明日15日からしばらく西のほうに遠征にいきます。
明日の午前11時以降、しばらくPCメールをみることができません。ご不便おかけします。連絡は、携帯電話か、携帯メールによろしくお願いします。19日の夜に帰宅予定です。
■マイミクの方々へ
牧場もろもろ・・・どうぞよろしく。しばらく留守します。最近忙しくてログインしてない方も、これを機会に・・・お世話よろしくね(笑)
■ファンの方々へ
16日名古屋・21日東京、どうぞよろしくお願いします。お楽しみに。
5月10日の六本木もぜひどうぞ。
■お仕事関連の方々へ
というわけです。携帯のほうへ・・・。いただいている資料は持ち歩いております。
■箏を習いにきている方々へ
次のレッスンは24日以降になります。5月10日のライブ前ですが、大丈夫です。携帯メールのほうに希望日・時間を送ってください。
■音楽以外の友人たちへ
ちゃんと帰ってきますので、ご安心を。ほんとだってば。
Gayo
P.S.
4泊5日のホテル暮らしになりますね。久々の一人旅だ。大荷物だから移動はゆっくりしてみる。独りで観光してしまうと、去年の秋状態に入りそうだから、今回は見送ってみよう。
数少ない友人の一人がいま、資格更新のための試験勉強をしているらしい。タウンページ3冊分のマニュアルだって・・・。すごいなと、素直に感じる。毎年毎年この時期に更新試験があるらしい。
私もこの一週間、勝負のとき。全部自分の曲なのがうれしいけれど、曲にかける想いと心のバランスが釣り合っていないので、作曲時の状態を思い出してみようと思う。目に見えない分だけ、やっかいだね、心っていうものは。
名古屋の人たち、奈良の人たち、そして東京の人たちに、素敵なコンサートをお届けできますように、ご期待ください。
誰にいわれたんだっけかな。
心に傷のある音楽家は、傷の癒しのエネルギーが音楽で昇華される・・・だったかな。そんな感じのこと。現実に何かを期待して生きていきたいという想いと、どうせ・・・という想いがぶつかって、後者が勝ってしまうと身動きがとれなくなる。おもしろい経験をいましています。面白がってどうするって感じだけど、あまりそういう人生じゃなかった分、まとめて今経験させてもらっている。
また別の友人と話をしていたときのことだけど、自分の大切な相手には幸せになってもらいたいという共通の認識。前から私も思っていることだし、本当にそう思ってずっと生きてきた。もちろん、今でも思っている。だけどね、自分も幸せになってもいいんじゃないかな?そう思う。相手を傷つけてでも自分が幸せになる・・・。私は選ばない道だけど、これもありなのかなと思う。そんなことないだろう?とつっこまれそうだけど、そこは否定させてもらいたい。私は幸せになる道を捨てて選んだのだから。ただ相手を傷つけているだろうことは想像できるから、そこは申し訳ない。その相手にも幸せになってもらいたいし、自分の周りにいる友人たちにも幸せになってもらいたい。幸せってなんだろうね?自分の心を休められる相手がいること?定義は人それぞれか。
自分が幸せに感じるのと、相手が幸せに感じることが食い違っていく怖さは最近経験させてもらった。お互いに不幸になるとまではいわないし、いいたくないけれど、あまり楽しい結果はうまないことはわかった。そういう食い違いを少しずつでも修正していきたかったな。
ここ一ヶ月くらいのブログは、なんかプチ人生を語る内容が多いですね。しかもGAYO的な偏った思考。読み返すと面白い。今日も書くつもりはなかったのだけどね。ブログの内容が、昔みたいに戻ったり、間隔が長くなってきたら、よい兆し?あはは。
いろいろメールいただきありがとうございます。
読まれている人たちを引きずり込もう作戦じゃないので、誤解なきよう。ただ、本当のGAYOというものを知っておいてもらいたいだけ。このままだと、ステージのGAYOしか知らない人ばかりになってしまいそうでね。(アーティストだから、それでもいいのですけどね)
またここでNGワード使うと、メールがどばってきてしまうから気をつけるけれど、春の陽気のせいじゃないと思う。なんか音楽って真剣になればなるほど、音の世界に入れば入るほど・・・(やばい)。技術的な話じゃなくて、精神世界の話ね。入っていけば入っていくほど、戻ってこれなくなりそうな気がする。戻れなくなったときは、どうなってしまうのだろうね。2009年頭からずっと考えてきたことなのだけど、戻れなくなるというのは、現実の自分の存在に価値を見出さなくなることだと。うまく伝わるかな。精神の旅に出てしまうと、肉体に意識がいかなくなる。またわけわからんこと書いてるな・・・。とりあえず、今私にはとても大事な人が3人いる。この3人が生きているうちは見守っていたいから、ちゃんと戻ってこれるはず(多分)。伝わるかなぁ・・・この感覚。いままでにまして、ステージでの短い時間がとても重要な位置を占めている。あそこは私のいう精神世界と現実をつなぐ場所なのね。自分をドカンと解放してしまうと、戻ってこれなくなる場所なの。そして戻ってくるには理由がちゃんとあるっていうこと。そういう話です。身近にそういう人がいない今、戻ってこれるかすごく不安なわけ。戻してくれる人がいないという怖さかな。去年までは、事務所のマネージャーさんとかが、すぐ声かけてくれて意識分離前に引き戻してくれていたんだ。本人にはいってなかったけど、感謝してましたよ。
上の話すると、音楽家は冷静たれ・・・といわれるのだろうね。
それが大事だというのは、ほうぼうで耳にしてきた。理由は人それぞれだけど、もしかしたら大元は、この話かもね。現実に戻ってこいよ!っていうことなのかもしれないね。(ぜんぜん違っていたりして・・・あはは)
感覚シェアできる人がいるとうれしいのだけどね。なかなかいないんだよね。だから話できなかったし、したことなかった。なんでブログに書くかな・・・
いってること、書いてることは、昔から変わらないですから。そこらへんは、変化しない人間です。こんなGAYOが、ステージでどんな音を出すのか、楽しみにしていてください。一緒にステージに立つ私の二十絃箏だけ、それだけは私の想いを受け止めてくれる唯一の存在です。あ、あ、あ、ちょうど今年、私の二十絃箏と出会ってから「21年目」です。絃の数と同じ年月刻んだんだ。
そんな事考えたら、なんか楽しくなってきた(笑)