今日は予備校にお籠り。


帰り道の寒さといったら、指先がしびれるほどです。

教室で黙々と自習していたら、


しぜんとキタヨビを思い出した。


キタヨビがその良さを発揮し実力のあった、最後の時代にいたころ。


今のほうがプレッシャーが大きいはずなのに、あの頃は途方もない絶望と焦りしかなかった。


環境の違いか、「経験」の違いか。


今はまだわからない。



でも1月になってやっとエンジンがかかってきたモチベーションは下げたくない。


ただただ、周到に愚直にやっていくだけなのであります。


いつか友達が、


自信というのは、文字通り自分を信じるということなのだけれども、


自分を信用するっていう事は、我が身の事だから何もかも筒抜け、騙し通すのは限界がある。


そんな中で信用できる、というのは、「もう大丈夫だ」と同義なのだ。


「受験大丈夫かも」「面接受かるかも」と、心から思えてほっとしたとき、自信といえる感情が生まれてくる。


だから、大丈夫だと自分が太鼓判を押せるまで、不安材料を取り除く作業が勉強なり練習なのだ。



と言ってたのがすごく心に残った。それから何故か勉強が苦にならなくなった。

自信と大丈夫。



革命的名言。

可愛い単語ですが、れっきとした政治用語なのです。


外国は(とくに欧州)専門用語でも、なにかしら人間味をもたせたアートな感じがするから好き。


「暴力装置」とは雲泥の差!



あーおなかすいた。


おしるこ食べたい。

みくしー辞めてから、いろいろ自由になった。




精神的な部分で。


プライバシーがぜんっぜん公にならないのが主かな。

家にさえいれば、遠くに逃げてしまえば、メールも電話も出なければ何をしてるかバレることはない。


知られたくない人にまで情報が回って、不快に思うこともない。逆に知りたくもない事まで強制的に目に飛び込むことも。


会話の糸口をも作りたくない。


アカウントの時間見られて「起きてるのに何で連絡寄越さないのか」って責められることもない(これが一番イライラした)


やめられなかったのは、外とのつながりが断ち切られて情報が全く入ってこなくなってしまう、って事だったけど、

よくよくかんがえると、私って他人の私生活とかまるっきり興味ない部類の人でした。


知らない人とのツーショットとか見せられても、それが何か?って感じやし。ぐちぐち日記に書かれても、だから何がしたいんだっていらいらしたこともあったし。







仮にまた復帰するとしたら、本当にひっそりやろう。コミュを見る目的で。