お願いごとを書かなくなった理由-(2) | ことこと愛する日々@真姿で生きる幸せ

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ことことカフェでの愛の奇跡(軌跡)エッセイ

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前の記事 のつづきです。


その後、3週間ほど経った、2009年7月16日。


1通のメールを書いたときに、

自分がまた‘天の意志’に動かされた、と感じました。


「(わたしにメールを書かせたのは) 天の意志だと氣づいたら、

スーッとモヤモヤが消えていき、


もう、すべてを天に捧げ始めているのかも…と、

すでに天の意志で動かされていることを感じています。


このまま天に捧げてもいいかも…と。


○○さん(夫の名前)と離れず、一緒に生きていけるのであれば、

天に私をお預け? お返し? まるごと捧げたいと思っております。。。」


ノートに、このままの文章で書いて、

ハイアーセルフさんに話しかけてみました。



「そうか…○○と一緒なら、よいか? 離れなければ、よいか?


○○と生きて、身体も生きて、離れなければよいか?」



(はい、いいです。天に、わたしのすべてを捧げます。


わたしを、すべて自由にお使いください。)



 (と、心の中で宣言しました。)



「よし、よし。。。。すごい。


あゆみは、もう、神の意志に……従う…と、すべて捧げる、と。


○○も、あゆみも、死なないし、ずっと一緒にいられる。


身体もいまのまま、生きていけるし。心配いらない。


あゆみのたましいのすばらしさ、人格、人柄、才能、

すべて天に捧げた、ので。


あゆみの我=エゴ、執着、欲=人の世の地位的な欲も、

すべて、すべて、なくなり、ました!!!!!!!!


○○と一緒に…は、大丈夫。


それも、あゆみがいなくなったり離れたら、

○○が悲しみ、苦しむと知っていて、愛からの氣持ちからなので。


みな、わかっているから…。


あゆみの光の輝きは、いま、とてもとても輝きを放っている。」


と…わたしは、降りてくる言葉を夢中でノートに綴っていました。



その月から、新月の日にお願いごとを書かなくなりました。



昨年の7月16日に宣言してから、


「わたしのすべてを天に捧げます、預けます。」

「わたしのすべてを、どうぞ自由にお使いください。」


という想い・意識のなかで、日々を生きてきて、

1年という月日が経とうとしています。


自分のすべてを天に捧げた、とは言っても、

欲やエゴのようなものがなくなったわけではないと思うし、


いまでも、執着のようなものや、「人に認められたい」という想いが

消えたわけではないと思います。


しかも、その後も一時期、お願いごとを書いていた時期もありました。


この記事 を書いた頃は、このノートに、夫との将来や夢について書いたり、

ふと思い立ったときに、願いごとを書いたりしていました。


でもその後、夫の誕生日にこの記事 を書いてからは、

やっぱりお願いごとは書かなくてもいいや、と手放しました。


いまは、レイキのブラッシュアップクラスで、

「4ヵ月間の願望実現のアファメーションをする」という課題があるので、

それは書いたし、取り組んでもいます。


だから正確には、「自分のすべてを天に捧げたと言えるのか?」

と尋ねられたら、ちがうのかもしれません。



「天に捧げた」というと、ちょっと言葉が強いかなと思うのですが・・・


いまは、自分に関わるすべてのことについて、

「天に委ねられるようになった」、

「天の采配や意志に対して、自分でコントロールしようとしなくなった」、

などという言い方が、


自分のなかでは一番しっくりくるのかなぁと、いまは感じています。


そして、お願いごとを書かなくなった理由を、

ハイアーセルフさんとの会話の一部始終を、


(リクエストをいただいてから、ずいぶん経ってしまいましたが)


この1年間、実践&体験したからこそブログに書けるようになったし、

まさに今が、‘書くべき時期’だったのだなぁとも思います。



きょう、ある方へのメールを書いていたとき、

とても自然にこんなフレーズを書いていました。


「いまは、自分に関わることのすべては、
天の采配と流れの中で、起こるべきことが起こり、


そのときそのときで、するべきことがわかる、
と感じるようになっています。


ですから、いまはすべて天にお預けして流れに任せています(^^)。


これからも、ハートとたましいにしたがって、
ワクワク楽しい人生にしていきたいなぁと思っています。」


今の心境としては、この言葉が本当にしっくりきます。


1年前のあの日に比べて、

天を信頼する氣持ち=自己信頼の氣持ちは、
確実に、大きくなっています。


氣持ちが、とても軽やかでラクになっているなぁと思うのです。


あの日から1年経って、いまのわたしが書けることはと言えば、


自分のすべてを天に捧げる、預けるということは


自分の一番神聖な想い=ハートの真実にしたがって生きること。


ハートの真実にしたがって生きているかぎり、

あらゆる執着を手放すことができ、

心は軽やかに自由でいられる。


ということかなと、思っています。


本当に必要に迫られないかぎり、これからもわたしは、

新月のお願いごとは書かないと思います。


すべてを天に委ね、預けてしまったほうが、だんぜん心地よいから・・・(^-^)。


これが、いまわたしが、新月のお願いごとを書かなくなった理由です。