東京に帰ってきて、老体をむち打ち、朝の散策をする。大阪では、外を楽しむ余裕もなく、まぁ仕事だから当たり前だが、たった数日のことなのに、もう桜はほとんど散り、これから夏に向けての、生命の息吹のパーティーが始まっているのだろう。
6日に陰陽師をやった影響か、博雅のセリフにあった言葉を思い出した。
もののあわれというものは、秋よりむしろ春にこそ感じる
ここでさしている春が、どの時期の春かはおいておくとして、確かに桜が散ってゆくのをみると、なにかこう、ものの哀れを感じます。それ以上に、元気に新芽を出し、やる気満々の草木をみていると、どうせまた秋が来て、冬が来て、その繰り返しなんだよ、と・・・。
あっ!また、目の前を桜の花びらが、チラチラと。
そしてまた考える。もしかすると、冬こそが、生命を最も楽しんでいる季節なのかも、と。栄養をためる時期、自己投資する時期、自分を作る時期。
春から秋は、栄養を使う時期、投資したものの成果を求める時期、自己発表の時期。
わけのわからない思考ルーチンで散策している私。
まてよ、ということは、ライブは、2年に一回くらいでもいいのか?自己研鑽に生涯時間を費やすなら、そもそもライブとかはする必要はないのか?これが芸術家的な姿なのか?
ほら、また勝手に変な穴に落ちた。
脳内疲労していると、まぁいつもこんなもん。やっかいな性格だ。
こうやって、ウダウダと思考していても、どうせ私は俗物です。ライブ?やりますよ、もちろん!二つ先のライブまで、内容・メンバー決まってますよ!やる気MAXです。
とまぁ、脳内がとろけている本日、私の散策は、まだまだ続く。
そして、東京は晴れ
GAYO NAKAGAKI