『沙石集』に、こんな笑い話がある。
あるケチな男が虫歯を抜いてもらうために歯医者にいった。
歯医者が1本2文だ、というと、男は1文に負けろ、という。歯医者は断るが男は食い下がる。
結局、2本で3文で歯を抜くことで、両者は納得した。
男は、虫歯1本と虫歯でない歯1本を抜いてもらい、3文払って喜んで帰っていった。
1本あたり1.5文で治療できたのだから、25%引きであり、一見、得したように見える。
しかし、虫歯1本の治療に3文支払い、その上健康な歯まで失ったのだから、大損である。
目先の利益だけ考えて損したことに気付いていない、という笑い話である。
ばかばかしい話のようであるが、実はわたしもときどき、この男と同じ、愚かな行動をしている。
文房具はだいたい百円ショップで買うことが多いのだが、損をすることが多い。
先日、授業で使う三色ボールペンを買った。
3本で100円のものを買って、安かったと喜んでいたのだが、すぐにインクが出なくなった。
改めて1本100円のものを買って使っている。こちらはよく書ける。
結局、200円で書ける三色ボールペンと書けない(つまりゴミだ!)ボールペンを3本買ったことになる。
最初から1本100円のものを買った場合と比べると、2倍の出費である。
この男に、「安物買いの銭失い」という諺を教えてあげなければならない。
食料品も、安い大容量パックを買って、食べきれずに捨ててしまうことがある。
スーパーで玉ねぎが、3個150円、10個300円で売られていた。
1個あたりの値段は、前者が50円、後者が30円で、4割も安い。
もちろん、10個300円のほうを買った。
しかし、5個しか使い切れず、残った5個を腐らせてしまった。
消費した玉ねぎは、5個で300円ということになる。
1個60円ということになり、3個150円の袋を買った方が得であった。
食べ放題が好きで、ときどき行くが、考えてみれば損している。
元を取るために目一杯限界まで食べるのだが、途中から苦しくなり味が分からなくなる。それでも食べ続けてしまう。
お金を払って苦しい思いをしているのだから、まったく得になっていない。
その上、食べ放題の後は体重が増えているので、元に戻すためにしばらく食事を制限しなければならない。
食べる楽しみが減っている。
これで成人病にでもなって病院の世話になるようになったら、大損である。
健康な歯を失った男のことを笑えない。
食べ放題は、トータルで考えると損になっている。
それなのにやめられない。
18世紀にイギリスの経済学者ベンサムが提唱した功利主義という理論がある。
人間は常に利益や快楽が最大になるように行動するから、それらを関数にすれば人間の行動を論理で説明できる、という考え方である。
ベンサムが快楽を量で捉えたのに対し、快楽の質を分析の対象に導入したのが、同じイギリスの経済学者、ミルである。
この、ベンサムとミルが提唱した功利主義という理論は、現実社会に適用してもうまくいかなかった。
あたりまえである。
人間は、常に利益や快楽を最大化する行動ができるほど利口ではない。
上に挙げた、ケチな男やバカな国語教師の行動を見れば明らかである。
『沙石集』に描かれた人間の愚かさは、700年後の進歩したはずの人間にも、しっかりと残っている。
人間の本質は変わらないのである。
わたしたちは、古典から何を学べばよいのだろうか。