アノ関西人もびっくり!実践「愛と心療問題」
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色彩調和

今、カラーコーディネイターの資格試験に取り組んでいる。

昨夜は色彩調和論を勉強した。

調和とは、変化と統一の秩序なのだそうだ。

色彩調和の法則には3つあるそうだ。
1.親和性の法則:自然になじむ。明るい色は黄みに、暗い色は青紫に
2.共通性の法則:色みか明度か彩度が同じ
3.明白性の法則:コントラスト

また、調和は秩序に等しいのだそうだ。
1.類似
2.対照

そういえば、異邦人としての自分も職場で調和しなくては
ならない立場であることを思い出した。

「緑は緑」ではなく、「自然な調和を意識して、少し黄色を混ぜて」
みたいなことが求められるそうだ。

なにより、秩序があってはじめて調和は成立するらしい。

ということは、自分は今のこの職場の秩序を尊重しながら、
何らかの共通要素(ドミナントあるいは支配的要素)
を捉えながら、いろんな色付けをしていくのが
正解なのかもしれないと思った。

気が付いたのは、「同一」は調和ではないということ。

異なるモノである自分だからこそ、「調和」という課題が
与えられているという解釈もできそうだ。

自分はこの職場のみんなと何をドミナントとしたらいいのだろうか?

「よりよいモノを作りたい」という意識なのか?

転職の本には、入社半年したら、自分の得意領域をアピールする
ことが大切と書いてあった。
それを周囲に認めてもらうことが大切なのだという。

今、この職場で自分のどの強みをどんなプロセスで発揮していったら
いいのかというイメージはできた。

周囲が自分の得意領域を認めてくれる日が来ることをイメージして
職場で働くことが次のテーマなんだろうか?

半年達成

転職してから、ようやく半年が経った。

入社してからの3ヶ月とくらべどうか?と考えてみたが、
変化したような変化していないような、
不思議な感覚だったりする。

ここ数日気が付いたように、
やはり自分はアウトサイダーのままであり、
依然として、
「あの人は何をやっている人?」という?が
付いて廻っているようだ。

入社して半年しか経たないのに、
すでになかば失った人間関係さえある。

3ヶ月目の「やった、3ヶ月経ったぞ!」という感覚とは
少し違っていて、何となく悲喜こもごもといった感覚だ。

これからも異邦人としてあり続ける自分がいて、
相手も感じるであろう違和感を意識しながら、
大過なく、周囲を尊重しながら生きていくには、
それなりの覚悟が要るんだろうなと思う。

定年退職のその日まで、この内なる格闘は続くらしい。
その覚悟を決めることが大事なのかもしれない。

そんな覚悟の下、そんなゆるやかな緊張状態を生きていくには、
ふと思ったことだが、人生の優先順位を明確にすることが
大事だと思う。

ワタシの人生の優先順位。

それはそれとして、自分はやはり人一倍気位が高いようで、
昨夜もパートナーにそのことを注意されてしまった。

そういう注意を率直にしてくれるパートナーに心から感謝している。

職場における周りのひ人々との付き合い方など、率直なコメントを
まっすぐに話してくれる。自分に対する愛情を感じる。
とっても嬉しい。

自分のことを誰よりもしっかり見ていてくれる、
どんな状況でもそばにいてくれて、率直にまっすぐに話してくれる
人がいるというのは、自分のとっての最大の強みなのかもしれない
と思う。

人というのは悲しい

社内で別の部署に異動になった人に会った。
階段のところで、出会い頭でばったり会い、
朝なので「おはようございます」といったが、
全く無視された。

自分より1年早く転職してきて、
同じ部署ということで、いろいろ相談に
乗ってもらってきた人だったので、
冷淡な態度にショックだった。

自分の何がいけなかったのだろうか?
何か彼を傷つけたのだろうか?

人というものは、全くわからない。

いろいろ推測するが、理由ははっきりしない。
本人に直接尋ねるというのも、
なんだかためらってしまう。

実際、今の周りの人たちも、実際には
自分のことをどう思っているのだろう?
とふと思ってしまう。

本当はイライラしているのではないか?
本当は彼のように、怒りの気持ちを持っているのではないか?

いろいろ思い当たることはヤマほどもある。

そもそも、自分はそれほど優れた人物ではないし、
気が利くタイプでもない。

正直、まだ職場のパーツの一部として機能している感もない。

いろいろなこと、見えること、見えないことを含め、
引きずっていくものは多いのかもしれない。

それはそれで覚悟しようと思う。
なんといっても見えないんだから。

この会社に転職するまでのことで、
人並みにいろんなことを経験してきたが、
後になって、「そういうことだったのか!」と
気が付くことが多い。
そのたびに後悔することばかりなのだが、
よくよく考えると、後になってみないと
「なぜ怒りを買ったのか?」といったことは
わからなかったりする。

そのときはそのときで、一生懸命に生きてきたのだ。
それでも足りないこと、至らないこと、気が付かないことは
いっぱいあって、それが何かはそのときにはわからなかったり
するのだ。

わからないことって、やたらと多い。
生きている限り、わからないことだらけなのかもしれない。

人というのは悲しいな、と切ない気持ちになってしまった。

パーフェクトな人物

アウトサイダーとしての自分には、
いろいろと大事なことがあると気付いた。

実際に外国人留学生ではあるが、周りはそう意識していないことに
注意する必要がある。

たぶん自分も同じ人間なので、実は別のシチュエーションで同じような
ことをしている可能性が高い。というか、明らかだと思う。

それが人間の本質なんだと思う。

なので、外国人留学生はいかにも

「どうせオイラが留学生。アウトサイダー
でござい」という態度ではなく、

「留学生なんだけれども、日本人になるために
一生懸命です。日本人になりたいんです」と
人一倍「君が代」を大声に歌い上げるような態度が

必要なのだと思う。

人間、小さなことにヒネてはイカンと思う。

思い込みなり正当化なり、

心の仕組みとはそういうものなのだと思う。
心の仕組みがどんなものなのか?を知ることで、
思いこみや正当化、合理化や投射といった、

いわゆる攻撃に対して
冷静に、客観的に対処することが可能になる、

としたほうがよさそうだ。

こう考えると、パーフェクトな人間なんて、

本当にいるんだろうか?
とても悩ましく思えてくる。


転職半年

「転職して1年以内にしておくこと」には
他にも大事なことが書いてあった。

周囲の人々への感謝の気持ちを忘れるなと。

その通りだと思う。

なんだかんだいって、この職場がまわっているのは、
彼等のがんばりによるところが大きいのは自明なのだ。

それは明らかで、これまでの半年だけでなく、
その前何年にもわたり、いろんなことを乗り越えて
ここまで来ている、無事に運営ができていることには
違いない。

そのおかげで、自分は日々無事に大過なく過ごしていける
のは明らかだと思う。

異邦人なので、少し居心地に違和感を覚えることもあるが、
彼等自身、実はそのことに意識しているわけでもないのだろう。
無意識に区別してしまっているのだろうと思う。

本にもそう書いてあった。

なので、そういうことにいちいち目くじらを立てるのは
よそうと思う。

指摘すればするほど、むしろ彼等自身が違和感を覚えるに違い
ないのだ。

自分は信用されていない、と思ってしまえばさびしいが、
信用されるに足るだけのかかわりを持ったことがないのも
事実だし、やはり目に見えない様々な面で、
生え抜きとは異なるコミュニケーションになっているのだろう。
彼等自身、その適応に苦労しているのかもしれない。
そう見える面も多い。

人間とはそんなもの、といってしまえばそれまでだが、
事実そうだと思う。

違和感に囚われず、事実をベースとした客観的な捉え方(論理療法)
が大事なのかもしれない。

ここは外国、と割り切りつつ、周囲の人々への感謝を忘れずに
生きていこうと思う。

異邦人(アウトサイダー)

あと少しで転職して半年になる。
これで有給休暇が取れるようになる。
嬉しい反面、相変わらず悩ましい面もある。

どうしても受け入れられていないような気がする。
自分がコメントアウトしても、それに対する反応が見えない。
手ごたえが感じられない。

さっぱりとハラを割って話せる相手がいない。

会議に出ていても、どうも話の輪の中に入っていけてないように思う。

この感じ、どこかで経験したように思えて、思い出した。
アメリカ留学中のアメリカ人とのミーティングって、
ちょうどこんな感じだった!と思い出すと、
「半年たって、まだ留学生かぁ・・・」とがっくり。

家に帰り、久しぶりに「転職して1年以内にすること」を読み直してみた。

やっぱり書いてあった。
転職者というのは、退職するまで転職者という覚悟が必要だと。

そういえば、パートナーが勤める会社の銀行からの出向者の方も
同じようなことをもらしていたらしい。
「一年、ずーと孤独だった」と。

不思議というか、あたり前というか、「他の人もそうなのね」
と思うと、妙に冷静になる。
会ってもいない人に連帯感を感じたりしてしまうのだ。

留学生だった自分は、卒業後にアメリカにとどまらず、
そのまま日本に帰ってしまった。
そのほうが、居心地がいいに決まっていると思ったからだ。
そのほうが、有利なはずと思ったからだ。

だが、実際、日本国内であろうと、いろんな社会的集団に入りきれずに
いた自分から抜け出せないでいたように思う。

会社もそうだし、職掌もそうだし、東京と大阪でもそうだし。
ずーっとこんな感じ、異邦人としての経験を重ねてきたように思う。

これからも、心のどこかでずーと孤独かも、と思うと、
少し胸がイタイ、というか寒い感じがする。

何で自分が・・という思いもある。

何か意味があるのかもしれない。

けど、パートナーのことを思い出したら、
やっぱり転職してよかったんだと思うようになった。

この会社に転職が決まったとき、パートナーは心から喜んでくれた。
もうすでに、パートナーとずーっとこの土地で暮らしていくんだと
決めている。なので、やっぱり地元の会社で働くのが一番だと
思う。それに、この会社はマーケティングの会社なので、
これまでマーケティングに関わってきた自分には最適の職場には違いない
と思う。

会社に向かう道の途中、ふと
「会社で何のために働くの?」と思ったとき、
「パートナーと元気に明るく暮らしていくために働くの!」と
思ったら、なぜか声を出して笑ってしまった。
「ハハハハ・・・」と、大きな声で歩きながら笑ってしまった。

パートナーと明るく元気に暮らしていけるのなら、
職場での多少の孤独感など取るに足らない気がしたのだ。
そんな取るに足らないことでくよくよしていた自分が
可笑しくなったのだ。

週5日か6日、きっちりと働いて、お金を稼いで、
そしてパートナーと安らかに暮らしていけるのなら、
多少の孤独感や窮屈感など取るに足らないように思えたのだ。

私は一家の大黒柱なんだ、と強く確信できたのだ。

人間、人生の優先順位を明確にすればするほど強くなれると
確信した瞬間でもあった。

もやもやした気持ち、しかたないなという気持ちが、
一転してスカッとした気分に生まれ変わった瞬間でもあった。

今日も一日、元気に明るく働こうと思った。

音楽って素敵

20年ぶりにギターを弾いた。

ギターの音色は不思議で、心の中のギスギスしたものを
和らげてくれる。

その和らぎ方はスゴくて、瞑想やヒーリングより
心の穏やかさをくれる。

音楽って素敵だ。

ギターを弾いている内、過去のいろんなことを思い出した。
なぜかこれまでと見方が変わっている。

もの凄くヒドイと思っていたヒトのことさえ、
実はそんなにひどいヒトではなかったのでは?
と思いはじめている。

むしろ、「あんな態度で接した、ヒドイヒトと決め付けていた自分の
方にこそ、問題があったのでは?」と思いはじめている。

自分がもっと謙虚であったなら、もっと心が広かったなら、
もっと己の気位の高さを意識していたら、もっと相手に対する
思いやりの気持ちがあったなら、おそらく結果は違ったものに
なっていたのだろうと思い始めてきた。

ただ漠然とではなく、何か実感というか、手ごたえのようなもの
さえ感じる。

改めて、自分の心の狭さを痛感した。
心がせまいから、まっすぐな視点でモノゴトや相手を捉えることができず、
おまけに元々気位が高いので、相手に高圧的になったり、激高したり、
いろいろギクシャクした関係を招いてしまったように思う。

自分は、心が狭い人間で、それが気位の高さを招き、そうしてイライラして、
周りの人々との協力関係が築けず、結果として自滅する。

自分も含め、人間とはそんなに変わらない生き物なのに、誰もが同じような
生き物なのに、自分だけ特別な存在であるかのように思ってしまうことがある。
その「自我」が悲しい結果を招いてきた。

自我などなくてもいい。ギターを弾けば、素敵な音色が自分を包んでくれる。
そうして世界は平和になっていく。
自分が世界を平和にするのではなく、ギターの音色が自分を平和に、世界を平和

していく雰囲気が好きだ。

音楽は相手を傷つけないように、自分も相手を傷つけないで、静かに生きていく
こと
は可能なはずだ。ギターを弾いていると、そう思えることが多々ある。

昨日、前の会社の上司から挨拶のメールが来た。
自分が彼に引き継いだ仕事がようやく終わったという。
クライアントとも素晴らしい関係が築け、
第二次の契約にこぎつけたようだ。

やはり彼はスゴイ。やはり日本一のPだな~、と改めて思った。
この統率力と交渉力、リーダーシップ力は自分にはない。

だけど、彼が仕事を終了したと連絡してくれたおかげで、
この半年間の胸のつっかえが取れたように思った。

改めて、自分の仕事内容、彼の引継内容が反映されているはずの
製品を、半年ぶりに覗いてみた。

大して変わってはいないが、確かに引き継いだ事項が履行されていた。
こわくて見ることができなかった半年間。

久しぶりに見てみると、やはりよくできた製品だと思った。
本当に素晴らしい製品だと思った。
自分を誇らしく思えた。嬉しかった。

だけど、この製品は自分ひとりで作れたものではないことを
思い出した。

様々な人々がかかわり、みんなで苦労して成し遂げた成果であることを
思い出した。
自分の代表作でもあり、他のヒトたちの代表作でもある。
そんな製品が、とてもいとおしく思えてきた。
とてもまぶしく見えてきた。

改めて、自分を直接・間接的に支えてくれた全ての人々に、
大きな声で「ありがとう。」と言いたくなった。
堂々を胸が晴れること、そして一緒に取り組んでくれたこと、
仲間にしてくれたことに対して。

自分の能力や持ち前がどこまでなのかを思い知らされた反面、
定点のスキルや感情や相関関係だけでは計り知れないヒトという
生き物の偉大さを実感した。

そして、連絡してくれた前の会社の上司の優しさ、思いやりの深さを
実感した。
ありがとう、と声に出して伝えたい。
彼の心の広さの前に、己の限界さえ感じた。

もっと心の広い人間、せめて己の心の狭さを認識して、
気位の高さに気をつけ、相手のしあわせを祈りながら生きていこうと
思う。その気持ち、その心がけ、その祈りこそが大事なんだと思う。

ようやくなにかが見つかったような気がする。

五井昌久さん

ワタシはとても気位の高い人間だ。

なにかの拍子に。人を見下す考え方が
現れてくる。

ふだんからそう感じていて、
その都度、自分のそういう性格を思い出し、
自分に言い聞かせているが、つい表面に出てしまうこと
もあるようだ。

昨日、ワタシの一言がとても気位が高く感じられたらしく、
パートナーに突っ込まれてしまった。

反省。

反省することが多い。

なぜこうも反省ばかり必要なのか?自問することもある。
でも、人間とは本来そういう生き物らしい。
反省ばかりしていて、くじけていてはいけないそうだ。

心理学、精神分析だけでうまくいくことって、
そんなに多くはない、という人もおられる。

先日、いつもお世話になっている方から
五井昌久という方の本をお借りした。
「読んでみたら」と薦められ、郵送いただいた本だ。

この本に、そのことが書いてあった。
祈りの大切さ、神とつながる大切さ、
業因縁にこだわることの危険、などなど。

とても不思議な本だったが、
今の自分にひったりな内容でもあった。

今、自分に大切なのは、自らが気位の高い人間であることを
自覚することかもしれない。

人を見下す傾向の強い人間であることを自覚することなのかもしれない。

本来の自分、自分は、そして自分の周りのあらゆる人が、
実は神の子であることを意識することが大切なのかもしれない。

そう考えたとき、自分の顔、他人と向き合う自分の顔が、
実は自分のものではなく、他人、相手のものであるような気
がしてきた。なので、相手に好感や安心を与えるような表情を
作るよう努力すること、そう意識することって、自分の顔は他人の
ものなのだから、あたり前のことなのかもしれない。

そう考えると、むしろ自分の顔や体、そういった今まで「自分」
だと思っていたものが他人のもので、それとは別に
意識、神とつながる、それは言い換えれば周りの人たちのことなのだが、
そういう神とつながった自分がいて、その「あらゆるものとつながった
自分」を大切にすることが大事なのかも?と思い初めている。

それはたしかに、過去ではなく、未来からつながった自分のような
気がするのだ。

この週末、おめでたいことはあったのに、あまりハッピーに喜べ
なかった。また、来週とか、さらにその先の、またさらにその先の
5年先、10年先の未来について考えることができなかった。

大切な時間を浪費してしまったように思う。
とても残念だ。

やっぱり「未来志向」であることって、とっても大切なことなんじゃ
ないか?と改めて思った。

未来の自分をイメージする、それが本来の自分を形作っていくことに
なるような気がしてきた。

ワタシと他人

ワタシの定義は他人がする。
他人の定義はワタシがする。

ワタシがどう思おうと、
他人が思うワタシが世界の中の
ワタシとなる。

反対に、相手がどう思うと、
ワタシが他人を「あの人はこう」と
定義すれば、それがその人の定義となる。

そう考えると、ワタシはワタシであって、
ワタシではないような気がする。

とても不思議な感覚だが、ワタシが発する言葉は
他人が求めた言葉なのだろうと思う。

今日の会議。
ワタシが他人に対して、
「どうすればいい?」と聞くための
会議だったのかもしれない。

アートテン農法ってスゴイ

昨夜、パートナーと鳥取のなしを食べた。

直径30cmくらいの巨大ななしだったが、
とにかくおいしかった。
甘かった。
噛めば噛むほど甘かった!

一緒にかぼちゃのパイも食べたが、
あんなに甘いと思っていたかぼちゃパイが
ぜんぜん味がしないくらい。

それくらい鳥取のなしは甘かった!

鳥取のなしはみんな、こんなに甘いのだろうか?
アートテン農法だから、こんなに甘いのだろうか?

不思議だ。
甘さの中に、強烈なエネルギーのようなものを感じた。

なんか感動した、というよりびっくりしてしまった。

それと同時に、ほっと胸をなで下ろした。
ちゃんと翻訳しておいてよかったと思う。

ちゃんとお礼を言っておいて、
本当によかった。

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