屋久島は、白神山地とともに日本で最初に世界自然遺産に登録された所である。
縄文杉をはじめとする、樹齢千年を超える杉の巨木を有する自然の森は、地球の宝である。
その、屋久島の森の大部分が国家の手で伐採されていたことを、わたしは知らなかった。
『もうひとつの屋久島から 世界遺産の森が伝えたいこと』(武田剛著、フレーベル館)を読んだ。
著者の武田剛氏は、朝日新聞記者として南極や北極圏を取材したあと、屋久島の自然に魅せられ、新聞社を退社して独立し、屋久島に移住したジャーナリストである。
本書は、武田氏が屋久島移住後に知った、世界自然遺産に登録されるまでの屋久島の自然の危機と、国家と戦い屋久島の森を守った島民の記録である。
1603年に江戸時代に江戸時代が始まると、屋久島は薩摩藩に支配されるようになった。
屋久島の杉は材木として価値が高かったため、薩摩藩は島から年貢として供出させ、他藩に売って財源とした。
明治維新後は国有林となり、国家によって伐採が進められた。
日中戦争、太平洋戦争中は資材不足から大量に伐採され、戦後は復興のためにやはり大量に伐採された。
チェーンソーで森を丸坊主にする「皆伐方式」で、森はどんどん失われた。
屋久島の原生林としての価値が認められたのは、1966年に岩川貞次さんが縄文杉を発見してからである。
樹齢数千年ともいわれる杉の巨木は、世界に類を見ない貴重な自然遺産であった。
屋久島の自然を守るために、1969年に二人の元島民が伐採反対運動を始めた。
屋久島の住民の多くは杉の伐採により生計を立てていたため、反対運動に賛同する人は少なかった。
政府は申し訳程度に一部の森を保護地域に指定したが、それ以外の地域では伐採を続けた。
1973年に「屋久島を守る会」が結成され、町議会が「屋久杉原生林の保護にかんする決議」を議決し、林野庁に伐採の中止を求めた。
その後、島西部の「植生の垂直分布」の価値を訴えたり、記録映画の上映を行なうなどの運動が続いたが、伐採が中止されることはなかった。
台風による大雨で集落が被害を受け、その原因が森林の伐採にあるとして国を訴えた裁判でも、国の責任は認められなかった。
「屋久島を守る会」の根気強い運動が実り、国が伐採中止を決定したのは、1982年のことであった。
1993年に屋久島が日本初の世界自然遺産に登録された。
以上が本書によって知った、屋久島が世界自然遺産に登録されるまでの歴史である。
二人の元島民が反対運動を始めてから自然遺産登録までに24年の歳月がかかっている。
何度も撥ね返されながら諦めずに続けてきた反対運動がなければ、今頃屋久島は世界自然遺産どころか、はげ山だらけの無残な島になっていただろう。
国家は、並大抵のことでは民の声に耳を傾けないのである。
国家にとって大切なのは、自然よりも経済なのである。
それでも地道な反対運動を続けて屋久島の森を守った人々の行動に、わたしは勇気づけられた。
ぜひ、子どもたちにも読んでもらいたい本である。
現在、国家の手によって沖縄の辺野古の海の埋め立てが進められている。
政府が国民の声を聞かないのは、屋久島のとき以上である。
辺野古は、軍事と日米関係も関わっているので、ことは複雑であり、国民の反対運動によって止めるのは難しいかもしれない。
国民が国家から国土を守るのは、簡単なことではない。