アノ関西人もびっくり!実践「愛と心療問題」 -2ページ目

アートテン農法

昨夜、自宅に鳥取のなしとお米が届いた。

大阪の尼崎にある、肥料会社の方かた翻訳のお礼としていただいた。

翻訳というのは、土壌の色相分析に関するもので、
40P程度の英語の論文を日本語にするというものだった。

40Pだし、気楽にOKしたのだが、依頼者の了解を取り後半の20P
のみなのに、2年も掛かってしまった・・・。

実際の翻訳作業はなんだかんだといっても半年かからなかった
と思う。そこからワープロで打ち直して、途中で一度投げ出して、
ほぼ忘れつつ・・転職したりあ~だこ~だと・・・。

転職での試用期間も終わり、9月に入って少し生活が落ち着き、
そのときにふとしたきっかけで思い出した・・・。

最初は投げ出してしまおうかとも考えたが、やはり気になる。
すでに翻訳そのものは終わったので、そのまま送ってしまおうか
とも思った。でも、大地に関するもの、地に足をつけた生き方を
したいと思ったとき、なんか大地に唾するような気がして、
なんとか今出来上がっている分だけでも早くワープロ打ちして
お渡ししようと決心した。

それから1ヶ月。途中、パートナーにも手伝ってもらいながら、
ワープロ打ちがめでたく終了。
そうしてスグにメール添付で送ったところ、
なんと山盛りの果物とお米とお塩が届いた。

パートナーも喜んでくれた。
嬉しかった。スグに送り主にも電話してお礼できた。
しあわせな夜だった。

とはいえ、たったの20Pと思い軽く引き受けたが、
やはりワークフローがしっかりしていないと、
すばやく仕事を終えることができないことを思い知らされた。

そんなに大変な作業ではないと思っていたのに・・・。

留学時代、20P読むのって30分だったのに・・・
読むだけなのと、日本語の文章にして、
というのでこんなに違うのって、
やってみてはじめてわかった。

やってみなければわからないことって多いなあ、
と思い、前半の和訳をどうするか?気楽に引き受けるのを
ためらっている・・・。

まずはいただいたナシとお米を味あわせていただいてから、
じっくり考えようと思う。

とまれ、自分のやったことに感謝してもらえるのって、
本当に嬉しかった。

そうかもね・・・

敗北は最良の教師(オシム)

そうかもね・・。

これまでの自分って、まさにそうだと思う。

・・・・。

ハンドルを手放す

ハンドルを手放す。
それ以外の選択肢がなさそうになってきた。

今、実はとても不安だ。
自分の得意な仕事ができず、不得意だったり、
やったことがない仕事ばかりしているのも
不安の原因なんだとは思う。

何か起きるたびに、次が予測できなくなるし、
不安になる。事前に予想してなかったような
ことが次々と起きる。
手抜かりだったのでは、とまた不安になる。

このパターンがけっこうツライ。
自分に自信が持てないし、若い人や周囲から
の尊敬を得られないように思うし、
なんだか情けなく思えてくる。

もしかすると、自分の知らないところで
自分に関するよくない話が出ているのでは?
と不安になったりすることもある。

事実、前の会社でそうだった。
あの頃の悔しさ、後からわかったときの
悔しさを思いだすと、心の傷として
ツラクよみがえってしまう。

周りの人たちを見ていると、それなりに大変そうだが、
得意な仕事を精力的にこなしているように見える。

大阪に来てから、このパターンがずーと続いている
ように思う。大阪に来てから、ずーとこのパターン、
この不安から離れられなくなっているような気がする。

やっぱり、自分の得意なところで、思いっきりやってみたい
という気持ちが強まってくる。

なんとかしようという思い、自分を守りたいという思い、
自分を弁護しようという思い、自分を正当化したいという
思いがわきあがってくる。

だが、その一方で、そんなことをすることで、
周囲との調和が乱れるように思えてならない。
自分にとって、パーツの一部として機能することが
一番大事に思う。

この職場に入れたこと、40近くで雇ってもらえたこと、
この職場に入れて、生活が安定したこと、その安定を
維持していきたいこと、一家の主として、そういうことを
大事に思う。

フェアであるということは、自分に対してもしっかりした
客観評価をする、そしてその客観評価に則した行動を
自らに課すことに他ならない。

その軸での自分の選択肢はほとんど限定されていて、
自分を正当化しないことであり、
相手の話をじっくり聞くことであり、
自分以外の人々を尊見下したりしないことであり、
そしてやはり何事にも柔和な心を持って、
進んで人に接していくことである。

自分が気位が高く、人を見下す傾向が強い人間であること
を自覚すること。

そしてイライラしたりしたときは、囚われの自動操縦装置を
OFFにすること。

客観的に、冷静に状況を見つめると、それ以外の選択肢が
やっぱりなさそうなのだ。

不安に対して、何を確信できるかというと、
それはとてもシンプル。

私は定年までこの会社で勤め上げるということ。
私は生涯、パートナーと一緒に生きていくということ。

そして、私はしあわせになるという確信。

理由はないが、今日まで生きてこられた事実が
それを確信させる。

これまで、いろんなことを経験してきた。
仲間はずれにされたこともある。
クビ宣告されたこともある。
減俸されたこともある。
降格されたこともある。
いじめられたこともある。
信じていた人に裏切られたこともある。

そういうことを思い出すたび、つくずく
自分が人生の敗残者であることを思い知らされる。

この職場にいるほとんどの人たちと自分との
決定的な違いはここにある。

自分はビジネスマンとしては、やっぱり負け組なのだ。
今、幸運にも立派な会社の一員になれたので、
負け組でないような錯覚に陥りがちだが、
実際にはそれほどアタマもよくない。

この会社にいて、「あ~、こういう人がアタマがいいって
いうんだな。」と思うことが多い。

そんなどーしようもない自分だが、
この会社に入ってから、少しずつ確実に
生まれ変わりつつあるように思う。

そして未来への確信がある。

決まっている未来があるのだから、
その過程にこだわる必要はないように信じようと思う。

そのほうが、周囲のみんなを傷つけないように思うし、
この会社の一員になれるような気がする。
そのほうが何事にも柔和な心を持って進んで人と
接することができるように思う。

これがハンドルを手放すという感覚なんだろうか?
そんなハンドル感覚を実感しつつあるように思えてきた。

たいがいのことがおきたとしても、
それを受け容れられる、冷静に対応できるだけの
経験を積んできたように思える。

見えない力があるということを前提として、
ハンドルを手放そうと思う。
これまでのいろんな経験を経て、
今ようやくハンドルを手放せるようになった気がする。

たぶんハンドルを手放すと、それを続けると、
本来の自分自身から離れなくなるように思える。
そして神様に近付けるようになれるように思える。

なので、ハンドルを手放すことに冷静でいるようにする。

自動操縦装置

何かがあると、イライラする自分。

知人から「シャンバラ」という本を借りた。

その本によると、地上に住む私たちはみな、
「囚われの身」なのだという。
自動操縦装置に操られ、不幸になるように
生かされているのだという。
イライラしているときにそんなことを
思い出したとき、
急に冷静に戻れた。

自動操縦装置に囚われている自分がいる。

勝たなければならない、とか。
正しくなければならない、とか。
正確であるべき、とか。
優れているべき、とか。
アタマがよくなければ、とか。
賢くなければ、とか。
順番は守るべき、とか。
電車は時刻表通りに動くべき、とか。
10分前にホームに着いたら、
かならず座れるべき、とか。
7時に会社を出たら、12時前には就寝できるように
するばき、とか。

そんなことに囚われて、どんどん許せなくなる。
何もかもが許せなくなる。
イライラする。
イライラに囚われて、視野が狭くなり、
そして何も手を打たず、
イライラを周囲に伝染させ、
周り全体が不幸になる。

そんなことを繰り返してきたように思う。
果たしてそれでいいのか?というと、よくない。

自分は自分でイライラして体を壊す。
周囲とも仲良くなれず、ひとりぼっちになってしまう。

イライラしないのが一番なのだが、
人間が出来ていなく、すぐイライラする。

また、周囲の人たちがイライラしている場合、
投射にあって悲しい思いをする。
そしてまたイライラしてしまう。

そんなことを繰り返すのはやめたほうがいい。

結局、ワタシは結果に過ぎない。
ワタシが珈琲を飲みたいから珈琲ショップがあるわけ
ではない。
珈琲ショップがあるから、珈琲が飲める。
ワタシは選択肢を生み出すのではなく、
選択肢がワタシを選ぶのが正解のように思える。

なので、ワタシは結果にすぎない。
ワタシがどう思おうと、ワタシはワタシに過ぎないように
思う。

だが、自動操縦装置に囚われているワタシは、
本当はこうなのに、ワタシが飲みたいときに飲みたい
場所に珈琲ショップがあるべき、ないのはおかしい、
と考えてしまう。

そんなワタシは相当アタマが悪いと思う。

自動操縦装置のスイッチを切った瞬間、
イライラしている自分がいなくなった。

うまくいかないときもあると。
そういうときが今なのだと。

それがうまくいかないからといって、
リカバリーはいつでもできると。

発想を転換すれば、ハッピーな気持ちに
なれることはたくさんあると。
そんなことに気がついた。

電車が遅れたなら、まずはそのことを伝えること
が大事だと。
相手が間違った選択をしてしまったとき、
その相手の話をじっくり聞くことが大事だと。
そうして一緒に修正していけばいい。

ワタシはただ、相手がワタシをどう評価するか、
どう思うかではなく、ただただ何事にも柔和な心を
持って進んで人と接していけばいい、それだけで
いいのだと確信できるようになってきた。

そのためにはどうすればいいか?悩んでいたけれど、
ワタシを捕えようとする自動操縦装置があることを
意識しようと思う。

そうして自動操縦装置のスイッチをoffにすることを
覚えようと思う。

発見!笑顔でいよう(^^)

週末に美容室に行った。

カットしてもらっている間、自分の表情を見てみた。

眉間にしわを寄せた自分。とっても恐かった。
できれば見たくない顔だった。

ニっと笑った自分。
とってもホッとした。

そういう笑顔で人様と接していきたいと思った。
ニッと笑う。人様と会うときは、とにかくニっと笑うように
しようと思う。

そうやって、目の前の人にポジティブなエネルギーを送る
ことが自分の使命にさえ思った。

自分の笑顔は素敵だ。人類の財産だ。
しかも減らない。
なので、この財産を、とにかくより多くの人に
わけようと思う。それも相手がどう思うかは関係なく。

何ごとにも柔和な心を持って、進んで人と接していく。
まずは常に笑顔でいることからはじめてみるというのも
ありかもしれない。

今日も反省

相変わらず、人間ができていない自分がいる。

金曜日、定時に会社を出て、古い知人との会食に向かった。
約束通りの時間にあえてよかった。
そのために、会議が終わってすぐに片付けて、
すぐにオフィスを出て、予定の電車に乗るために、
会社から駅まで歩いて7分の道を全力で走った!

40前にして全力疾走。
まるでかつての柴田恭平のよう・・・・。

とにかく電車に飛び乗れて、約束の時間に間に合うことが
できた。とてもハッピーだった。

ただ、週があけて会社に出てから、「あ~こうすりゃよかった」
ということが・・・・。

その日かその日以前に、職場あるいは上司に
「用事があるので、今日は定時に会社を出させてもらいます」と
前もって一言いっておけばよかった・・・。

いろんな可能性が考えられる。
実は会議の後で打ち合わせしたいこととか、
確認したいことがあったりとか。

いろんなことが考えられる。
にもかかわらず、そのことに気が廻らずにいた。

理由は簡単で、他人に対する配慮が足りないのと、
一言言う勇気、というか開かれた心に乏しいということ。
自分の性分なのだろう。
なので、集団とか組織の一部として忠実に働くことに
支障が出るのだろう。
そういう人生だったのは、そういう性分だからなのだろう。

それではいつまでたってもしあわせにはなれそうもない。
これからは、何か用があったら、前もって言うことにしよう。
何事にも柔和な心を持って、進んで人と接していくことが
しあわせの道なのだ。
にもかかわらず、こういう小さなことさえきちんとできない。
とても悲しい。情けない。

今朝も同じようなことがあった。
パートナーと二人でいただいたプリントを
パートナーに黙ってかばんの中に持っていってしまったのだ。

2~3枚のプリントなので、通勤電車の中でさっと一通り
読んでしまおうと思っただけなので、なのでパートナーに
言う必要もないと思ってのことだったのだが、あくまで二人で
もらったものなのだから、持ち出すときには予め、
「これ、電車の中でさっと読みたいから持っていくね」と
一言断っておけばよかったのだ。

一言、それさえしておけば、どんなに気が楽になったことだろう
・・・。やはり開かれた心が少ないから、こんなことになるのだろう。
それではしあわせにはなれない。

今朝はまた、駅のホームで電車を待っていて、電車が来たので
乗り込もうとしたら、後ろの人に追い抜かれてしまい、
とてもハラが立った。電車の入り口でかさで「かつん」と床を
突いた。カツンと音がした。
それを2~3回。
あとから考えると、とても恥ずかしいことをしてしまった。
前の人の進み具合で、後の人が流れで先に電車に乗り込んで
しまうことなんて、しょっちゅうのはずなのだ。
自分だって、後から先に乗りこんでしまう、というかそう
せざるを得ない流れのときがあるはずなのに、他人に対して
やたら厳しい。こうするべきでしょう、というカンジで。

正しいかどうかで言えば、瞬間的には自分は正しい。
だが、だから何だというのだろう。
それで、何がどう変わるのか?
ただその瞬間の自分の感情だけのことに過ぎない。

そしていつもカリカリ、イライラしている。
そういう気持ちが、大きな仕事で周囲との不協和音を
生み、仕事の成果に結びつかなくなってしまっているように
思えてきた。

もっと自分以外の人に対して、普段から穏やかに寛容に
なれるようにする必要がある。
それが世の中でしっかりした仕事なり生活なりを送る
基本のように思えてきた。

何事にも柔和な心を持つ。
毎日のように心の中で唱えているのに、
こういった何気ないことで実践できていない自分に
気付き、とても恥ずかしく、情けなく思う。

今日も反省し、また今から生まれ変わっていこうと思う。

:今から先

森田健さんが、「私は結果」といった。

未来はすでに決まっているという。
今の自分は、決まった未来からの結果
なんだという。

自分もそう思う。そう実感する。

ただ、未来は見えない。
見えないものはイメージしにくい。

見えるのは、過去と他人なのだが、
これは変えることができない。

結局、決められた未来にいかにスムーズに
移行するか?が命題となるのかもしれない。

階段を上る。

階段を上るには、前を見上げるしかない。
後ろ向きで階段を上るのはしんどい。

○階にオフィスがあるとわかっていると、
この階段を上るといつかはその目的地に
着くとわかっているから、多少苦しくても
階段を上る。

しかし普段の生活で、未来はそんなに

明確ではない
ように思える。

見えないから。イメージできないから。

でも、いままでを振り返ってみても、
予測できた将来なんて、本当に限られている。

確度の高い予測ができたのも稀だ。

思い込みが邪魔をするから。

でも、人間の脳は、思い込みをするように
できているらしい。そう学者の先生が
おっしゃっていた。
そういう構造にしないと。生きていけないらしい。

だが、この思い込みが多すぎると、判断がゆがむ。

しかも、我々は小さいし弱い。
なので、我々にできることは限られている。

ワタシは人を見下げる傾向がある。
そういう性格なんだそうだ。
自分でもそう思う。
でもそれを表に出そうとしないから、
ストレスがたまる。
だが、ワタシもそういう「見下げられる」
部分をたくさん持った人間なのだ。

だから、人を見下げようとする。
ものの本質からすれば、そんな他人のことを
あれやこれやと考えてもしょうがないのだ。

さっき起きたこと、昨日起きたこと、1年前に
おきたことを振り返っても、

過去の現実は変えられないのだ。

だけど、未来は自分の外で変化する。
しかもその未来は見えない。

でも、ワタシは未来に向かう以外の

選択肢しかない。

他人にできて、ワタシに出来ないことがある。
他人にわかって、ワタシにわからないことがある。
他人の境遇を、うらやましく思うことがある。

でも、ワタシにはワタシの未来がある。
他人の未来とワタシの未来は変えられないのだ。
他人の未来は他人のもので、

それはそれで決まっている。
ワタシの未来がそうであるように。

ワタシに残された選択肢は、ただひとつ。
どっちが未来への方向なのか?それを探すこと。

そのために、「今から先」を見る、

そこにエネルギーを
フォーカスすることに集中することが、最も安全に、
最も早く未来の結果に到達する方法なんだと思う。

「今から先」をイメージする。
それに集中する。そして、

見えないものに対して、
自分の周囲、環境に答えを求める。
それがワタシにできることなのだと思う。

「今」に集中するだけではなく、

「今から先」に集中する。

それが「何事にも柔和な心を以って、

進んで人と接していけば」の
意味のように思えてきた。

自分の何は「今から先」なのか、

今から先に意識を集中させること、
それこそが大事なんだと思えてきた。


100匹目のサルがいた

今日、職場で100匹目のサルを発見。


すごかった。これがアノ現象か・・・と思った。


確かに誰も先導していなかった。

それまで誰も気付かなかった。


なのに今日、ある人物の行動をきっかけとして、なだれをうつように

一斉に同じ行動を取っていた。


これがサルの行動なんだ・・・としみじみ思った。


100匹目のサルにあたる人、ドクターの資格を持っているような

インテリなのだが、確かにサルそっくりの顔。手も足も必要以上に長く、

おまけに猫背(笑。


でもホントにびっくりした。


結構、みんなエラそうにしている人たちなので、

サルにみえた瞬間、本当に可笑しかった。


たぶん、自分も気付かないところで、

こういうことしてるんだろうなー、とか思いつつ。


誰にも秘密だけど、大発見!(笑

じぶんのしあわせ

自分のしあわせについて考えてみた。

1.健康(おばあちゃんの遺言でもある)
2.パートナーとずっと一緒にいられること(楽しい、安心する)
3.お習字を書くこと(楽しい、心が落ち着く)
4.周りの人がみんな笑顔(安心する)

「穏やかな気持ち」になれることが、自分にとってのしあわせ。

よくよく考えてみると、自分にはそれ以外ののぞみがないようだ。

1番になる、とか、大金持ちになる、とか社長になる、とか
会社を変える、とか日本を変える、とか、どうも自分には
そういうのぞみがないらしい。

ひとつの気付きとして、周りの人が笑顔になるためには、
自分が笑顔になることが大事だということ。

最近、会社で自分に笑顔を向けてくれる人が増えてきたように思う。
はじめての経験に思える。
とっても嬉しい。

自分はこれまで実力を認めてもらうよう生きてきたけど、
そうすることで他人からの笑顔を得ようとしてきたけれど、
それとは違う笑顔の囲まれ方があるらしい。

とても不思議な気持ちだ。

先週の格言に、
「人に命令するだけでうまくいくとは信じてはいけない。
自らオールを手にして、一緒にこがなければならない。」

一緒にオールをこぐには、同じ方向を向くことが大事。
オールのこぎ方が優れていることも大事だが、
それ以前に「一緒にオールをこぐ」気持ちが
大事という意味なのだろう。

オレがうまくこいでやる、でもなく、
オレがこぎ方を教えてやる、でもなく、

よし、一緒にオールをこごうということ。

そういえば、お習字以外は自分ひとりで何とかならないこと
であることに気付く。だから難しく思えるんだけど、
見えない力を信じるなら、
「まず自分が笑う」のが大事ということに気付く。

あたり前なんだろうけど、不思議な発見に思える。

関西人っていないらしい

昨日、出張に行った。
その移動中に「大阪人・京都人・神戸人」
という本を読んだ。

この本によると、「大阪の人≠京都人≠神戸人」
なのだそう。
しかも、京都人と神戸人は仲がよく、
京都人と神戸人は大阪人を
よく思っていないという・・・。

なぜ京都人は神戸人と仲がいいのか?
それは両者が対照的だからだそう。

おかしかったのは、
「京都人は海がないので、
神戸の海にあこがれる。
大阪にも海があるのに、
「あんな汚いのって海じゃない」という。
同じ大阪湾なのに。
20Kmしか離れてないのに」だという。

そういう意味では、
実は「関西人」というくくりは、少なくとも
関西地方には存在しないらしい・・・。
つまり、神戸人や京都人からすると、
「大阪人と一緒にしてくれるな」
ということらしい・・・。

しかも、神戸人や京都人は
「ヨシモト的笑い」が大嫌いだという・・。

このトピックを、大阪人の同僚に話すと、
「その通り」だという。
そういえば、職場でやたらと
「お住まいは?」と聞かれるし、
やたらとそういう会話を耳にする。

よく考えてみると、東京ではあまり
聞かない会話だよな・・・。

しかも、
同じ土地に住んでいると知ると、
妙にアイソというか
親しみを以って話かけてくれる。
とっても表情が柔和になるのだ。
相手が異性だったりすると、
なんかゾクっとするくらいの親しみを
感じる。これがまさかただ単に
「同じ土地の人」というだけの
親近感だとは!というか、
60とか70のご老人ならともかく、
あるいはものすごいド田舎での
ことならまだしも、20代前半後半とか、
しかもこれくらいの都会でこんな
ローカルな親近感で会話する
なんて、本当に考えられない・・・。

たとえばアメリカでいうと、
「ケンタッキー」だからといって、
レキシントンとルイビルとで、
極端に仲間意識が異なる
ということで、それはない!
「キンタッキー人」はいても
「ルイビル人」とか「レキシントン人」なんて
いないのだ!LAとシスコだって、
気候とか風土とかだいぶ違うが、
やっぱり「カリフォルニアン」だろう?

ヨソの土地の人間からすると、
神戸人や京都人や大阪人のこの感覚って
ものすごくセコク感じてしまう・・・。

でも、これって現実なんだよね~。って、
そう思った瞬間、
自分のブログのタイトルを
思い出してハっとした。
「アノ関西人」というのは、
「アノ京都人」とか「アノ神戸人」とかに
変える必要があるのか?少なくとも、
関西の人だったら「何コレ?」
ものなんだろう・・・。う~む・・・。

会話そのものではなく、
そのバックグラウンドを
知っておくとか
理解しておくって大事だな、
と改めて痛感した。

「意味」というのが、
これほど違うとは・・・・。

さてこのブログのタイトルを
変えるべきか?どうか?
たぶんメンドーなので、
結局そのままにしておくのだろうと思う。

とはいえ、これでこれから初対面の人には、
関西人らしく(苦笑)
「お住まいはどちらですか?」と
訊くことにしようと思う。

こうやってまた少し、
関西人化していく自分ってハッピーかも(笑)。

ちなみに、その本には神戸と
横浜の違いも取り上げていて、
基本的に横浜はアメリカ航路、
神戸はヨーロッパ航路なんだそう。
なので、横浜の名物と神戸の名物も
微妙に違うらしい・・
(例えば神戸はベーカリーが有名だが、
横浜はしゅうまい、みたいな。
ん?しゅうまいってアメリカ産だったけ?)

また、神戸はお酒の生産日本一だとか、
神戸が港町となったのは、
水深が深かったから、とかいろいろ
知ることができてよかった。
世帯あたりの月の洋服代も神戸が
大阪より3,000円も高いらしい。
神戸の人っておしゃれだという
証左データらしい・・・。

また神戸の町は100年くらいしか
歴史がなく、
なので、むしろかえって神戸人は
保守的なんだそう。
なので、震災の後の復興でも、
「できるだけ元の姿に
とこだわったらしい・・・。
これが大阪人なら、
「この際、この機会に再開発を」と
いって、区画整理やら超高層ビルやら
と建てるだろうとか。

なんといっても江戸時代の大阪では、
幕府が建てた橋の数より
個人が建てた橋の数のほうが
多かったらしい。
大阪商人にしてみたら、
橋という社会インフラも一種の投資だった
らしい。

当時の大阪の「勢い」というものを
感じさせるエピソードだと思った。