ありがとう、はなちゃん | ことり暮らすブログ

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みなさま、こんにちは。

ことり暮らす店主のあかねです。

 

前回の記事から、なかなか更新できずにおり、申し訳ございませんでした。

ブログだけでなく、SNSも動かせておりませんでした。

 

 

 

時間が経ち、やっと少しずつ、心の整理ができてきて

まだ泣いてしまうのですが、

そろそろしっかりと言葉にして、みなさまにもお伝えさせていただこうと思います。

 

 

 

10/29(木)、

わが家のセキセイインコ はなび が、天国に旅立ちました。

5歳と9カ月でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなる、ほんの1週間ほど前までは、

いつもと変わらずに元気で過ごしておりましたが、

換羽の始まりと、

台風並みの低気圧が北海道に数日居座った時とが重なり、

その際に、大きく体調を崩しました。

 

止まらない吐き気と、食欲不振が、最初の主な症状でした。

 

自宅で30℃以上に保温しましたが改善せず、

(朝方から昼間にかけて吐き気、夜は落ち着きましたが、また翌日吐く)、

病院に走り、

レントゲンや糞便検査など受け、

かかりつけの獣医師の先生からの診断は、「胃炎か、胃潰瘍か、最悪胃癌か」。

治癒可能な胃炎か、それとも胃癌なのかは、

症状は同じであり、小鳥では生前診断は難しいため、
薬の効果を見ての判断になっていく、ということでした。

 

はなちゃんは、その頃にはタール便が出るようになっており、

体重も一気に減って、26gほどになってしまっていましたが、

先生のお話から、まだ希望があると思い、

入院をお願いしました。

 

 

そこから2日、はなちゃんは

本当に本当によくがんばってくれました。

獣医師の先生も、スタッフさまたちも、

どれほど大変なサポートをしてくださったかと思います。

 

入院3日目の面会の際に、

止血剤が効かずこれだけ出血が止まらないのは、おそらく胃癌、

貧血もかなり深刻なものとなっていて、もう時間の問題であるとお聞きし、

先生とのお話の上で、私ははなちゃんを連れて帰ることに決めました。

 

その時にはもう、いつ亡くなってもおかしくない、

もしかしたら、家に帰るまでの間にも、という状況でしたが

 

はなちゃんは、本当にがんばってくれて

 

しっかりと自宅について、

他の鳥たちみんなの声を聞きながら、

私に手に包まれながら、

「大好きだよ、大好きだよ」という私の声を聞きながら、旅立ちました。

 

自宅についてから、15分程だったと思います。

 

夫は間に合いませんでしたが、早くに帰宅してくれて

その日は一緒に、泣いて過ごしました。

 

 

 

 

 

 

 

元気な頃の動画を少し。

 

これは、今年の夏です。

私の指と遊ぶはなちゃん。

 

 

 

 

これは、最初の症状が出る10日ほど前です。

 

 

 

 

これは今年の初めの動画ですが、

こんなふうに夜寝る前に、

はなちゃんとカキカキし合うのが日課でした。

 

 

 

 

 

 

はなちゃんの旅立ち、

症状が出てから、本当にあっという間で、

私も気持ちが追い付かず、

でも、とにかく必死でした。

できること、その時ベストと思えることを、と。

 

後から調べると、

胃癌の場合、最初の症状が出てから短くて数日、

長くて1年以上生きられる場合もあるそうでしたが、

外科的治療や抗がん治療はまだ確立されていないとのことでした。

 

でも、こうなってしまってからは、

私が何かを見落としていたのではないか、

本当はもっと早い段階で、出来ることがあったのではないかと、

自分を責める気持ちが強かったです。

 

けれど、

夫とはなちゃんの今までを、振り返って話していくうちに

 

そういえば、はなちゃんは

お迎えの時から、病気や体の弱さで、本当に本当に大変だったんだよなと、

思い出しました。

 

生きるか死ぬかのところからのスタート、

そのあとも換羽のたびに体調を崩し…

最初の2年は、ほとんどそんな感じで。

何の根拠もないけれど、

「この子は長く生きられないんじゃないだろうか、

せっかくお迎えしたけれど、1年、2年とかの命になってしまうんじゃないか」と、

そんなふうに思ってしまうほどに、大変な日々だったのでした。

(私は夫にそう言っていたそうで、私は覚えていなかった)

 

ほんの数年前のことなのに、

それをすっかり忘れてしまうほどに、

この最後の3年ほどは、

はなちゃんは、本当に元気で、いつも楽しそうに過ごしていて、

 

だから私は、安心しきってしまっていたのかな、とも思いますが…

でも、それほどにはなちゃんが元気に過ごせていたのは、

嬉しい事実なのだよなと、今は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はなちゃんは、私の新しい人生の、はじまりの鳥でした。

 

 

それより前に一緒に暮らしていた鳥たちにしてあげられなかったこと、

そして、

はなちゃんの身体の弱さがあったから、

私はとにかく、はなちゃんにできることを、と

情報を集めて、いい商品を探して。

そんな、1羽と飼い主の奮闘からのスタートでした。

 

記録として当時書いていた、個人のブログを読み返すと

その頃のことがよくわかります。

 

 

かなりあスキャット(はなちゃんお迎えの最初の記事から)

 

 

 

まさか、それが、

こんなふうに、

自分で鳥さんのためのお店を開くようになるとは

本当に思いもしませんでしたが

 

すべて、

はなちゃんが導いて、繋いでくれたものだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はなちゃんは、亡くなってから火葬までの数日、

「花送り」をしていただき、

お花畑に囲まれて、わが家で過ごしました。

(写真は、はなちゃんの身体がうつらないように撮影しました。この中心ではなちゃんが眠っています)

 

ご自身も愛猫さんを亡くされた経験のあるお花屋さんが

1時間ほども、はなちゃんの話を聞いてくださりながら

丁寧に、はなちゃんの身体をお花で囲んでくださいました。

 

はなちゃんの身体の色や、

私の希望などは何もお伝えしていなかったのですが

出来上がったのは、はなちゃんにぴったりのお花で、

きっと、はなちゃんが選んだのだなぁと、感じました。

 

火葬の日まで、夜は夫と私とはなちゃんとで

3人で一緒に眠りました。

 

何度も何度も、はなちゃんの身体を撫でました。

 

 

 

 

 


 
 
移動火葬車をお願いし、
(それが偶然にも、ミニ大通りのお店のそばで、行ってくださっていました)
火葬を終えたはなちゃんが自宅に戻ってきて、
夫とふたりでお骨上げをしました。
 
頭蓋骨やくちばしまでも、しっかりと、綺麗に残っていて
担当くださった方にも、稀に見る、きれいな残り方だとお聞きし、
 
あとで、夫が
「きっと栄養がよかったんだね」と言ってくれて
 
なんだか、
そうか、よかったなぁ
私はちゃんと、いいごはんを用意してあげられていたのかな、と思えました。
 
 
それから、この火葬の日までは
やっぱり私は自分のことを責めてしまっていたのですが
 
その日に見た夢。
悪夢を見てもおかしくない程の心理状態だったのに、
夫と私が手をつなぎ、指輪のところにはなちゃんがとまっている夢を見て、
はなちゃんからのメッセージだと感じました。
 
もう、ただただ自分を責めることはやめて、
今目の前にいる子たち、これからの子たちのために、できることをしよう。
立ち止まっていてはいけないよね、と
思えたのでした。
 
 
 
 
 
はなちゃんは、私の新しい人生の、はじまりの鳥であり、
約束の鳥です。
 
 
はなちゃんにもらったものを胸に抱いて、
はなちゃんとの約束を果たせるように、
私は、私のできることをしていきます。
 
 
 
まずは自分の家の鳥たちの幸せ、
そして、日本の愛鳥さんたちの幸せ、
私にできることは本当にささいなことかもしれませんが、
向き合っていきたいと思います。
 
 
 
はなちゃんを可愛がってくださったみなさま、
本当にありがとうございました。
 
お店に来るのが大好きだったはなちゃん、
お客さまが来ると大喜びして歓迎していたはなちゃんの姿を、
少しでも思い返していただけると嬉しいです。
 
 
 
 
もっともっと、一緒に居られると思っていました。
 
会いたいです。
 
 
 
いま、目の前の鳥たちと一緒に過ごせる
一緒に居てもらえるということは
毎日、毎日、
奇跡の連続なんだと感じます。
 
 
その奇跡が、幸せに包まれて、
私にも、みなさまにも、長く長く続きますように。
 
 
私にそのお手伝いが、これからもできますように。
 
 
 
 
ありがとう、はなちゃん。
 
また会える日まで、おかあしゃん、がんばるね。
 
 
 
 
あかね