いつもご訪問ありがとうございます。
先日、こんな質問を受けました。
「いままで一番“キツイ”と思った
言葉はなんでしたか?」
“キツイ”言葉とは
「言われてショックを受けた言葉」のこと。
なぜそんな質問を?
理由は、その人が実際に凹む言葉を
受け取ってしまったから。
質問に答える形で、
今日は私の話をいたしますね。
長文ですよ…と最初にお断りしておきます。
40代後半、私はことだま師®として活動する前は
主にグラフィックデザイナーの夫の
サポートとして、コピーライターを
していました。
その頃のことは少しプロフィールページにも
書きましたが、詳しくは書いていないので
今日ここで…。
キツイ言葉とは
たいして努力もしていないのに仕事があっていいですね!
という言葉でした。
いかがですか?
妙な笑いでごまかしましたが
気持ちはこの状態
夫がいるから仕事ができている。
それはわかっていたのですが、
こうまであからさまだと…ね。
この人もその頃はきっとつらかったのだと思います。
私がやっていた努力なんてたいしたことないって
きっとそう見えていたのかもしれません。
私にも甘いところがあったのかな?
人には人のこと、わかりませんからね。
(この人とはもうお付き合いが無いので、会うことは
無いでしょう。もしかしたら忘れているかも)
私の中に残った感情は怒り以上に
否定ベクトルが自分に向いて。
『たいして努力してもいない私』
『たいしたことない私』
『そんな私はダメに違いない』
という自己否定へと。
あれは名前のことだま®と出会う前のこと。
この自己否定沼、けっこう深かったですね。
1年、いや2年、おりに触れて
脳裏をよぎり沈みました。
いや、なかなかにしんどかったです。
広告の世界にはそれまで縁もなく
もちろん勉強はしましたが、
長くその仕事についている人に対して
引け目もありましたし、バシッと
自己否定のスイッチが入ったのでしょうね。
そんな時、偶然出会えたのが
後に私を引き上げてくれる
「名前のことだま®」だったのです。
受講動機は、ひらがなの意味が分かるという
ユニークさへの好奇心だけではなく
「何か私にも努力できることはあるのか、
あの人と違うことでなんとかしたい」という
焦りが大きかったわけです。
藁をもつかむ…感覚とはこのこと。
しかし講座で学んだこと、知ったことが
私を沼から引き上げてくれました。
一音一音の意味は「名前」の大切さや
その人のアイデンティティの証明であり、
「誰もが使命を持った一人の人である」ことを
教えてくれる古来から育まれた和の知恵。
学ぶ前「ひらがな」は単に「ひらがな」と捉えて
いましたが、実に意味深いものでした。
私のアイデンティティはここにある
「私は私でいいじゃないか
人の言葉に左右されるより
名前とともに私の道を歩んでいこう」
学びながら、実践しながら徐々に
自分を取り戻すことができていったのです。
一日二日のことではありませんが、
確実に自分の存在を取り戻すことができました。
ことだま師®︎になろう、私と同じように
自己否定沼に沈む人が浮かび上がれる
きっかけを伝える人になろうと望んだのも、
当然の流れでしたね。
あの時の私に「大丈夫!名前の
ことだま®︎と出会えるから!」って
言いに行ってあげたいものです。
いまの私は、仕事もコーラスも楽しみ、
こうして楽しい仲間にも恵まれています。
これからも「ことだま師®」として、講師として
「ことだま」とともに学びながら歩んでいこうと
決めているのです。
この話をしましたら、質問者の人は
「それ、めっちゃ腹立つ!」って
言ってくれましたよ。
まあ、そうですよね(笑)
最後に大事なことをもう一つ。
「言葉は心を込めたときに
ことだまとなる。
心からの言葉を届けるならば
相手の心情に寄り添い、思いやりを忘れずに。
それでこそ、ことだまは相手に
響き、その人の幸せにつながる」
人間だから「言わなきゃよかった」なんて
こともおこります。
だからこそ、心にとめておきたい。
「ことだま」の意味なのです。
いかがでしたか?
それしきのこと!と思いましたか?
それとも「腹立つ~」でしたか?
もしあなたが「たいしたことない私」に
陥っているとしても、大丈夫!
一人ひとり、名前がある限り
素晴らしい使命を持った一人の人ですよ。
顔を上げて笑っていきましょうね!