自己肯定感について考えるうえで、
精神分析家のメラニークラインが提唱した、抑うつポジションが参考になります。
■自己肯定感とは
自己肯定感とは、
「自分は自分でいい」
「いいところも、そうじゃないところも含めて、自分なんだ」
と受け入れられる感覚です。
自己否定しすぎない感覚。
よくある誤解は、
「頑張らなくてもいい、ダメなところを直そうとしなくてもいい」と、放置や放任・ネグレクトのような印象を持たれたり、
「自己肯定感が低い自分は、何をしてもダメだ」と、評価の一つのように受け止めてしまうこと。
自信は、「能力の自信」と「存在の自信」に分けて言われることもありますが、
自己肯定感は、後者の「存在の自信」に相当します。
「能力の自信」は、
できるできない、勝ち負け、優劣の世界で生き抜くための能力や経済力、学歴など、
相対的な自信、誰かと比べることで得られる自信、ナンバーワンを目指す自信です。
「存在の自信」は、
できてもできなくても、勝ち負けなどの結果よりも本人なりの努力やプロセスを重んじて、
誰かと比べるのではなく「その人なり」の頑張りを認め、その人らしさ、いてくれること、一緒にいられること、
オンリーワンであることを尊重する自信。
この「存在の自信」としての自己肯定感、
すごく楽とか、幸せにあふれているとか、そういうイメージを持つ人もいますが、
そうでもありません。
なぜなら、人は生きていくこと自体が結構大変であり、
不安材料はそこら中にあふれていて、山あれば谷があるからです。
自己肯定感は、気持ちの波が生じないことではなく、
波があっても大きく沈むことなく、浮いていられる状態ともいえます。
■抑うつポジション
メラニークラインの「抑うつポジション」が、自己肯定感と関係するのは偶然ではありません。
この「抑うつポジション」における乳幼児期の心的発達を参考にして、のちにボウルビーが「愛着理論」を提唱したとされるからです。
抑うつポジション → 愛着理論 → 自己肯定感
とつながった概念なのだと思います。
抑うつポジションの「抑うつ」とは、
現実を受け入れることによる、万能空想の喪失に伴う「抑うつ」ということです。
それまでは、なんでも自分のいうことを聞いてくれる、あるいは何でもできる万能で完璧な親だと思っていたのが、
実は、親も一人の不完全な人間で、なんでも自分の願いを叶えてくれるわけじゃないし、親も失敗するし、できないことも色々ある、ある意味で「幻滅」することで、現実を知っていく、受け入れていくことになります。
部分だけ見ていたのが、全体が見えてくる、とも言えます。
それは、自分自身も不完全な人間であり、できることもあるけどできないこともある。
万能空想を抱いていると、不満が生じたときは他責的になります。
相手に過度な期待があると「なんで自分のことをわかってくれないんだ」と相手を責めたり、
自分の思い通りにいかないことに耐えられず、「なぜうまくいかないんだ」「誰が邪魔してるんだ」と人のせいとしか感じられません。
しかし、万能空想が崩れてくると、
相手も自分も、不完全で、無力なこともあるけど、
悲しいけれども、現実はそういうものなんだと受け入れられるようになってきます。
「如何に親しい間柄でも、違う人間だし、なんでもかんでも通じるわけじゃないんだな」
「言葉でいわなければ伝わらないよね」と、通じなさ、不都合さに適応していくようになります。
それは、自分のことは自分で責任を持つことになる、ということでもあります。
自己肯定感は、自分にとって不都合な現実も受け入れつつ、
それでも「自分自身の存在」を肯定できることですが、
それはそれで悲しいこともあり、抑うつ的な部分もあるということです。
■罪悪感
うまくいかないことがあっても人のせいにしない、他罰にしない、
自分の責任のもとにおくということは、
愛と憎しみの葛藤に耐える、ことでもあります。
「心の痛み/心的疼痛 psychic pain」とか、「抑うつ的な痛み depressive pain」という言葉もあります。
生きていく上で、出会いや別れ、老い・病い・死などの喪失は避けられません。
そういった喪失に対する無力感、絶望なども、「抑うつ不安」であり、
ある意味で、健康だからこそ生じる感情だとされます。
抑うつ不安が生じる背景には、自分の不完全さの感覚があります。
どんなに頑張っても手に入らないことがある、不可能なことがある、という限界を知ることであり、
これは万能感の喪失あるいは放棄でもあります。
これは、期待に応えられない自責感、
思い通りにいかず、やけになって怒りや愚痴、不平不満をまき散らしたくなるなど、たとえ言動に表さなくとも、
心の中で荒れ狂い、暴れまわる自分に対する罪悪感にもなってきます。
自分自身の心を見つめていくと、こういった弱い、醜い、愚かな心が見えてきて、
悲しいけれども、それらの心はなくならないということも、認めざるを得ません。
■自己肯定感を深める
自分のいいところも、至らぬところも肯定する、という作業は、
簡単ではないどころか、多くの葛藤や悩みを伴うものです。
幼い子供のうちは、
失敗したり、いたずらしても、親から「そんなあなたも大好きだよ」と言ってもらえると、
全てを受け止めてもらえて、それこそ「万能感」の中で自己肯定しやすいのですが、
成長とともに、
次の自己肯定感の段階に進むことになります。
自己肯定感を育む作業は、
失敗や不可能さ、不都合さ、理不尽さなど、様々な現実と向き合い、
無力感や罪悪感、自責感、悲哀など、様々な感情を受け止めることになります。
そのため、自己肯定感は「高める」というよりも「深める」という表現の方がしっくりくるような気がしています。




