エサ用のメダカ ――朝日歌壇から―― | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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 日曜日は、朝日歌壇である。

 今日は、奈良市の山添聡介くんの歌が入選していた。

 

エサ用のメダカは一ぴき十五円食べられる日を知らずに泳ぐ

          (高野公彦選第10席、永田和宏選第1席)

 

 永田和宏氏は【評】に次のように書いている。

 

聡介君、エサとして買ってきたメダカが無心に泳いでいる。食べられる日も知らないでと気づいたとき、それぞれの命を実感した。

 

 すべての生き物は、他の生き物のを食べて生きている。

 それが生き物の宿命である。

 かわいそう、などと言っていたら、生きていけない。

 

 野生の生物は、捕食する生き物に値段をつけない。

 ライオンが、今日はいくらのウサギを食べた、昨日はいくらのシマウマだった、などと考えることはない。

 人間の世界では、物と貨幣を交換するから、一つ一つのものに値段が付く。にも値段が付く。

 聡介君が見たメダカは、1匹15円だった。

 物の値段は需要と供給の関係で決まるものであり、命の重さとは関係がない。

 15円で買われてエサになるメダカは安くてかわいそうで、1億円で買われるマグロは高くて幸せか、といえば、そんなことはない。

 15円でも1億円でも、が売られることに変わりはない。

 

 だから山添聡介君は、メダカがエサにされてかわいそうだ、とも言わないし、安く売られてかわいそうだ、とも言わない。

 ただ、エサ用のメダカが15円で売られ、食べられる日を知らずに泳いでいる、という事実を客観的に詠んだ。

 メダカがエサになることを、無邪気に、かわいそう、と思うほど、もう聡介君は子どもではないのである。

 

 「命」に向き合った、いい歌である。