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病名
前立腺癌→去勢抵抗性前立腺癌 多発骨転移
2010年 前立腺全摘
術後PSAの上昇あり、放射線治療
術後は病院にお見舞いにも行ったような?
退院日は私が迎えに行ったような??
記憶が曖昧![]()
その後も定期的に経過は見ていた様子。
そういえば口癖のように「PSAの数値が…」と話していた。
けれど、私はさほど関心も持たず…そうなんだ、くらいに聞いていた。
だって。まだ普通に、元気だったし。
冷たい娘だよ![]()
2020年12月 傍大動脈リンパ節転移
前立腺癌になり、術後10年。リンパ節転移。
雲行きが怪しくなる。
でも、この時点でもさほど心配せず…
だって。元気だったし。
大丈夫でしょ、って。
2021年2月 去勢術(精巣摘出)
一時的にPSAが下がる。
去勢術に落ち込む父に「治療なんだから仕方ないよ」と他人事。冷たい娘だよ![]()
(全然、寄り添ってあげてない
)
まだこの時点でも、深刻に捉えてなかった。
そういえば、どの時点でかはわからないけど
ホルモン療法の影響で胸も膨らんできて、人目を気にしていた。「温泉も行けねぇ」って。
心理的にも辛かったのかも。
色々無関心でごめんね![]()
2021年12月年末〜2022年1月年始
骨(股関節や骨盤)に痛みが出現、歩行困難になる。
この時点で「骨に転移したんじゃないか、死ぬんじゃないか」と本人も不安が強かったように思う。
いよいよ、心配になる![]()
これが父と過ごした最後の年末年始。
思えば、この時点で年単位?月単位?
だったんだよ。
まさか1年後、この世に居ないものとは。
そして1年間
何をしてもPSAの数値が上がり続ける。
父の口癖のような
「PSAが全然下がらない」再び![]()
股関節(骨盤)の痛みの為、杖歩行になり
一時は浮腫と痛みで車椅子。
2022年1月 MCRPC(リンパ節、骨)
転移性去勢抵抗性前立腺癌
抗がん剤ドセタキセル90%
5コース施行
2022年5月 抗がん剤カバジタキセル80%
2022年7月 疼痛で緊急入院。
整形コンサルタント
外科的治療の適応なし
2022年7月 放射線治療(骨転移の局所)
一時、放射線の効果か?痛みが減る。
この時期の抗がん剤の副作用が強すぎて…
シャワー室で倒れたり、大変だったみたい。
「抗がん剤で死んじまう」と話す![]()
2022年9月 BRCA 遺伝子検査 陰性
2022年10月 抗がん剤カバジタキセル投与
このあたりから徐々に体調が悪化していく。
それまでは、骨転移の痛みはあるものの
それなりに元気だったから![]()
週に2〜3日、仕事にも行っていたし、運転もしていた。
…でも、歩くのも、出かけるのも、しんどかったと思う。
ここからはもう…
終末期の終わりだよって
それって誰が教えてくれるの
?
本人も、まわりも、そんなことまったく思わず
抗がん剤の副作用かもしれないね
効いているからかもしれないねって。
どんどん食べれなくなり、飲めなくなり
薬も飲めなくなり(痛み止めとか、ステロイドとか、色々あったのに)
体力は、どんどん落ち
寝ていても、痛みがあり
「いてーよ、いてーよ、」って。
だけど、誰も診てくれないし
ただただ、乗り切るしかなかった1ヶ月。
それが2022年11月![]()
まぁね。
このあたりにくるまで、たまに実家に顔を出し、父と連絡は取り合っていたものの…通院や日常のことは叔母にまかせっきりで(叔母とも、やりとりはしていたけど)
私も父の状態と、癌と、向き合ってこなかったので、本当に誰も責める権利がない![]()
もっとちゃんと知っていたら、
できることがあったかも知れないのに。
結果が変わらないのであれば、10月の抗がん剤(カバジタキセル?)はやらなくてもよかったのでは?
そのぶん、体力を残して時間と向き合えたのでは?
次の抗がん剤の予約日。
血液検査の結果が悪く、治療継続はできず、診察を受けた時に突然の余命宣告。
この時点で「余命3〜6ヶ月」とのこと。
本人、叔母、大ショック
!!!!
「先生、年じゃなくて??月ですか??」
と聞き直したらしい。
自分が死ぬと思って、治療してなかった。
ただの延命だよって、思ってなかった。
2022年11月21日(主治医より)
PSA98と上昇、腎機能の増悪、食思不振、CRP LDH高値、血小板低下。
現状は抗がん剤で効果なしの判断になります。と説明。
先生からは「これ以上、抗がん剤を続けても税金の無駄ですから」と。
「手術して10年生きたんだから、あとはおまけみたいなもの(もう十分生きたでしょ、と)」
「入院しても天井見てるだけ」と。
翌日、長男、長女(私)同席の元、病状説明。
2022年11月22日
現在までに前立腺癌に対して、手術療法、放射線治療、去勢術、抗がん剤治療、遺伝子検索まで行いましたが、現状で〇〇さんに治療効果を期待できるものはなく、癌の終末期として、疼痛の緩和や不安の除去など行う状態になります。
あとは自宅で経過をみていきたいか(往診や訪問看護など)、長期に入れる施設に入所するか、支援室に依頼する状態になります。とのこと。
仕方がない…と思ったし、もっと早く言ってほしかった…とも思った。
車椅子で、小さくなる父。
というか、受診に付き添ったことなかったから病院内を車椅子を押されて移動したり、入院中にお世話になったという病棟の看護師さんに最後の挨拶をされて、涙ぐんだりする父を目の当たりにするのが………
あー、こんなになってたんだなって。
この先どうすればいいんだろう?
父は「入院はしたくない」
在宅で…そして最後の砦としてホスピスか![]()
ここでMSWさんに紹介されたのが、短い間だったけど深くお世話になった、藤野在宅緩和ケアクリニック。
実は自分でも調べていたので、え!!地元にあるんだ…!!と知って、ケアマネさんからも本当にいい先生なので(ただ、超絶多忙)との情報があったので、ぜひお願いしたい!!と。
でも、その話。
もっともっと、早くしてくれていてもよかったよね
10月の時点で。
無駄に体力を奪うだけなら、ダメ押しでカバジタキセルやらなくても。
そうしたらもっと、体力、時間があったよね。
多分、だけど。
結局、そこから3週間足らずで、父は亡くなってしまった。
体調悪化も「週単位」から「日単位」とあまりにもスピード感、時間が無さすぎて、本人も家族も、まわりも気持ちも何もかもついていけないままだった。
だから、無理矢理自分を納得させるしかなかった。
その中で、本当に最後の最後だけでも、しっかり向き合ってくれる在宅緩和ケア医の先生と巡り逢えて、最期まで看てもらえて幸せだった。
短い期間でも寄り添ってもらえたことは、本人も、家族も幸せだったと思う。
11月22日以降の亡くなるまでの3週間のことは、また追々書けましたら。
※追々、書いてます↓![]()





