昨日(8日)の朝日歌壇の拙歌の左に、こんな歌が選ばれていた。
髪切ったことに気付かぬ夫ならば毒盛られてもきっと気付かぬ
(戸田市 蜂巣幸彦)
蜂巣幸彦さんは、蜂巣厚子さんとともに頻繁に入選している常連夫婦歌人である。
上の歌は、厚子さんの歌への返歌である。
贈歌は、髪を切ったことに気付かぬ夫に毒を盛ってやろうか、という、少しこわい歌であった。
確認しようと過去の朝日歌壇を調べてみたが見当たらなかったので、おそらく「朝日歌壇番外地」に掲載されたものであろう。
「番外地」を保存しておかなかったことが悔やまれる。
(厚子さんの本歌を知っている方がいたら、教えて下さい。)
元々歌は手紙であり、贈答が本来の形であった。
特に男女の間で恋文として送り合うことが多かった。
文芸になった現代の短歌では、贈答歌はほとんど詠まれない。
蜂巣厚子さんと幸彦さんのこの贈答歌は、歌の本来の姿を継承しており、貴重である。
古来恋文としての贈答では、贈歌では、相手への思いの深さを訴え、あるいは、相手の愛情の浅さを咎める。
それに対して返歌では、相手の歌を受け止めつつ、ずらして切り返すのが常である。真正面から受け止めただけの歌は、面白くない。
ずらして切り返す、そのずらし加減が返歌の腕の見せ所である。
幸彦さんの歌は、ずらし加減が絶妙である。
贈歌の、髪を切ったことに気付かない、妻に対する関心の薄い(つまり愛情が薄い)夫に対して、毒を盛ってやる、という厚子さんのユーモアが抜群に面白い。(正確に覚えていなくて申し訳ない。)
愛情が薄い、という批判に対して、さらには、毒を盛ってやる、というユーモアに対してどのように切り返すか。
「毒を盛ってもきっと気付かぬ」という返しは、鮮やかである。
髪を切ったことに気付かなかったのは、愛情が薄いせいではなく、自分が鈍感だからだ、というのである。
毒を盛られて気付かないほどの鈍さならば、どんなに愛情があっても、髪を切ったくらいでは気付かなくて当然である。
毒を盛っても気付かぬ、ということは、気付かないまま生き続ける、ということであろうか。あるいは、死んだとしても妻に毒殺されたと気付かない、つまり、妻の恨みや怒りに気付かないままである、ということであろうか。
いずれにしても、毒を盛ってもこの夫には効かない。
厚子さんは、毒を盛ることを断念せざるを得ない。
かくして、夫婦はこれからも仲良く人生を共にするのである。
息の合った、ユーモアのセンスのある、素敵な夫婦である。
これからも、朝日歌壇でこんな楽しい贈答歌を読ませてほしい。
こんな魅力ある投稿歌人のおかげで、日曜日が楽しみである。