年越しそば | 棚木猫の日々

棚木猫の日々

思い出し話し。

今年も、ご近所さんが趣味で打ったお蕎麦(つゆも自家製)を貰いまして

年越しそばにして頂きました

 

年に数回、蕎麦をお裾分けして貰っているのですが

家で茹でると、ぷつぷつとぶつ切れになってしまい

お蕎麦といって良いものか…となってしまいます

 

頂いている側としては言いにくい部分ですが

蕎麦の打ち方って難しいのでしょうかね

かれこれ5年以上は頂いているので上達に期待したいですね

 

 

お蕎麦といえば、昔に行ったお蕎麦屋さんの話

 

出流町にある『そば処 さとや』

 

 

前に勤めていた会社で夜勤をしていたときに

パートで入ってきた、70代は過ぎているであろうおじいちゃんと仲良くなって

誘われて行ったのが初めてでした

 

 

いつものように昼勤との引継ぎを終えて仕事の準備をしていると

おじいちゃんがコンビニ袋をぶら下げて近づいてきました

「やるよ」

と一言、中にはコンビニおにぎり2つとお茶が入っていました

はじめて貰ったときは少し困惑しましたが

昼飯代が浮いてラッキーくらいの気持ちで受け取りました

 

しかし、数日後

またコンビニ袋を提げて持ってきてはおにぎり2個と飲み物

毎日ではないにしろ、何度も何度も

だんだん貰って悪いなーという気持ちが芽生えてきました

お金もバカに出来ません

 

なんでこんなに良くしてくれるのだろう

自分は夜勤でおじいちゃんは昼勤務(パート)

勤務時間が重ならないので、あまり話したことがありませんでした

仲良くもないし、一人で居る方がラクな自分としては

少し厄介な存在に思えてしまいました

 

それでも、おじいちゃんは自分が夜出勤するまで

会社に残ってまでわざわざコンビニ袋を持ってきてくれたのでした

 

 

 

とある週末におじいちゃんから電話が掛かってきて

車であるところに乗せてってくれと頼まれました

当時20代前半で友達と遊びたい時期でしたが

お昼ごはんをおごるからと誘われ

しぶしぶ返事をして連れて行かれたのが蕎麦屋でした

 

<さとやの駐車場前で記念写真>

 

 

 

自分自身、おじいちゃん子でもおばあちゃん子でもなく

人見知りの激しい、つまらない子供だったので

歳の離れた人とどう接していいのか分かりませんでした

 

天ぶらの盛り合わせとお蕎麦

美味しかった、美味しかったはずなのに

この奇妙な関係が頭のなかでグルグルしていました


 

きっとおじいちゃんは寂しかったのだろうか

 

 

昔、近所のおばちゃんから飴を貰った時のように

人との関わりが、きっかけが欲しかったのだろうか

 

 

 

ある別の日、畑で育てた野菜をくれるというので

教えてもらった自宅までいった

昔ながらの団地のような建物

そこから歩いて数分の所に畑があって

大根や菜っ葉などを頂いた

 

 

別の日の休日

ある場所に連れて行ってほしいと電話

だんだん誘われることに

面倒さを感じるようになった

 

 

高速を走り、辿り着いた先は温泉施設のようなところだった

そこの大広間にはカラオケ設備があって

みんなが思い思いに休憩しながら、ステージ上で歌を一曲ずつ予約して歌う

利用者のほとんどが高齢の人達ばかり

その空間に若いのは自分だけでちょっと目立っていた

 

どうやら、おじいちゃんはカラオケが目当てだったようだ

ステージに上がると知らない曲や演歌が流れた

それをただ聞いているだけの時間

ちょっといたたまれない状況で苦しかった

 

その時、頭の中では友達と遊んでいる情景が浮かんでいた

帰りの車の中では終始無言

自宅に着いて降りるときは最低限の言葉を交わした

 

 

 

それからしばらくして

上司との関係で仕事が嫌になり会社を辞めてしまった

 

パートの仕事も減っていた時期で

おじいちゃんと会社で会う機会も無くなり

会わず言わずで辞めてしまった

 

 

あのときもっとやさしく接していればよかった

あのときもっとおしゃべりしていればよかった

 

 

感謝のひとつも言えなかったんじゃないか

 

 

あれから10年以上経つけれど

おじいちゃんはまだ元気でいるのだろうか

 

一人身で寂しかったのかな

それで自分にいろいろ良くしてくれていたのかな

だんだん自分が歳を重ねて、老いていくと

そんなおじいちゃんの気持ちがわかってきたように思う