一昨日(4日)の朝日小学生新聞「天声こども語」は、長塚節の代表作「土」のことを書いていた。
こんな趣旨である。
茨城の農家の悲惨な生活が書かれており、文壇には「読む必要がない」という声があった。
しかし夏目漱石が、「私にも誰にも書けない。こうした事実を知ることは参考になる。娘が年ごろになったら読ませたい」と評価した。
夏目漱石は若い人たちに対して面倒見がよいことで知られている。
近代文学史に名を残す作家で漱石の助力で世に出た人は多い。
長塚節もそのひとりである。
「土」は漱石の責任で東京朝日新聞に連載された。
「土」が出版されたとき、漱石は序文を書いている。
「天声こども語」も、その序文に拠っている。
この序文が、面白い。
漱石は「土」について、「私にも誰にも書けない」と記しているが、「文を遣る技倆の點や、人間を活躍させる天賦の力を指すのではない」と断っている。
決して上手い小説ではないのである。
漱石が評価したのは、農民でなければ知り得ない生活の苦しみをありのままに描いた点である。
漱石は、「決して面白いから讀めとは云ひ惡い」とも記している。
正直な人である。
依頼されて書く本の序文に、上手くもないし面白くもない、とは、普通書けない。
漱石は、上手くもなく面白くもないが読まなければならない、と、この作品の価値を信頼しきっているのである。
この漱石の序文を、信じたい。
漱石は、読むのに苦労する、とも書いている。
実はわたしは、長塚節の「土」をまだ読んでいない。
読んでみようと思う。
面白いから讀めといふのではない。苦しいから讀めといふのだと告げたいと思つて居る。參考の爲だから、世間を知る爲だから、知つて己れの人格の上に暗い恐ろしい影を反射させる爲だから我慢して讀めと忠告したいと思つて居る。何も考へずに暖かく生長した若い女(男でも同じである)の起す菩提心や宗教心は、皆此暗い影の奧から射さして來るのだと余は固く信じて居るからである。
漱石にこうまで言われたら、読まないわけにはいかない。