探し物をしていたら、
12年も前に、父の27回忌に寄せて、
母が作った手作りの小冊子
『父の軌跡』
が出てきた。
亡くなる2年前に、
かつて在職した小学校に校長として戻ってきて、
鉄棒を作るのも、何かを作るのも、
楽器を直すのも、
誰よりも率先して先頭に立って
みんなが一丸となって動いていたことが、
そこここに記載してあった。
そして、1ドル360円の時代に、
オーストラリアやニュージーランド、インドネシア、シンガポール、ハワイなどを周る海外教育研修に選ばれて行ったこともあり、
とにかく、教育に対する熱意がヒシヒシ伝わってくるものがあった。
文集に寄せられた父の言葉が貼り付けてあった。
子供たちを心から思い、その親御さんたちを思い、
ただ真摯に教育と家庭とで、子供たちを見守り、本質を見極めてそれをただ伸ばして育てていく、
という意思が詰まっていた。
いま、私が伝え続けていることと、同じ思いを持って、
本当の現場でやっていたんだなぁ、
としみじみ思う。
多くの同僚や教え子や父兄、また関係者に慕われ、
頼りにされていた矢先に、
病床にふしたということ。
まだ、小さかった私は、あまり記憶にないのだが、
いつも元気でスポーツ万能で、
日曜大工で棚を作ったり、
写真も自分で暗室を作って焼いたり、
なんでも自分で作って、
とにかく何もかもが万能な父だったのだけは覚えている。
風邪もひいたことがないほど、
いつも元気だと思っていたから
突然の病魔の訪れにショックはとても大きかったんだと思う。
その軌跡には、
私が2~3歳のころの
家族旅行の写真も張られていた。
ミニのワンピースを着た自分。
母はもちろん、年の離れた姉や兄も写っている。
覚えていない。
そして、自分ではないみたい。
でも、そこに写っていた小さな自分は、
父と手をつないで、兄の横にいて、
とても幸せそうだった。
ああ、父が亡くなる前の
幼少の私は、
家族そろってとても幸せだったんだなぁ、
としみじみ涙が溢れてきた。
父がそろった家族生活10年のうち、
ほぼ2年は病床だったから、
8年くらいは一緒に過ごしたことになる。
亡くなってからは、
母のありがたいサポートに支えられて、
いまの自分があるわけだが、
それとはよそに、私にとっては、亡くなってからはずっと、精神的に暗黒の時代だったと、体感して生きてきたような気がする。
片親、というレッテル。
経済的には、本当に母のおかげで引け目を感じたことは一度もなく、
ありがたく過ごさせてもらってきたのだが。
家族も、高校から越境して下宿生活をしていた姉兄とは、同居した記憶もないし、
そのせいか、家族も希薄な関係だなぁ、とずっと思い続けてきた。
いまの学びと、生涯の使命である、
ほんとうの道にたどり着くまでは。
長年の暗黒時代にもがいてもがいて、
動いて動いて動き続けたからこそ、
出会うことができた、
尊い師と真理の学びのおかげて見つけた、ほんとうの道。
過去の暗黒時代さえも、
そのために必要な体験の連続だったことに気づく今。
長く長く、途中で何度もくじけそうになったけれども、
たどり着けた奇跡に
感謝しか出てこないのです。
幼い私を残しておいていくことに、父はどれだけ心残りだったでしょうか。
心配で心配で仕方なかったのではないでしょうか。
しかし、何十年も経た今、
乗り越え続けて、ほんとうの道にたどり着き、
迷いなく、進むだけだという人生になった私を
やっと安心して、微笑ましく見守っていることでしょうね。
まだまだこれから。
自分のほんとうの道を実践し続けて、
1人でも多くのところに、波が届いていくように、
使命を全うしてまいります。
ありがとうございます。
これまでのこと、許してください。
至らなかった過去を、懺悔します。
ありがたき極みなりき。