男の人が 私を見ながらスマホで電話をしていた。
Yの、獲物を狙う狼のような   恨みの籠もる暗い眼差しが 常にまとわりついている気がしてならなかった。
逃げるんだ。
逃げるんだ。
この世界でも 離れよう、あの人からは。
そして心の中で伴侶氏を呼ぶ。
この世界にもきっといる。必ずいる。
私はあの人に会いたい。
何度でも探すんだ。必ず会える。 
私のことがわからなくてもいい。
私のことを好きじゃなくてもいい。
ただ、会いたい。あの人に会いたい。
私が収まるべきあの腕に
いつも優しく包んでくれるあの瞳に 
逢いたい。戻りたい。
あの人のもとへ戻りたい。

夜の街を、車の間を抜けながら自転車を漕いだ。
靴下だけの足が冷えた。
ワンコが吠える。

……………あぁ、これは 昨夜 職場から帰る道の記憶なんじゃないか?
黒、赤 、白の車の後ろに私。
あぁそうだ、踏切の時の眺めだ。

Yの昔の職場の前を通ったから、こんな夢を見ちゃったんだ。

………………と思ったところで目が覚めた。

見慣れた天井。
伴侶氏の匂い。

胸はザワザワドキドキしました。
夢の中とはいえ 旦那さんではない人に肌を触れられたことが悲しくて怖くて
しばらく 旦那さんの寝間着を抱え、匂いを確かめ
「私は、イマココにいる」と想う。確かめる。

去年の12月、ブログを更新できなかった時期は
あんな感じ↑で修羅場ってました。
職場の人、上司にも
万が一、ガラの悪い輩が増えたり 万万が一にもYが乗り込んできたら警察に行きます、と話してありました。
理由はどうであれ。
私の心情はどうであれ。
Yや傍から見たら、浮気です。
いい年こいて大の男を二股かけてる とんでもない女です。
や、肉体関係にはありませんけれどもね。
見た目が良くてピチピチしてればともかく、私はひたすら地味街道を来ました。
(……………すいません、ウソです。
付き合う人によってはゴスっぽかったり
制服(コンサバ)っぽかったり
ミニスカートだったりしました滝汗
そんな30代後半の、
 一部のJKからは「○ねBBA」と言われるような いわゆるオバ…………熟女ちゅーでも 
恋はしますし 自分にとっての幸せについて、考えます。
年齢や立場ではない。
イマココの私、"イマココから"の私の「しあわせ」にたどり着くために 一心不乱に自転車だって漕ぎます。
思い込んだら試練の道でも、行きます。
(ソレ、男のど根性な。わかる人いるんかいなアセアセ


長くなったついでにカミングアウトします。
 

心臓の用意はいいですか?



実は娘がいます。
いま、中1です。
「はぁ?」とか「あれ?」と思った方。
よく読み込んできてくださいました。
元ツレとの娘です。
育児ノイローゼと  ソフトモラハラ夫と義家族の間で精神を病み。
心の拠り所であった母方の祖父と それに対を成すようなしがらみの中心であった父方の祖母を続けて亡くし 法事が落ち着いたところで
「ちょっとひとりになりたいの。盛岡に帰りたい、一週間でいいから」と申し出たところ
窪塚洋介に似た元ツレの
映画「来る」の妻夫木聡さんのイクメンパパ仮面のような外面が醜く歪み
「男がいるんだろう!ムキー」から始まり
「無実の証拠を見せろ!ムキー」と言われ続け
(法の世界ではコレを「悪魔の証拠」といいます)
「俺と別れたいという気持ちがわからない」
「俺より良い夫はいないはずだ」とネチネチやられ。
共通の友人からも抗議のメール&電話が続きました。
金銭も 財産になるようなものも ほぼすべて没収(20年ものの古い圧力鍋は残してくれた)。
むしろ 一方的に離婚を言い出したことと、有責配偶者扱いを受け
……………知恵のある知人に、まるで弁護士さんが作ったような通知書まで書かせ
(弁護士事務所と弁護士の名前が無いこと、言い回しが陳腐なことから、本物の弁護士さん作ではないことはすぐわかっていました)
正社員でもない、高卒無資格の、いわば高年フリーター女にふっかけるにはおかしすぎる高額の慰謝料を請求されました。
それらを呑んででも。
なんでもいい、別れたかった。
要求が増えれば増えるほど、
「いま謝ればすべてチャラにしてやるのに。謝るだけなんだぞ?」と言われれば言われるほど、心は壊れて離れていきました。

娘は当時小学校2年生でした。
当然、「ママ、いかないで」と泣きました。
私だって離れたくないけど。
命がけで生んだ子だけど。
(映画にできそうなほど命がけ)
誰より愛してるけど。
連れて別れられる理由を、申し立てる気力も精神力も体力も残っていませんでした。
何より、経済的にも環境的にも、あちらにおまかせしたほうが良いと判断しました。
もし私が引き取るならば、生まれた頃からお世話になり、娘の大好きなあちらの家族に会うのは難しくなります。
(私は、私の母のそばに住みたかったから)
逆に彼が引き取るならば、私さえ強気でいられれば会いに行けます。
また、「親権は絶対に渡さない。ほしいなら争う」
のあとに
「土下座して、俺の気が済み  周りが納得するまで謝罪して戻ってくれば、許すこともできるんだぞ」と、耳タコのセリフ。
……………これで戻るだろうと思う彼が不思議です。
彼もまた そうとう追い込まれていたことは わかっていましたが…………。
最後まで思いやりのない嫁でした。

当時 母は体調を崩していて相談などできず
「離婚するね、証人欄にサインして。詳しい話はいつかするから」、とだけ頼み。
妹は 一時的に行方不明で滝汗(年がら年中、iPhoneをぶっ壊す)
父には心配をかけたくなくて
(盛岡に帰ってこい、と言われるのは必至で、そうなると簡単には娘に会えなくなります)
すべて、ほぼ私一人で やりました。
なので
あちらの、細○家(←言っちゃったよ)とそこに関わった皆さまのなかでは、
「子どもを棄てて男に走った、色情で罰当たりな嫁」ということになっています。
実際、そのときに相談に乗ってくれて 身元引受人のようになってくれたのがYでした。
優しかったし 情に厚い人だったので好きにもなりました。
また、話していた感覚から「もしかしたら運命の人かも!」と感じもしました。
「逃げておいで、大丈夫だから」と言われたら………………………………………惚れますわよそりゃショボーン 
皮肉なことに数年後
同じセリフを伴侶氏が言うのです。

東京といえど田舎なので
ママ友たちにも「男に走った嫁」と、広がりました。
それでも 友だちでいてくれるひともいました。
ありがたかったです。

伴侶氏は 私の負うもの、すべてを 早い段階でお話しました。
嫌われても軽蔑されても
彼にはすべてなにひとつ 秘密にはしていたくなかった。
それは傲慢です。
ここに書いたのもそう。 
いまになり。
いまだからこそ。
ここに 書き連ねていきます。
お目汚しになってごめんなさい。
言わずにいてごめんなさい。
気を悪くされた方も 言い表し様のない怒りがわく方もいらっしゃることでしょう。
コメ欄は設けたままにしますし
もしいたたげはコメントも読ませていただきますが
承認と返信はしないかもしれません。
わかりません。


12/27。
私が生まれた直後から 私の行く末の波乱を感じ、案じ続けてくれた祖母が 他界した日(この深夜)。
この日は昼間、お仕事中も泣きたくなってしかたがなかった。
夏に最後に会った時
それは父方の祖父の十三回忌で
祖母はぽつりと、「もういいよ、好きなように踊りなさい」と言いました。
その時は 日舞の跡を継ぐのではなくよさこいにハマったことを言っているのかと思ったけど。

もう、いいね。
おばあちゃん。
これからは私は 私のために舞います。
それがいずれ 誰かの糧になるかもしれないことを信じて。