日曜日は、朝日歌壇である。
今日(9日)の右上の特等席は、山添聖子さんであった。
馬場あき子氏選、第1席である。
昨年は明朝体の人だった今年はゴシック体の担任
(奈良市 山添聖子)
馬場あき子氏は、次のように評している。
第一首は学校の新年度担任の発表。ナイーブな明朝体を書く先生から、個性的なゴシック体の字の先生へ。個性への想像が働く面白さ。
この解釈は、わたしと違っていた。
馬場あき子氏は、「明朝体」「ゴシック体」を先生が書いた字だと理解された。
わたしは最初に読んだとき、先生その人の様子を「明朝体」「ゴシック体」に例えたのだと理解した。
昨年の担任は繊細で几帳面な人、今年の担任は力強くはっきりものを言う人、というふうに。
先生の人間性を書体で例えたと考えた方が、山添聖子さんの歌らしい気がするのだが、どうだろう。
あるいは、担任の先生の容姿かもしれない。
昨年の担任は、瘦せていて端正な人、今年の担任は筋肉質で体格が良い人、と。
どの解釈が正しいのだろうか。山添聖子さんに聞いてみないとわからない。
しかし、勝手に「明朝体」の先生と「ゴシック体」の先生を想像してみるのも正しい。
草書体の先生や楷書体の先生もいそうである。
先日、三者面談で娘の担任の先生に会った。
達筆でもなく悪筆でもない、平凡な手書き文字のような人であった。
わたしは書体に例えると何だろう。
自分では楷書体だと思っているが、ひとからは悪筆のくせ字だと思われているかも知れない。