花咲ける青少年x言霊 | Gayoのブログ

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樹なつみさん原作の「花咲ける青少年」という物語がある。
あれの第4話だったか。たしかそのあたりだったけれど、私の生き方と共感できるものがあった(ような気がする)

原作・・・もう持っていないのでわからないけれど。

別に、暗くなってるわけではないので、ご心配なく。
ただ、私が考えていることを伝える身近な人がいまいないので、ブログを読んでいる人たちにだけは伝えておきたいかなと。ふーんという感じで一笑してもらえればそれでうれしいです。


私もこうやって書いていると、いろいろなこだわりがあるんだなと。考えがある意味20歳前後からかわっていない・・・というか、成長していないのかな(笑)

それがGAYOなのかもしれない。



「言霊」
という話がでてきた。そして、KAJIKAがいっていたことは、たしかに、私がいつも思っていることだし、実践していることだし、大事な人には伝えてきた話だった。(ような気がする)(違う原作だったらお笑いだけど)


なんか、いまの自分を整理するために、あらためて自分の考えを最近書いている。長くなるのは申し訳ない。


箏を演奏するGAYOの内側の話。
私の音楽を聴く楽しみのスパイスにでもしてくれればそれで。



「言霊」(ことだま)というのは、いつか私が曲のタイトルにしようとしている大事な言葉の一つ。

そして、自分の人生の指針にしているものの一つ。
「自分らしく生きる」
何が自分らしくなのか?そこを探っていくと、この「言霊」というものが浮かび上がってくる。


言葉には魂が宿るということ。
口に出してしまった言葉には力が宿るということ。
よい状況で使われるのは、「夢を語れ」ですね。
口に出してこその夢。(真逆の表現もあるけどね)
「黙して語らず」みたいな。
といっても私もあまり夢は語らないタイプ(でしょ?)だから、そっちの方面はあまり実践していないけれど、それ以上に大事にしていることが「嘘をつかない」「人をだまさない」ということ。


みなさんは、「嘘」をついたことありますか?
私はありますよ。子供のころ。一つ嘘をつくと、物理の問題みたいに、芋づる式に嘘をつかないといけなくなるのを体験した。怖かった。自分が自分でなくなる感覚?嘘をつかないということは、人をだまさないということ。そして人に謝れるということ。すべてにつながってくる。

ビジネス社会の中で生きていないからこそ実践できるのかもしれないけれど、「嘘をつかない仲間」というのをぜひ募集してみたい。そこには見栄もいらないし、エゴもいらない。なんてね。素敵な理想郷だ。そんな人たちと温泉いきたいな。怖いぞー、嘘つかないってことは。自分がどれだけ見栄で生きているかまざまざと・・・ふふふ。



嘘をつかないと、なぜか周りとの摩擦も増えてくる。
嫌なものを嫌というと、言い方が悪いとか、なんで断るとか。
恩を与えたから恩を返せと・・・いう人もいる。そういう人がいることも認めた上で、いわせてもらえば、恩とか愛情というのは、無条件なものだとおもう。そこに、貸し借りが入ってくると、それはもう違うものに変化しているのではないかしら?と私は個人的に思う。

少なくとも、自分ではそうでありたくないし、自分にとって大事な人たちにはそうなってほしくない(と願っているだけで強制しているわけじゃない)。

ま、そんな私でも、相手のことを思っての嘘をつくとき(決して自分を守るためではない・・・そんなの無益だから)は、墓まで持っていくと決めている。墓に入るかどうかはしらないけどね。





また本題からはずれた。

理解者を増やそうとしているのではないので、そこは誤解しないで読んでください。人それぞれ違うのだから。そこはなぜか達観してしまったGAYOである。


「言霊」
好きだな、この言葉。
35歳以降は、特に自分の生き方を実践しているつもり。
前の事務所の社長の人柄にも影響はされたと思う。
思ったことをいいすぎる生意気な箏プレーヤーですからね(笑)
多分、20代も生意気だったのだろうね。人に流されず、染まらず、自分の意思で生きてきたと思う。格好よくいうとこうだけど、実際は、Can Notだったのかな。できなかった。合わせることも、染まることも。だって、なんか自分に嘘つく感じでね。いまでもそう。
YESというのは楽なのだけど、嘘つきたくないので、NOというと、NOの理由を悪くとられる。こちらはまったく思ったまま、NOといってるのに。そこに裏の思いとか、裏工作とかないのに、どうして悪くとられるのだろう。そうか、NOということからして、世の中ではいってはダメなのか。とか思ったりしたこともあった。

EQを8年以上やっているからか。外国人とばかりお話していたからか。自分の意見をいうという環境にすでに染まっていたのかもしれない。


あらためて「言霊」
この世の中のすべてに魂が宿っていて、発した言葉にももちろん宿っている。悪い言葉を発すると、悪い魂が宿る。口に出した言葉は二度と戻らない。だから大事にしていこうといつも思っている。


それでも聖人君子ではないので、ときたま相手を傷つけているときがあるらしい(本人そのつもりまったくない・・・)。そういうときは、素直に謝る。でも、自分が納得しないものには謝らない。相手を不快にさせたことは謝るけれど、不快にさせた内容に納得いかなければ、私は謝ることができない。そんな人間だということを知ってもらいたい。



私があいつは最低だとか、人の悪口いうのあまり聞いたことないでしょ?口数のわりに・・・。なぜかといえば、そう思っていないから。それだけ。でも思ったことをいってると、それを悪口ととられる。これを機会にあらためて私と接してほしいです。私の発言や行動を悪くとらなければ、とてもPUREな結果がみえてきますよ。だって、人それぞれ違うってもうわかっちゃってるから。非難してもしょうがないじゃない?自分と人は違うのだから。


私が「好き」といったら、好きなの。そこには駆け引きも何も存在しないの。好きになってほしいから好きというのではなくて、好きだから好きという話。わかりやすいたとえでしょ?これは、おしゃべりと思われている私と会話すればよくわかると思う。


約束事あまりしないでしょ、私。

約束したら最近は破ってないでしょう?
(仕事以外の話ですよ)


って書くと、某友人からまたメールがきそうだから言い訳。
会う約束っていうのはね、時間と場所が決まってからの話です。
アバウトで明後日ね・・・といわれても、それはまだ約束じゃないの。その後にちゃんと時間とか場所を決めてないうちは、KEEP(仮予約)状態なんです。それもこれを機会にいっておこう。といってもここみてないだろうけど。


今度お食事でも・・・
これはよくメールでいただく言葉だけど、そういうのを私に送ったら、私は真剣にスケジュールあけて、どこでいこうかと考えるのです。だから、社交辞令いりません。私にだけはいりません。社交辞令ないからといって、気を悪くはしないから。というか、基本的に悪くとらないから。悪くいいたいときは、直接ご連絡ください。いくら噂流されても、私は気にしないです。そんなの20代で散々やられたことですから。

というわけで、正直な、素直な意見でしたら、よくもわるくも遠慮なくどうぞ。耳をふさぎはしないし、全部目を通しています。


これと似てるのが、当日のお誘い。もちろん心と身体に余裕があって、あいていればいくけれど、どちらかでも余裕がないときは、断っています。その人と行きたくないからじゃないので。その人と行きたくない場合は、はっきりと本人に、あなたと食事いくつもりはありませんっていうニュアンス(これ大事)で伝えています。

このあたりは、今の私の身近にいる人たちは理解してくれてるとおもう。ありがとう。


こういう生き方、結構辛いものがあるけれど、その反面、とても楽になります。誰に対しても同じ態度で望めるから。それが嫌な人は離れていくでしょう。へこへこして欲しいタイプの人は私のそばにいないし。礼儀はちゃんと守ってますけどね。これは人として当たり前のこと。自分を好きでいられる支えになっています。



私からこの話を直接きいた人は、多分少ないと思う。
ライブで話したことあったっけ?
あのMCはいつも台本考えてないから、自分で何はなしたか覚えてないんですよね。あっはっは。


長くなりました。練習の合間にまた書いてしまった。
こりゃ、読むほうが大変だね。

自分という人間を伝えるそんな時期にきているのかもしれない。


Gayo