2月4日の朝日歌壇に、蜂巣厚子さんのこんな歌が選ばれていた。馬場あき子氏選第9席である。
植木鉢退かせば大きなカメムシが昼寝してゐた小晦日かな
(戸田市 蜂巣厚子)
不思議な魅力のある歌である。
この歌の魅力はどこから来るのか。
そもそもカメムシという奴は、歌になる虫ではない。
わたしは一度もカメムシを詠もうと思ったことはない。
カメムシを詠んだ歌も、見たことがない。
詩情に訴えかける要素は、何一つ持ち合わせていない虫である。
わたしなら、植木鉢の下にこの虫を発見したら、すぐにつまんで捨てる。
冬に植木鉢の下でじっとしているカメムシがいたら、それは「冬眠」中である。
絶対に「昼寝」ではない。
それを「昼寝してゐた」と言い切ったところに、とぼけた味わいがある。
事実の通り「大きなカメムシが冬眠してゐた」と詠んだら、面白くもなんともない歌である。
「昼寝」でなければ、いけない。
結句の「小晦日」も、上手い。
おそらくカメムシは、今日が小晦日だなんてことは知らない。
ただ、植木鉢の下で冬眠していただけである。
しかし、「昼寝してゐた小晦日かな」と言われると、なるほど、大晦日は忙しくて昼寝しているヒマはないから、今のうちに寝ておいたほうがよさそうだ、と、カメムシに感情移入してしまう。
このカメムシ、翌日は朝から大掃除をしたり正月の御膳の準備をしたりして忙しく働きそうである。
カメムシの「昼寝」が、「小晦日」とうまく響き合っている。
蜂巣厚子さんは、どうしてそんなことを思いついたのだろう?
きっと、そういう人柄なのだろう。
蜂巣厚子さんは、わたし宛ての私信で、この歌が生まれた背景をこのように教えてくれた。
カメムシ、大掃除で植木鉢を退かしたらいて!!
「こめんなさい!!」という感じでした。
カメムシに「ごめんなさい!!」と思う人は、あまりいないと思う。
なるほど、この「ごめんなさい!!」の気持ちがないと、この歌は詠めない。
この歌の根底には、カメムシに対する思いやりや共感があるのである。
この心情は小林一茶に近い。と思う。
一茶の代表作、「やれ打つな蝿が手をする足をする」も、ハエへのシンパシーによって生まれた句である。
ハエはうっとうしい、汚い、と思っている人間には詠めない。
一茶にはこんな句もある。
通し給へ蚊蝿のごとき僧一人
我が身を「蚊蝿のごとき」人間と思っていたのである。
一茶には「蝿」「虱」「蟻」などの虫や、「蛙」「雀」などの小さく弱い生き物に心を寄せた句が多い。
それらを人間より下等な生き物として見下す気持ちが、まったくない人である。
蜂巣厚子さんの「ごめんなさい!!」にも、一茶に通じるものがあるのではないか。
わたしは虫が嫌いでも苦手でもないが、それでもカメムシを見ると、真っ先に、臭い、と思ってしまう。
カメムシに対して失礼な話である。
臭い、という気持ちも、自身の実感ではなくただの知識に過ぎない。
固定観念や思い込み、先入観から一歩も踏み出さず、自分の五感で向き合っていない。
これでは良い短歌も俳句も作れるはずがない。
今度カメムシに会ったら、真っ白な気持ちで向き合ってみようと思う。
少しは歌がうまくなるかもしれない。
蜂巣厚子さんは、夫君や妹さんから「いきものがかり」と言われているそうである。
確かに、生き物を詠んだ歌に、独特の味わいがある。
昨年11月5日、馬場あき子氏選第1席の、
秋の日や荒川沿いの遊歩道小亀一匹センターを行く
も印象に残っている。
次回はどんな歌を詠んでくれるか、楽しみである。