前回は、急がない・焦らないこと、
責任を問わないことなど、
ある程度の余裕を持つことがケアには必要ではないか、という話でした。
これは、ネガティブ・ケイパビリティにも通じるところがあります。
対義語は、ポジティブ・ケイパビリティ。
問題解決や、効率、生産性を重んじて、
如何にに早く、正確に、より多くの結果を生むかという、能力です。
日々の生活で求められる能力であり、
これによって、人の価値が評価されているといっても過言ではありません。
対して、ネガティブ・ケイパビリティは
焦って答えを出そうとせず、
曖昧で不安な、わからない状態に耐え、
本質に迫り、深い理解を求める能力とされます。
生命の尊厳とは何か、
必ず死ぬのに、なぜ生きるのか、
死ねばどうなるのか、
などの深くて重い問いに向き合う、寄り添うためには、
ポジティブ・ケイパビリティから、スイッチを切り替え、
ネガティブ・ケイパビリティを意識する必要があるのだと思います。
そういう支え、ケアは、相互性があり、
自利利他のケアと言えるのではないでしょうか。
東京工業大学の、未来の人類研究センターで、
「利他」とは何かについて研究している伊藤亜紗氏は、
利他は、自利を伴うはずであると述べています。
「他者の潜在的な可能性に耳を傾けることである、という意味で、
利他の本質は他者をケアすることなのではないか、と私は考えています。
ただし、この場合のケアとは、
必ずしも「介助」や「介護」のような特殊な行為である必要はありません。
むしろ、「こちらには見えていない部分がこの人にはあるんだ」という
距離と敬意を持って他者を気づかうこと、という意味でのケアです。
耳を傾け、そして拾うことです。
ケアが他者への気づかいであるかぎり、そこは必ず、意外性があります。
自分の計画とおりに進む利他は押しつけに傾きがちですが、
ケアとしての利他は、大小さまざまなよき計画外の出来事へと開かれている。
この意味で、よき利他には、必ずこの「他者の発見」があります。
さらに考えを進めてみるならば、
よき利他には必ず「自分が変わること」が含まれている、ということになるでしょう。
相手と関わる前と関わった後で自分がまったく変わっていなければ、
その利他は一方的である可能性が高い。
「他者の発見」は「自分の変化」の裏返しにほかなりません。」
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特に、終末期などで、生きる意味や、生命の尊厳とは何か、などが
問題になる場合、
本来、問題があること自体は、いいとも悪いもありません。
にもかかわらず、「もう生きる気力がわかない」などの
訴えがあると、
「なんとかしなくちゃ」と焦り、
援助者側が、過剰に動揺してしまいがちです。
問題を解決できないと、援助者としての無力感に襲われるからかもしれません。
しかし、生きる意味や生命の尊厳とは何か、という大問題は、
そんな簡単に解決できるものではありません。
そして、どう対応したらいいかわからない無力感に、
最も苦しんでいるのは、患者さん本人のはずです。
それなのに、その不安やわからなさに、援助者が先に耐えられなくなり、
中途半端な答えを出してしまうと、問題に正面から取り組めなくなってしまいます。
「自分がこの人をなんとか助けなくちゃ」
という気持ちは大切かもしれませんが、
意気込みすぎると、空回りしがちです。
患者の苦しみを理解したい、少しでも寄り添えたらいい、
くらいの気持ちでいた方が、お互いに気持ちが楽になり、
互いに学ぶこと、得ることがあるのかもしれません。
一方的なケアにならないよう、
互いに尊重しあえる関係を大切にしたいと思います。