「新語・流行語大賞」が発表された。
今年の大賞は「アレ(A.R.E)」であった。
この「新語・流行語大賞」とは、主催者によれば次のような趣旨の賞である。
この賞は、1年の間に発生したさまざまな「ことば」のなかで、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた新語・流行語を選ぶとともに、その「ことば」に深くかかわった人物・団体を毎年顕彰するもの。
この説明によれば、「ことば」を対象とする賞であるが、ノミネートされたものを見るとかならずしも「ことば」が対象になっていない。
今年は、以下の言葉がノミネートされていた。
「憧れるのをやめましょう」「あれ(A.R.E)」「X(エックス)」「推しの子/アイドル」「OSO18/アーバンベア」「5類」「10円パン」「スエコザサ」「生成AI」「チャットGPT」「2024年問題/ライドシェア」「ひき肉です/ちょんまげ小僧」「藤井八冠」「観る将」「闇バイト」「Y2K」
これらの中で「ことば」そのものが大衆の話題になったのは、「憧れるのをやめましょう」と「あれ(A.R.E)」だけである。
それ以外は、「ことば」でなくその「できごと」が話題になったものである。
例えば「チャットGPT」。
AIがあたかも人間のような受け答えをしたり文書を作成したりするという「できごと」に衝撃を受けたのであり、「チャットGPT」という「ことば」そのものには何のインパクトもない。
「10円パン」も同様である。「10円パン」がはやったのであり、「10円パン」という「ことば」がはやったのではない。
「憧れるのをやめましょう」と「あれ(A.R.E)」を除けば、このリストは「流行語」大賞ではなく、「流行」大賞である。
「憧れるのをやめましょう」は、大谷翔平の言葉そのもののインパクトが話題になった。
侍ジャパンがメジャーリーグに憧れるのをやめた、という「できごと」そのものだけならば、これほど話題にならなかったであろう。
「アレ(A.R.E)」もしかり。
阪神が優勝したという「できごと」が話題になったのではなく、その優勝を岡田監督が「優勝」と言わず「アレ」と言い続けた、その言葉が話題になったのである。
「アレ(A.R.E)」が大賞に選ばれてよかった。
審査員は「新語・流行語大賞」の趣旨をきちんと理解していたようである。
このように、「ことば」が「できごと」そのものであるように誤解されて用いられることは、珍しいことではない。
言葉を商売道具にしている身としては、気にせずにいられない。
例えば、好きな言葉は何ですか?、という問いがある。
多くの人が、「努力」です、「友情」です、「平和」です、などと答える。
質問と答えがかみ合っていない。
「努力」と答えた人は、本当に「努力」という言葉が好きなのか。そうではあるまい。
「努力」という行為、すなわち「努力」そのものが好きなのである。
「友情」も「平和」も、その気持ちや状態が好きなのであり、「ことば」が好きなのではない。
では、好きな言葉は何ですか?、という問いにはどのように答えるのが正しいか。
わたしは、「日本語です」と答える。
日本語のおかげで、『源氏物語』や『古今和歌集』を楽しむことができるのである。
英語に訳された『源氏物語』には、日本語の『源氏物語』と同じ味わいが感じられない。
日本語でよかったと思う。
わたしの好きな言葉は、「日本語」である。
もちろん、他の国の言葉は何ひとつ、好きになれるほど勉強していないだけのことであるのだが。
今年は、正しく「新語・流行語大賞」の趣旨に合った「アレ(A.R.E)」が選ばれてよかった。
決して「優勝」と言わず、「アレ」と言い続けた岡田監督の言語感覚の勝利である。
大阪人は、正面切ってカッコイイことを言うことをよしとしない。
カッコつけることはカッコ悪いことなのである。
アホに見せることができる人が賢い人なのである。
阪神タイガースが、今年は優勝します、と言っても、何いうてんねん、と思われるだけである。
アレをめざしてアレしていこうや、ぐらいがちょうどよいのである。
今年の「新語・流行語大賞」は、「アレ(A.R.E)」に決まってよかった。
岡田監督は名監督である。