映画『21世紀の女の子』 | 「読む!ことぴよでいず。」

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学ぶ心と優しさを忘れない女優になりたいです。
ゆるくやわらかく生きる、ことりのまいにち。




わたしが大好きな山戸結希監督が企画、プロデュースをつとめています。
自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーが揺らいだ瞬間が映っていること」をテーマとして、14人の女性の映画監督が、それぞれの最高をつめこんだオムニバス形式の映画です。



映画『21世紀の女の子』が、2018年12月13日、テアトル新宿にて、はじめて映画館でかけられる。その後には、トークショーもあるという素晴らしすぎるイベントを目にしましたので、意気込んでまなざしに行きました。
本来、この映画の公開は2019年2月に予定されておりまして、今回の上映は、2月に公開されるものとは異なる「インターナショナル版」の鑑賞でした。



観ている間、
「そう、これが本当の女の子!!!
女の子の魂!!!
他の誰にも分からないわ。女の子。」

と、思いました。
抽象的な心ですみません。
映画の歴史の中で、1人1人の女の子の魂が、やっと、映し出された気がしたのです。
今は、「女の人」という題材で、映画を撮ることができる時代なのです。


この映画が公開される日が、楽しみです。
そうですよね、女の子。






多くの女性の身体には、毎月、血を流している期間がありまして、俗に生理とよばれていますね。
枝優花監督の「恋愛乾燥剤」の中に、生理の描写があったことが、当たり前のことなのに、衝撃を受けました。



汚いものとしてでも、綺麗なものとしてでも、表現されていなくて、本当にごく当たり前のこととしての表現のされ方がすごく良かった。
思えば、生理の描写がされている映画、ドラマ、ほとんど見たことがありません。なぜ?
一瞬の描写でしたが、その記憶が色濃く残っています。



また、「21世紀の女の子」には、女の子の恋愛観についても多く表現されています。
恋愛に憧れていた女の子。わたしたちが望んでいた恋愛は、こんなものではなかったのに。もっと神聖で夢にあふれていたはずなのに。
そんな気持ちがあふれていて、「そうそう...ワカル...」と思ってしまいました。全国の男の子に届け!



そして、女の子が、女の子を愛するということにも、ふれられています。
ですがそれは、女の子と男の子の恋愛の表現よりも、もっと、ゆらめいていて、どれもさわったら壊れてしまいそうな、状態をおびているな、と感じました。この社会がそういう状態だからかもしれません。
この「21世紀の女の子」が希望となっていけば良いな。



山戸結希監督の作品「離ればなれの花々へ」

めまぐるしく変わる映像。止まることなく動き続ける3人の女の子。切れることなく続く音楽、言葉。この圧倒的言葉の量。そう。これが山戸結希監督なのだ。この人にしか表現できないかたちなのだ。最高だ!と思いました。



人はみんな、女から産まれた、「おんなの子」なのだ。おんなの子。女の子。人はみんな、女から産まれた。
産まれてくる子。あまり自分に似すぎていると、愛せる自信がないから、わたしが愛したあの人に似せてください。どうか、わたしが愛したあの人に。
色の三原色、すべての始まり。色の三原色が交わると黒になる。暗い。暗い。暗い。

正確ではないですが、このような言葉が、とても印象的でした。
女の子たちがいるのは、きっと、産まれる前の世界。2人の腕でアーチを作り、1人がくぐり、産まれてゆく練習をしているかのような動きが好きでした。わたしもあのあそびの中にはいりたい。産まれ変われる、気がするの。


また2月に、映画を観に行きます。


書きたいことは多くあるのですが、あまりネタバレになってはこれから観に行かれる方に失礼ですので、抽象的な表現が多くなりました。
全ての作品が、現代なのに、未来のことのようで、これからの時代を作ってゆけると思いました。女の子、この作品のなかに、自分の消化しきれない気持ちを見つけてくれればと思います。




今回はこんなところから、まなざしておりました。



みなさんがこちらを見つめているのが恥ずかしすぎて、ズームできませんでした。片隅からまなざしていた私の気持ちになれますね。