【死ぬ瞬間 キューブラ-・ロス】 「自分が死ぬことはあり得ない」と思うと、理解できないことがある | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味

「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にできない悩みに寄りそうためにも、哲学、文学、死生学、仏教、心理学などを学び、自分自身の死生観を育んでいきます。

40年以上にわたって、
10000人を超える人たちの最期を看取った死の専門家、
精神科医、エリザベス・キューブラ-・ロス。

彼女が自身の医療活動を始めようとした時、病院が死に掛けている患者を扱う態度に、愕然とさせられる。そこで、病気の患者をどう扱うべきなのかという一連の講義を始めた。これが、1961年の死と死ぬことについての講義につながっていく。1963年には、コロラド大学で精神科医の単位を取得している。1965年からシカゴ大学医学部に移り、臨床的な研究を発展させた。彼女は、死をテーマにして20冊もの本を書き、世界各地で数多くの講演などを行った。1974年から1996年の間にそれらの業績に対して、複数の大学、単科大学から20の名誉博士号を授与されている。

  (wikipedia エリザベス・キューブラー=ロスより)



死を語る言葉の「重み」が違います。


■死ぬ瞬間 E・キューブラ-・ロス

1.死の恐怖について

過去を振り返り、昔の文化や人間を研究してみて驚くのは、
はこれまで人間にとってつねに忌むべきことであり、
今後も常にそうであり続けるだろうということである。

精神科医の立場からすると、それはよく理解できる。
そのような考え方がどこから生まれるかといえば、
私たちは無意識のうちに
「自分にかぎって死ぬことは絶対にあり得ない」
という基本認識をもっている
からだ。

私たちの無意識は、自分の命が本当にこの世で終わるとは思っていない。
自分の命が終わらなければならないとするなら、
それはつねに他人による外部からの悪意ある干渉のせいだ。
簡単にいえば、私たちの無意識にとっては、
死ぬのは殺される時だけであり、
自然現象や老齢のために死ぬなんて考えられないのだ。

そのために、死は、
それ自体が報いを招くような悪い行い、恐ろしい出来事を連想させるのである。

右のような基本的な事実を知っておくことは、
患者が私たちに伝えようとしている
もっとも重要なことを理解するのに不可欠
である。

この点をしっかり念頭におかなければ、
患者が何を言おうとしているのか理解できないだろう。



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徒然草の155段にも、同じような言葉がある。

四季は、なほ、定まれる序あり。
死期は序を待たず。
死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る


いつやってくるか、分からない。

前から来れば、意識もして、準備もできるかもしれないけれども、

後ろから来られたら、いつ来るか分からずに、突然来たようにしか思えない。

いつか必ず死なねばならないと、頭では分かっていても、

そんな日が自分に来るとは、思えない。

死は常に他人事であり、未来の出来事にしか感じない。

ついに行く 道とはかねて 聞きしかど
  昨日今日とは 思はざりしを

 (古今和歌集 在原業平)



死にゆく人は、

不幸な、可哀想な、不憫な人であり、

それは何かの報いか、不運な出来事か、世の定めか・・・。


でも、それは他人事ではなくて、自分のこと。

遠い未来の出来事ではなくて、今晩にでも起きうること。


大切な人の、最後のメッセージを聞こうとするかしないかは、

自分自身と向き合うことと同じ事のように思います。




【光に向かって100の花束】
 こうまでしてくださらないと分からぬ私でありました


【スティーブ・ジョブズ 伝説のスピーチ】
 人生の罠を避け、真に重要な決断の基準になる唯一のこと


【救いとは何か 山折哲雄×森岡正博】
 多くの人が気づいているのに、誰もが避けて通ろうとする問題