21日東京公演 x なんちゃってGAYOの恋愛理想論 | Gayoのブログ

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みなさま、ぜひ楽しみにしていてください。

16日の名古屋公演での初演が終わり、ほっとする間もなく奈良公演と続き、そして東京公演がやってきます。身体は疲弊していますが、精神はスイッチ入ったままです。この状態だとものすごい恋愛ができそう(笑)


その恋愛に向かうエネルギーを、すべて自分の内にむかわせて、組曲「夢幻」につかいます。箏>恋愛:そんな人生なのか?


コンサート前にいろいろと4月のブログで思いのたけを書いていましたね。そんな時期もあるんです。私がそういう文章書くのは、昨年の9月のEssayからですね。一応一段落。すべてを納得して、理解しているから、行動していくだけなんですよね。そのための再確認をしていた感じ。


「GAYOさんってどんな人ですか?」って今度きかれたら、
「4月のブログ読んでください」とでもいってみるか・・・。
失礼すぎるか(笑)


信頼できる音楽家と話をしていたら、私の曲の属性を語ってくれた。これはポップス風?みたいな感じで。そういわれると、「なるほどね」とわかったような気になる私がいる。私はどちらかというと、編成(使っている楽器)によってジャンルわけしてるみたい。

だから、今回の公演の前半の私のステージ。3曲とも、私の中ではクラシカルテイスト。

1.「序・さくら幽玄」(3分)
2.「Viennaを想ふ」(5分)
3.組曲「夢幻」(23分)



1曲目をぜひ聴いていただきたいので、遅れないでくださいね。
一番新しい曲でもあり、現在のGAYOの魂が表現されている作品です。
なぜ日本人は桜がすきなのか。私はその桜を擬人化して、桜からみた今のGAYOという曲にしました。(プログラムには書いてないけれど)
演奏するたびに、外からみた自分を音楽で表現している気になります。プッと笑ってしまってもいいし、一緒に泣いてくれてもいいし、フーンとスルーしていただいてもいいし。4月のブログと一緒に聴いていただけると、何かを感じ取ってもらえるかなと思います。この曲をもし、好きになってくれる方がいらしたら、多分その方は、一生私のファンでいられると思います。だって・・・この曲・・・ものすごい精神エネルギー使わないと演奏できないし、その分相当なエネルギーが会場に充満しているはずだから。好きでない方も、もちろん・・・大丈夫ですけど。あれ?


~クラシカルテイスト~
私のジャンルわけがそういう定義なので、実はあの人気曲「メモリー」も「スプライト」もここにはいるのです。が、どうやらこれが違うらしいと(笑)そういうこともわかった(人と違うことを理解した人生)上で、書くと、GAYO的ジャンルわけではこうなんだと・・・それだけ相手に伝わればいいかな。ということは、CDに入っている「Peace」も、あの音源だとポップステイスト。ところが2月に演奏した「Peace・祈り」になると、クラシカルテイストとなる。同じ楽曲だけど、大きく違う。前者が希望をメインにしているのに対して、後者は魂への追悼(レクイエム)がメインになっている。2月の銀座ライブにいらしたかたには伝わるだろうか?
どのテイストが良い悪いではない。私にとってはすべて自分の子供たち。そこを大事にしていきたい。


続いて2曲目の「Viennaを想ふ」。
解説は前に書いたから省略。縦線がユルユルの曲ですが、これはGAYOスタイル。クラシックでもポップスでもなく、現代音楽のエッセンスが混ざっていると思う。(けど、GAYO的:クラシカルテイスト)
そういうファジーな演奏をさせてしまうところを、快く引き受けてくれる(?)大田さんに感謝。この曲のファンもかなりいるみたい。思うに、曲のファンというか、大田さんの演奏のファンなのではないだろうか・・・。私はそこまでうぬぼれ屋ではないですから。演奏中に、セピア色の華やかだったころのウィーンという国の映像と、水しぶきが飛散する「噴水」が描き出されたら、私の勝ちですね!そこんとこ、大田さんよろしく!(ピアノに丸投げ?)


3曲目、これが今回のこのAct4さんのコンサートのきっかけになった曲です。昨年秋に書き上げた組曲「夢幻」。いまさら説明はいらないかな。何度も私が思いのたけを書いてきているから。


深い思想的背景もあるし、純粋に心情表現でもあるし、かなり複雑な曲です。説明するのに、どっちを説明するべきかといつも悩む。全部を書くには膨大な量になるし、演奏前に先入観をたくさん植えつけたくないし。


でも簡単に表現すると、
これは『私の恋愛理想論』なのです。
いましているのか?ときかれると、即答で答えがでる。
「していない」=したいけどしていない
そのときに恋愛をしたから書いたという意見ももちろんあるが、実はね、こういう恋愛がしたかったという想いのほうが強かった。現実と理想のはざまの時期だったので、そのギャップを曲にしたのです。思いっきり周囲には誤解されましたが、これが真実。恋愛するならこうしたかったという過去の清算と、これからするならこういう恋愛がしたいという私の決意とでもとってもらえればいいだろうか。


この話は最後にまたするけれど、そのGAYOの恋愛理想論をこの組曲に凝縮した。細かく説明するとまたクレームきそうだからやめる。演奏を4楽章通して聴いていただけると、何かを感じるのではないでしょうか。細かい音楽論はいらないのです。素直に、私の曲から、私たちの演奏から何かを。(別に何も感じなければそれもそれでいいのです)


いずれにしても、3曲とも作曲して1年たっていないということ。ここが大事。今回、こういう新曲プログラムを快く了承していただいたAct4さんに感謝します。前半は、私の新曲発表会みたいな装いですよね(笑)
ありがたいことです。宗次ホールさんにも、八芳園さんにも感謝。協賛してくださったレクサスさんにも感謝。


演奏家の覚悟というものが伝わるかと思います。
曲がとかではなく、私の演奏で、伝えたいし、伝わらないなら私がそこまでの力ということ。今の私の覚悟は
「ひとつひとつのステージを愛すること」
「このステージが私の最後のステージになるかもしれないということ」
この2つです。そのために、魂論を先日初めてブログに書きました。俗世でウダウダ落ち込んだりする自分がいやで、整理のために、自分では当たり前のように思っていることを書き連ねました。「言霊」とかのことをさしています。


そんなあたりも今回の公演、これから先の公演の見所だと思います。ファンの方たちに伝わるとうれしいです。




(ここで本題おわり)
(時間ある人は続きどうぞ)














さて、最後におまけの恋愛理想論について。

いきなりズバリ、結婚とは?
結婚は人生の終わりじゃない。そこから先には無限の時間の流れがある。結婚はスタートラインなんです。(あくまでGAYOの意見です)

そこから続く永遠の時間を一緒にいられる人と恋愛したい。それが私の理想。肉体が滅んでも、魂だけとなっても、それでも手を取り合ってお互いに自立しつつも支えあう関係。その思いを凝縮したのが、組曲「夢幻」の第4楽章「悠劫(ゆうごう)」。絡みつつもほぐれ、ほぐれつつも絡み。同じ方向を向いて歩んでいこうということ。


最近の恋愛相談の中で、「自分からいえない」「いわれるのをまつ」「いうつもりはない」という人が多いことに気づく。これが日本人の特性なのだろうか?それはわからないけれど、私の恋愛論は逆ね。「男、女に関係なく、好きになったら気持ちは伝えないと」です。相手が受け入れてくれればつきあえばよし。受け入れてくれなかったら、自分を責めずに、タイミングが悪かったと思えと。そんだけ。人間だれしも、よいところと悪いところがある。そんなの自分でも自覚している。違う人間が二人出会ったとき、その違いというか、嫌なツボというのをどれだけ回避でいるか。回避できなかったときに、どう解決していくのか。そこが大事になってくると思う。


そりゃ、愛されたほうがいいよね。楽だし。だって相手が自分のこと好きなのだから、自分に選択権もてて、優位に感じるでしょう?でもそれ錯覚だからね。勘違いしないようにね。相手に愛されたときに、自分がどう思っているのか。自分も相手のこと好きなのかどうなのか?相手するのはかまわないと思うけれど、自分の心はしっかりと流されずにいないと傷つきますよ。


と、お説教モードになるけど、あくまでGAYOの勝手な意見。スルーしても問題はない。


嫌なツボってわかりますか?
人それぞれ、いわれたくないツボ、してほしくないツボっていうのがあるのね。私の場合は、・・・ブログで公表していいのか?


・言葉遣い
・礼儀
・箏人生を邪魔するような態度・行動・発言


この3つ。わがまま音楽家です。
「礼儀」と「箏人生」は、特に大事。古い人間なもので。
どんなに心が動いて気に入る女性であっても、ここをはずしてしまうと、どうせ自分にストレスたまるからとやめてしまう。やめてきた自分がいる。我慢してみたけど、やっぱりダメだったという経験に基づく自分なりの結論。やめるまでには、あれこれがんばるのだけどね。がんばる期間が無駄に思えて短くなってしまう=すぐにみえちゃうのね


このツボが人それぞれ違っていて、じゃぁ、自分はなんだろうと考えてみるといいよ。自分のこともよく知ることできるし。それができて初めて、相手のことを理解できると思う。自分のよいとこ悪いとこわかってない人が人様のことをいっちゃいかんです。


所詮、人と人は、すべて違っているのだから。


相手の女性が、私はこんな人間だからと、自分の悪いところをいってきても、これが見事に私のツボを踏まないものばかりだったりする人は貴重ですよね。いってくるだけでなくて、行動も含めて、なんでこの人は私のツボを踏まないのだろうと・・・。ツボ以外のところは、すべてほほえましく思えてしまう。あまりの避け具合に。


つきあったのにすぐ別れた?7年つきあったのに別れた?いいじゃない。お互いの違いがわかったのだから。No Problem


だから、私といて、ストレスがまったくこないよっていう女性がいたら、ぜひご一報を。お返事させていただきますから。でもコンタクトはないでしょうね。だって、一緒にいる女性いないもの・・・・・・最近。


私が一緒にいてストレスこない女性は、GAYOからみて現在のところ2人いる。過去も含めて3人いる


音楽を追い求めていくことを選んだGAYOとしては、恋愛のほうをずるずる引きずりたくないので、自分がいいなと思ったら伝えて、ふられて終わりにしている。伝えるとか書くと、またどこぞの誰かが誤解するだろうけど、伝え方にもいろいろあるの。思いを伝えるということだから。誤解する人は、勝手に誤解しないで、どういうこと?と私に連絡するよろし。


逆に、私に伝えても私がお断りするケースもある。そこはお互い様ということでご容赦を。恋愛にはWAVEがあるから。そういうモードじゃないときにいくらいわれても困るし、逆に相手が恋愛モード入っていないのにいくらいってもダメだしね。私はそういうのわかっていても、自分が思ったときには伝える。「うそをつかない」という人生のポリシーを遵守している。馬鹿だねぇ。もうちょっと待てばいいのにとか思うことよくあるよ(笑)



自分も相手が好きで、相手も自分が好きで、半分一目ぼれ近い恋愛だって存在するのです。勇気をもって、相手に伝えるか、伝えられないかの差があるだけ。


私みたいに相手に伝えるタイプは、相手から反応がないと、自分の感情を押し付けている感じがして、申し訳なくおもって撤退してしまう。心の奥底にしまってしまう。受身の相手にそれをしてしまうと、こういうことがよく起こる。


受身なことを否定してるわけではない。私もそういう時期あったしね。

けどね、受身の恋愛は、楽だけど(愛されるから)自分の心をだましていることになるよ。相手に先にいわせてもいいから、自分がそれにちゃんとこたえないと。自分で自分をちゃんとみないと。自分に対しても、相手に対しても、すきなのか、嫌いなのか、その中間なのか。


ここんとこ、恋愛相談重なったから、またブログ読んでおいて・・・ってこれからいうかな(笑)



これは30歳すぎてからの話だけど、私は多分かわっていない。まず自分が何をしたいのか、何を伝えたいのか。それが大事なのであって、世間の目とか、周りの反応、相手の反応が大事じゃないのです。自分がその人といたいのか、いたくないのか、時間を共有したいのかしたくないのか、それだけであって、そこから先に何かを要求するというのは、相手を拘束することであって、首に縄をつけること、支配するということにまでつながると思う。自分がしたいから、そうした。それだけでいいの。


だからここで宣言しておく。
私は結婚したくない。正確には、結婚目的で恋愛したくない。その人といて心やすまるから、自分が帰ってきたい相手だからつきあうのであって、結婚はその延長上の選択肢の一つなの。結婚が嫌いなわけではないけれど、結婚するのは簡単で、契約破棄するときに日本だとすごく無駄な時間と労力がかかる。周りをみていてそう思う。

一緒にいて、子供育てればいいだけであって、結婚という契約目的でこられるのは困る。(そんなこといいつつすぐ結婚するかもしれないけれど=ぷっ)

私が、自分の人生の残りに危機感を感じているのを汲み取ってもらえているのだろうかと。箏の演奏が自分の寿命削っているものということが伝わっているのだろうかと。結局理解してくれる人はなかなか現れないということですね。自分が人生を閉じるときに、誰にそばにいてほしいのか?誰だろう。そんな人いるのかな?音楽やってるGAYOだけしか知らないひとが多いからね。


心休まるだけではなく、無限の時間を共有する上で、よりお互いを高められる相手だと理想だね。この人といると、演奏にエネルギーがわく、クリエイトされていく、そんな女性。自分の箏人生をすべてささげられるような人。1+1=3になる女性・・・いたら幸せだろうね。
だからこその理想論。あはは。


想像するんだ。自分の将来を。
多分だけど、気づいたらだれかそばにいるんじゃないかなと。
昔の知り合いかもしれないし、新しい知り合いかもしれないし、そこは誰が私のスポットにはまるかわからないけどね。


身体的疲労がピークなので、前日の今日は、練習せずに完全休養です。
21日の0時すぎたら、調整練習開始します。(荷物が3つ届くので、夜まで家を出れないGAYOさん)




最後に、ファンの人がやきもちやくだろうから補足説明しておきます。私が一緒にいてストレスたまらない3人について。

ご安心を。3人ともそばにいないから。
1人目は、過去の人。私に恋愛の巣晴らしさを教えてくれた人。殻にこもっていたGAYOさん。その固い殻を香(かおり)なみのハンマーで衝撃的にたたき壊してくれた人。二度と会うことはないけれど、心の中で一生感謝する相手。

2人目は、数年前から知り合った人。ものすごく若くて、下手すると自分の子供くらいな年齢だけれど、人間が大きいというか、優しいのだろうね。その彼女が素敵な彼氏と平和に過ごしているのを見守るのが、またこれ幸せのひとつになっている(ホントホント)

3人目は、まぁ、知る人ぞ知るという相手。彼女もすばらしい生き様をしている。


面白いよね、自分がいいなと思った人は、だいたいすでに幸せなんだよね。不思議と。不思議でもないか。ちなみに一緒にいるというのは、ほんの10秒くらい会話して感じたりしたことからの感覚の積み重ねです。24時間365日一緒にいてという話ではないので・・・。


あ、そうそう、ストレスがたまらない相手という3人を挙げたけど、もうちょっと現実的に、「箏の次に私のすべてをささげてもいい」と思う人(箏の次っていうのが、難問だけど)は、2人いる。

上の3人目と、別の女性。


どうだ!GAYOさん、遊んでいるでしょう!

遊んでないから・・・。すべてGAYOの恋愛理想論の上での話です。ご安心を。みんなは安心しても、私は寂しいもんなんですよ(笑)



京都のお坊さんとお話していたときの一こま
「いまのGAYOさんと付き合いたい女性って本物だよね」
と。いまのGAYOさんがなんなのかは、話すと長くなるから割愛。
私もそう思う
「いまの私とうまく付き合える人って、多分生涯の伴侶になるよね」
と。
そんな話で酒が進んだ17日の奈良の夜(笑)


でも結論・・・・「そんな女性なかなかいないよね」(あっはっは)
酒のつまみ話にはもってこいのTOPICでした。


笑い話にしていたけれど、でも二人ともこれまじめに話していたのです。もしかして3年くらいして、私がどうなってるかわからないけど、今より悪くなることはないから、その人生のどん底の今、そんなGAYOでもいいという人がいたら、私は来年知り合う人よりも、5年後に知り合う人よりも絶対に大事にできると思う。


なんだっけ?「あるがままを受け入れる」だっけ。お坊さんがいった言葉。久しぶりに聞いたフレーズだったけど、心に響きました。そう、今女性がいないというのは、そういう人生であって、箏だけにかけていけばいい話。これから現れるなら現れたで、そばに女性ができたらできたで、箏の次に大事にしていけばいいだけ。それだけなんだよね。俗世にいると、欲からくる寂寥感に襲われるから嫌だ。



そんなGAYOも、音楽では幸せですから、誤解なきよう。21日は、ハンカチを忘れずにね。私がステージでいかに幸せかを体感していただきます。幸せを感じて涙してください。


GAYO