懐かしい曲名と思ったかたは、箏をやってるかたですね。
「二つの個性」(藤井凡大 作曲)(1962)
私が生まれる前の作品。
私は19歳のときに、この曲に出会っている。
NHK邦楽技能者育成会にいっていたときに、知った。
何せ、講師のお一人が、当の藤井凡大さん(先生)だったから。
受講生が、よく試験で演奏したりしてたなと。
私は宮城育ちだったから、他の曲は、中学以降にやってきた。
沢井や正派、山田流などの曲は、適当に楽譜をあさったり、頼まれて演奏したり、仲間とやったりと。
久しぶりにその楽譜がSTUDIOにある。
懐かしさとともに、久々の漢数字の糸譜をみた。
昨夜は、十三絃箏をかきならした。
夜中もかきならした。
若いころからそう。
処理できない感情があふれたときには、こうする。
俗に言うふられたとき?みたいな(笑)
(あ、今回は違いますけど)
この曲は、十三絃箏の二重奏であるので、独りでは演奏できないし、演奏しても面白くない曲です。
多分、凡大さんは、遊び感覚で作ったのだと思う。そんな曲。
今の時代はどうなのだろう。私がコンサートでこれやって、面白いと思う人がはたして、多数を占めるだろうか。
そのへんの感覚は、もう私と世界とがずれているので、自信がない。
私がやってきていることが、7、8年たった今、TVなどで流れている。
うれしいことでもあるけれど、やっぱり、なんか寂しいかな。
時代に取り残されている感じがあると昨日のブログではかいたけれど、もしかしたら、逆かもしれない。
なんて、思ってみたり。どちらにしろ、時代にのれてないなと(笑)
乗る必要も感じてないけれど。
いいものは、ちゃんと残っていくと思うから。
というわけで、昨日、今日と、十三絃箏と会話している。
面白いんだよ。
子供のころからやってきた十三絃箏は、なんとなんと、真っ暗の中でも演奏できちゃうのだ。
不思議だね。
二十絃箏は、糸を画像として認識して演奏してるので、みえてないとまだ演奏できないけど。
今日書きたかったことは、なんだったっけかな。
そう、故人となられた藤井凡大さん。その方の思い出話。
19歳のころの、邦楽の中のさらに小さな井戸の中にいた私をひっぱりあげてくれた人の一人。
NHKにいった時点で、もうかなり井戸から川に出た感じだったのだけどね。
五線譜というものをまったく得意じゃなかった私。
ドレミをすぐに読めなかった私を、ドーンと音符漬けにしてくれた。
九州大学のグリー部?だったかな、男性コーラス部なのかな。そこのゴールデンウィークにある新入生歓迎合宿に、東京から私を呼んでぶちこんでくださった。
朝8時から、夜11時まで、分厚い五線譜の本をドレミで読み続ける。みんなで歌い続ける。
おそろしいー・・・。わからなくても、そこで一緒に歌う。できなくても一緒に歌う。
きゃぁぁぁぁ。
懐かしいのと、なんと無謀な経験をさせてもらったのだろうかと。
方式は、移動ド。
絶対音感の人たちが使う、固定ドとはまた違う方式。
箏には、固定ドは、マッチングしないんです。さすが邦楽。
絶対音感があると、邦楽できないんですよー。ホントに。
(できないというと大げさだけど、音楽を阻害する)
チョウチョは、ソミミ
もろびとは、ドーシラソ
これが、二十絃箏になると、固定ド楽器となる。面白いね、この切り替えが。
頭の中どうなってるんだろう。
ま、それはどうでもいいか。
合宿が終わると、最後の夜は、打ち上げ。なんか東京でいう居酒屋?(あのころは、居酒屋いったことなかった)いって、焼酎のお湯割りがなんと・・・80グラスくらい作ってある。
なんじゃ?と思ったら、はくまでの一気飲み。新入生やらされていた(笑)
大きなバケツが隣にある。おそろしかぁ。
私は東京モンなので、勘弁してもらった。なにせ、あのころは、お酒は一滴も飲めなかったから。
その後つれていったもらったのが、
川沿いにある、屋台のトンコツラーメン。
これも生まれてはじめての経験だった。
しかも美味しかった・・・。ウソーン。
まわりの先輩方が、「カエダマは?」ってきかれて、「結構です」と答えたものの、「カエダマ」って何?と心で思っていた。そう、メンのおかわりのことだったのね。
しまった、もう一杯食べれたなと思いつつ、すでにみんな食べ終わってしまう。
食べるの早いよ・・・。
そして、寝て、翌日新幹線で九州からエンエンと帰ってきたな。
懐かしい。
それが19歳のGWの過ごし方。
その後、一度凡大さんのご自宅(東京のほう)にお邪魔して、おしゃべりだけしてきた。本当にいろいろお話してくださった。もしかしたら、可愛がられていたのかもしれない。当時は、怖かったので、そんな気はまったくなく、呼ばれたから、断れずに恐る恐る伺うという感じ。
伺ってしまえば、怒られることはないから、いいのだけど、ピンポンを鳴らすまでが怖い。
あのころは、怖がりだったんだな。世間しらなかったしね。19歳だし!
私は、生意気だったとは自分で思わないけれど、その5月のあとの7月の前期試験(NHK)で、赤点をとった。聴音の試験で。0点をつけられた。
私だけ0点。
たった8小節。今思えば簡単な聴音。そりゃそうだ。音大生じゃあるまいし、素人がいってるわけだからね。(芸大生も複数いたけど)
7小節あっているのに、8小節目が間違っているといわれた。
たしかに、8小節目は、私が試験中に何度も何度も確認して、おかしいな?おかしいな?と思ってかいた答案。
なぜか、凡大さんは、激怒された。他の受講生の先輩方を前に、私は怒鳴られた。
「こんなふざけた答案を書くやつはみたことがない」
・・・
・・・
まさかそれが自分のことだとは思わず、のんびりきいていたら、
「君だ、君!」
(私だった・・・・)
怖かったなぁ。
びびったなぁ。
みんなに私の答案をみせられて、
「みんなみてみろ、こんな音をオレがひいたか?」
(聴音試験は、ピアノの音を五線譜に書き取る)
みんな「いいえ」という。
でも、私は確かにそう聴こえた。
だからこそ、1回で書き取れたのに、最後の小説だけ、試験時間ぎりぎりまで、10回目の演奏まで聴いて書いたの。
おかげでね、8月の夏休みが、毎週NHKに補修ということでいかなければいけなくなったの。
補修は4人だったんだけど、なんと、補修の試験で、毎回落ちて、最後の2人までいっちゃった。
あはは。こっちの補修試験は、私の単純なミスだから、自業自得なんだけど(笑)
(♯書き忘れた?終止線忘れた?ト音記号の位置がずれた・・・みたいな)
さて、話をもどそう。
そして、0点と発表されて、
「オレの演奏をもう一度聴いてみろ!」
って怒鳴られて、試験と同じ音を演奏された。
そして、
「どうだ!これでもこう聴こえるのか!」
っていわれたので、
私も若いな、こりずに、
「はい。そう聴こえます」
いっちゃうんだもんな(笑)
あぁ、懐かしい思い出。
「さじを投げる」っていう言葉あるじゃない?
凡大さん、とてもあきれられて、
「君には何をいっても無駄だ・・・・」
とまでいわれてしまった。
悲しかったなぁ。
それでも、私はそう聴こえたの。
普通ね、最後の8小節目は、付点二分音符か、全音符で終わるの。
そのくらい初歩の聴音だから、わざと変なことはしない。
わかってはいたのだけど、どうしても、最後の8小節目の4拍目に、四分音符の音価を感じてしまったの。
しょんぼりしている私。そして他の39人の受講生は、シーンとしている。
怖いもの・・・迫力あって。
しばらく沈黙が続いてましたね。
みなさん、貴重な時間を私のためにごめんなさい・・・って感じ。
でも、なんで4拍目の音がないことになってるのか、私には理解できなかった。
どう解決したらいいのだろう。
そんなことを思っていたら、いきなり凡大さんが、笑いだした。
「これか?これか?」
と言い出して、
「これか!」
みんなキョトンとしている。
私は、小さな声で
「はい、それです」
なんのことかわかりますか?
4拍目にピアノの鍵盤から指を離したときに聴こえた音。ピアノ線がなってるのか、ピアノ本体の共鳴、胴鳴りなのか。わからない。けれど、確かにその音は存在した。
これで0点はなくなるかと思った私。
凡大さんの台詞
「君は馬鹿か?この音を聴音の解答に書くやついないぞ」
「とても面白いから、夏の補修うけなさい」
(えぇぇぇ)
結局0点。
あはは。
懐かしいなぁ。
それも一年のNHK生活だから、翌年3月には卒業した。
五線譜に対する苦手意識を一気に撤去してくれた凡大さんには、なくなられた今も、感謝しています。
ありがとうございました。
数年後、息子さんの大史さんに曲を書いてもらってコンサートしたのはまた別の話です。
GAYO