立秋 | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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 今日(8月7日)は、立秋である。

 今日から、暦の上ではである。

 手元の歳時記も、夏の部から秋の部へと取り換えた。

 とはいえ、相変わらずの猛暑で、という実感はない。

 

 せめて詩歌の世界だけでもを味わおうと思い、古今和歌集をめくってみた。

 巻4、秋歌上の巻頭は、藤原敏行の有名な歌である。

 

  秋立つ日よめる          藤原敏行朝臣

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

                      (169)

 

 秋歌上の巻頭の5首は、すべて秋の風を詠んだ歌である。

 当時の人は、まず風の音秋の訪れを感じたのである。

 

 わたしも風の音に耳をすませてみたが、残念ながらは感じられなかった。

 聞こえてくるのは車の音や町の喧騒ばかりである。

 夕方は豪雨と激しい雷鳴で、秋風の音どころではなかった。

 古今集の頃の日本と同じ国とは思えない。

 古今集源氏物語などがなかったら、わたしたちは日本古来の秋を感じることはできなかったであろう。

 

 古今集秋の歌といえば、この歌もわたしの好きなもののひとつである。

 

  題知らず             よみ人知らず

木の間より漏り来る月の影見れば心尽くしの秋は来にけり

                   (巻4・184)

 

 源氏物語須磨の巻にも引かれている名歌である。

 引用しておこう。

 

 須磨には、いとど心づくしの秋風に、海はすこし遠けれど、行平の中納言の、関吹き越ゆる、と言ひけむ浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。

 

 こうしてパソコンに打ち込みながらも、ため息が出るような名文である。

 今夜は月も見えず、秋風の涼しさも感じられず、秋らしさとはまだ程遠いけれど、平安貴族が書き残してくれた歌や物語の世界では秋を感じることができる。

 言葉の力である。

 

 秋の名歌を一首、詠んでから死にたいものである。